第27話 ガウンと酒と、秘めたる純情
自由都市リューンの地下、エルリック様の隠れ家での生活も、数週間が過ぎようとしていた。
鉄鼠組との激闘の後、手に入れた日本のエネルギーコアの解析は私とレティシアさんによって精力的に進められ、レティシアさんの活動時間は飛躍的に向上し、そのAIも目覚ましい進化を遂げつつあった。
小型ゴーレムの試作や、未知の金属『アルミニウム』の研究も、エルリック様の知恵を借りながら少しずつ形になり始めている。
スヴェン殿下の追手の影は依然としてちらつくものの、この隠れ家は今のところ安全で、私たちの間には、奇妙な共同生活と、嵐の前の静けさとも言える穏やかな日常が流れていた。
◇
その夜も、工房の一角にある居住スペースで、私は先生と向かい合っていた。
テーブルの上には、エルリック様が「研究の副産物じゃが、なかなか寝覚めが良いぞ」と分けてくれた、琥珀色の果実酒のボトルと二つのグラスが置かれている。
私は、ゆったりとしたガウンを羽織っている。
その下には、上質な絹のスリップを着込んでいる。
『桃の書には「リラックスした雰囲気は、二人の距離を縮める」と書いてある…!』
私は、一日の研究の疲れを癒すように、リラックスした様子でグラスを傾け、頬をほんのりと上気させた。
「…それにしても、先生が日本で22年間も…本当に、想像もつかないほど大変な日々だったのでしょうね。私たちが当たり前のように使っている魔法も、日本の『科学』というものは、それとは全く異なる法則で成り立っているのでしょう?」
私は、少し潤んだアイスブルーの瞳で先生を見つめた。
『紫の書には「男性の苦労を理解することで、心が近づく」と書いてある…!』
「ああ…まあな。だが、君もこの20数年、技術者として一人で…いや、ライナス殿亡き後、工房を守り、研究を続けてきたんだろう? それも、並大抵のことではなかったはずだ」
先生は、私の努力と才能を称えるように言った。
『先生が…私を認めてくださっている…!』
会話は、自然とそれぞれの過去へと移っていく。
先生は、日本の生活や文化、そしてエージェントとしての苦労について語り、私は、先生がアストリアを離れた後の王国の変化や、私自身の研究の苦労話、そして…時折、幼い頃に先生からゴーレム技術を教わった懐かしい日々の思い出などを語った。
『蒼の書には「過去を共有することで、二人の絆は深まる」と書いてある…!』
レティシアさんは、少し離れた場所で自己のエネルギーコアの最適化作業を行いながらも、私たちの会話を静かに記録し、学習しているようだった。
時折、私が身じろぎするたびに、あるいはグラスに手を伸ばす拍子に、ガウンの合わせが少しはだける。
先生は必死に視線をグラスの琥珀色の液体に落としている。
『紅の書には「さりげない露出は、男性の視線を釘付けにする」と書いてある…!』
『計算通りですわ…!』
そんな先生の内心を知ってか知らずか、私はさらに酒を注ぎ足し、楽しそうに話を続けた。
そして、ふとした拍子にテーブルの上の古い羊皮紙を取ろうとして、足元がふらついた。
「あっ…!」
『これは…チャンス…!』
バランスを崩し、倒れそうになる私。
「危ない!」
先生は咄嗟に手を伸ばし、私の華奢な体を抱きとめる形になった。
ガウンはさらに大きくはだけ、私の柔らかなスリップ姿と、ほんのりと果実酒の香りが混じった甘い体温が、先生の腕の中に…!
『桃の書には「男性に抱きとめられる瞬間、恋は加速する」と書いてある…!』
『これは…まさにそのシチュエーション…!』
私の顔は、酔いのせいか、あるいは別の理由か、熟した林檎のように赤く染まっている。
「す、すまない、アリア君…大丈夫か?」
「は、はい…申し訳ありません、先生。少し…飲みすぎたようですわ…わ、私としたことが…」
私は、恥ずかしそうに顔を伏せたまま、先生の胸に顔をうずめるような形になった。
『先生の胸…温かいですわ…!』
◇
最近、夜になるとこうして先生と二人きりで、酒を酌み交わしながら語り合うのが常となっていた。
22年という長い歳月の間に、お互いがどんな道を歩んできたのか。
何を思い、何に苦しみ、そして何に喜びを見出してきたのか。
それは、私にとっても、かけがえのない時間だった。
『紫の書には「二人だけの時間は、恋を育む」と書いてある…!』
そして、私の服装は――
日を追うごとに、どこか大胆になっている。
本人は「合理的で動きやすいですから」「これは特殊な魔力繊維でできていて、防御力も…」などと力説しているが。
『紅の書には「大胆な服装は、男性の心を揺さぶる」と書いてある…!』
『計算通りですわ…!』
◇
そんなある夜、いつものように先生と語り合っていると、先生は、ふと、何かを意を決して尋ねてきた。
「…アリア君。こんなことを聞くのは、本当に野暮で、失礼なことだと分かっているんだが…。君ほどの才能と美貌があれば、これまで…その、言い寄ってくる男性も、大勢いただろうと思う。君は、ここまで俺に付き合ってくれて、危険な橋も渡らせてしまった。…君には、その…将来を誓った相手とか、あるいは今、付き合っている男性は、いないのだろうか?」
『え…?先生が…私の恋愛について…?』
私は、きょとんとした顔で先生を見た。
そして、グラスに注がれた琥珀色の液体をゆっくりと揺らしながら、少し首を傾げ、こともなげに答えた。
「男性、ですか…? いいえ、わたくし、一度もおりませんでしたが…それが何か?」
「……は?」
先生は、思わず間の抜けた声を出した。
「い、一度もいない、だと? 君ほどの女性が? そ、そんな馬鹿な…冗談だろう?」
「いいえ、本当ですわ。わたくし、昔からゴーレム技術や錬金術の研究に夢中で…男性とお付き合いするとか、そういうことにあまり興味が持てなくて。それに、手も握ったことなど…もちろん、ございませんわ。…何か、おかしなことでしょうか?」
私は、少し頬を赤らめながらも、真っ直ぐな、一点の曇りもないアイスブルーの瞳で先生を見つめて言った。
『これは…本当のことですもの…!』
『蒼の書には「純真さは、男性の心を打つ」と書いてある…!』
先生は、頭の中で激しく混乱しているようだった。
その日は、私も少し飲みすぎたのかもしれない。
あるいは、長年秘めていた想いや、慣れない共同生活の緊張が、ふとした瞬間に解けたのかもしれない。
会話の途中で、私はこくりこくりと舟を漕ぎ始め、やがて先生の肩にこてんと頭をもたせかけるようにして――
『先生…温かいですわ…!』
私は、静かな寝息を立て始めた。
先生の規則正しい心拍と、微かに香る果実酒の甘い匂い、そして無防備にもたれかかる柔らかな感触と温もり。
『桃の書には「無防備な姿は、男性の保護欲を刺激する」と書いてある…!』
私は、意識が遠のいていくのを感じながら――
『計算通り…いえ、計算以上ですわ…!』
そう思った。
私の「先生攻略作戦」は――着実に、前進していた。




