第22話 リューン地下迷宮と、鉄鼠の牙
月のない夜。
自由都市リューンの廃坑区画は、地上の喧騒とは裏腹に、不気味な静けさと、澱んだ空気、そして微かな金属と油の匂いに支配されていた。
エルリック様が仕掛けた陽動の爆発音と混乱の余韻が、遠くから風に乗って微かに届いてくる。
「…陽動は成功しているようだな。レティシア、状況は?」
闇に紛れ、廃坑の入り口へと続く岩陰を進みながら、先生は耳元の通信魔道具に小声で尋ねた。
私は、先生のすぐ後ろに続き、息を潜めている。
『桃の書には「危険な状況を共にすることで、二人の絆は深まる」と書いてある…!』
『今夜こそ、先生との距離を縮めるチャンス…!』
【マスター、アリア様。エルリック様の陽動により、鉄鼠組の主力の半数以上が南地区へ向かいました。現在、廃坑区画及び『黒曜石の間』周辺の警備は手薄になっています。ただし、油断は禁物です】
エルリック様の隠れ家で待機しているレティシアさんの冷静な声が、私たちに最新情報をもたらす。
「了解した。アリア君、例の魔道具を。レティシア、我々の正確な位置と、最初の見張りまでの最短ルートを」
「はい、先生!」
私は、腰のポーチから手のひらサイズの円盤状の魔道具を取り出し、起動させた。
これは、周囲の魔力探知を一時的に攪乱し、姿を隠す効果はないものの、魔力的な痕跡を曖昧にするエルリック様の秘薬が塗布された特殊な布と組み合わせることで、限定的ながらステルス効果を発揮する。
『私の技術と、エルリック様の錬金術の融合…完璧ですわ…!』
【現在位置より北へ200メートル、右手の分岐路へ。その後、緩やかな下り坂を150メートル。最初の固定監視ポイントには二名。武装は剣とクロスボウ。魔力反応は低いですが、油断しないでください】
レティシアさんの的確なナビゲーションに従い、私たちは廃坑の奥深くへと足を踏み入れた。
湿った壁、不規則に続く坑道、そして時折聞こえる水滴の音。
「…先生、大丈夫ですか? 少し顔色が…」
私は、心配そうに先生の顔を覗き込んだ。
『紫の書には「男性を気遣うことで、好感度が上がる」と書いてある…!』
「ああ、問題ない。少し…昔を思い出しただけだ」
先生は短く答え、気を引き締める。
やがて、レティシアさんが警告した最初の監視ポイントが見えてきた。
二人の鉄鼠組の組員が、手持ちのランタンの明かりを頼りに、退屈そうに通路を見張っている。
「アリア君、俺が右のクロスボウ持ちを引きつける。君は左の剣士を。音を立てずに頼む」
「了解ですわ!」
私たちは、まるで長年コンビを組んできたかのように、無言の合図で同時に動き出した。
先生が小石を投げて物音を立て、クロスボウ持ちの注意を引いた瞬間、私は背後から剣士に忍び寄り、その首筋に手刀を的確に叩き込む。
剣士は、声もなく崩れ落ちた。
『やりましたわ…!』
クロスボウ持ちが異変に気づき振り向いた時には、既に先生がその懐に飛び込み、同様に意識を刈り取っていた。
【見事です、マスター、アリア様。次の監視ポイントまで70メートル。ただし、そこには巡回中のグループ(三名)が合流する可能性があります。合流予測時刻まで、あと90秒】
「ちっ、厄介だな。急ぐぞ!」
レティシアさんの情報支援と、私たちの連携により、私たちはいくつかの監視ポイントを巧みに突破していく。
『蒼の書には「共同作業は二人の絆を深める」と書いてある…!』
『先生との連携…完璧ですわ…!』
しかし、目的地である『黒曜石の間』が近づくにつれ、警備は厳重になり、通路には巧妙な罠も仕掛けられているのが見て取れた。
【マスター、前方通路の床下3メートルに感圧式の落とし穴。その先、天井部分に毒ガス噴射装置の反応。迂回ルートを推奨します】
レティシアさんの警告がなければ、今頃どうなっていたことか。
『レティシアさん…頼りになりますわ…!私の最高傑作…!』
そして、ついに私たちは広大な地下空洞へと続く、重々しい鉄の扉の前にたどり着いた。
「ここが…『黒曜石の間』か」
扉の隙間からは、黒曜石の壁が放つ鈍い光と、複数の人間の気配、そして…ひときわ強大な魔力の圧力が感じられた。
ギデオンだ。
【マスター、この扉には高度な魔法的ロックと、物理的なカンヌキが施されています。アリア様の魔法でも解除には時間がかかるかと。そして…内部からの通信で、ギデオンが何者かの侵入に気づき、警戒態勢を強化した模様です】
「…どうやら、エルリック様の陽動も、時間切れが近いようだな」
先生が、舌打ちした。
その時、私はふと壁の一点を見つけた。
「先生、あそこ…通気孔のようですわ。かなり小さいですが、もしかしたら…」
そこには、大人が通るには明らかに小さいが、何かを滑り込ませるには十分な大きさの、古い通気孔の格子があった。
『これは…チャンス…!』
「レティシア、あの通気孔から内部の様子を偵察できるか? あるいは、何か…小型のユニットを送り込むことは?」
先生の言葉に、レティシアさんは一瞬沈黙した後、答えた。
【マスター、私の直接的な潜入は困難です。しかし…エルリック様の工房で、アリア様が試作されていた『アレ』のデータが私のメモリにバックアップされています。もし、マスターが許可されるなら、この場で簡易的な小型偵察ユニットを『印刷』し、あの通気孔から送り込むことが可能ですが…】
「『アレ』…まさか、アリア君、君が諦めきれずに設計図を改良していたという、あの…」
私は、少し顔を赤らめながらも、しかし真剣な表情で頷いた。
「はい。あのデザインなら、敵も油断するかもしれませんし…」
『リカちゃんゴーレム…いえ、ヒューマノイド・ユニットMk-II…!』
『私の発明が、ついに役に立つ時が来ましたわ…!』
【マスター、アリア様の『ヒューマノイド・ユニットMk-II(偵察特化型)』の3Dプリンティングを開始しますか? 素材は、マスターの非常用カバン内の予備パーツと、この廃坑の金属片を流用します。所要時間、約120秒。ただし、バッテリー持続時間は極めて短時間です】
先生は、天を仰ぎたくなったようだった。
「…分かった。やむを得ん。レティシア、その『リカちゃんゴーレム…いや、ヒューマノイド・ユニットMk-II』の印刷を開始してくれ。アリア君、君は扉のロック解除の準備を。俺は周囲を警戒する」
『やった…!先生が認めてくださった…!』
『私の発明が、先生の役に立つ…!』
私は、内心でガッツポーズをした。
『蒼の書には「技術力を認められることで、男性に尊敬される」と書いてある…!』
『計算通り…いえ、計算以上ですわ…!』
リューンの地下深く、鉄鼠組の拠点『黒曜石の間』を目前にして、私たちの奇想天外な潜入作戦が、新たな局面を迎えようとしていた。
そして、その作戦の成否を左右するのは、私の『可愛いは正義』という、揺るぎない信念が生み出した、小さな人形――
私の「先生攻略作戦」は、思わぬ形で実を結ぼうとしていた。




