第21話 リアルとドールと羞恥心、そして爺の眼差し
「さあ、先生? ぐずぐずしていると、夜が明けてしまいますわよ?」
私は、悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、先生の手にアリアMk-IIの下着の紐を、有無を言わさず握らせようとした。
先生は、もはや抵抗する気力も失せかけているようだった。
『紅の書には「押しの強さは、恋愛を進展させる」と書いてある…!』
『計算通りですわ…!』
半ば諦観の境地で、先生はアリアMk-IIの『防護肌着』の素材感や縫製を、できる限り客観的に、事務的に、確認しようと努めていた。
「…ふむ。確かに、この繊維の編み込み方は特殊だな。魔力の流れを考慮しているのか…? それに、この微細な金属糸は…魔力抵抗を高めるためか、あるいは何らかのセンサー機能も兼ねているのか…?」
先生がブツブツと専門的な分析を始めると、私は嬉しくて顔を輝かせた。
『先生が…私の技術を理解してくださっている…!』
「さすが先生ですわ! お分かりになりますのね! その金属糸は、日本で先生が研究されていた『超極細ナノチューブ繊維』のデータを元に、私がアストリアの魔法金属と融合させて試作したものなのです! これによって、魔力抵抗だけでなく、物理的な強度も飛躍的に…」
「…で、アリア君。一つ聞いてもいいか?」
先生は、私の説明を遮って、静かに尋ねた。
「この…人形の、その…胸部装甲の下にある、この小さな膨らみは何だ? 単なるデザインか? それとも、何か機能的な意味が…?」
先生が指差したのは、アリアMk-IIの胸の、明らかに『女性的な丸み』を帯びた部分だった。
私は、一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに悪戯っぽく微笑んだ。
『紅の書には「大胆な提案は、男性を動揺させる」と書いてある…!』
「あら、先生。そこまで詳細に観察してくださるとは、技術者冥利に尽きますわ。…ですが、それは比べる対象がございませんと、評価が難しいのではなくて?」
「…は?」
「比べますか? わたくしは、いつでも問題ありませんが?」
そう言うと、私は自分の胸元に手を当て、蠱惑的に首を傾げた。
いつの間にか、私もアリアMk-IIと寸分違わぬ、例の『防御結界付き最新素材下着』姿になっている。
『桃の書には「意外性は、恋愛のスパイス」と書いてある…!』
『計算通り…いえ、計算以上ですわ…!』
「…いや、比べる必要など全くない! 断じてない! というか、アリア君、君は本当に何を目指しているんだ!? こんな、こんなリアルな人形の、そんな細部まで作り込む必要がどこにあるというんだ!?」
先生の悲痛な叫びに、私は少し頬を膨らませた。
「失礼ですわね、先生。これは『リアリティ』こそが命の潜入補助ユニットですのよ? 細部の作り込みが、任務の成否を分けることもあるのです。それに…」
私は、ふっと表情を和らげ、少し照れたように言った。
「…モデルが良いのですから。細部の隅々まで、わたくし自身が、ですから…」
『紅の書には「自信満々な態度は、男性を圧倒する」と書いてある…!』
「えっ!?」
先生は、今度こそ本当に言葉を失い、そして全身から力が抜けていくようだった。
レティシアさん(本物のアンドロイド)が、その一部始終を冷静に記録・分析していた。
【マスターの思考パターンに著しい混乱を検知。アリア様の『モデル、細部の隅々まで私ですから』という発言がトリガーとなった可能性98.7%。マスターの羞恥心と好奇心の閾値に関するデータを更新します】
『羞恥心と好奇心の閾値…?』
工房の隅では、エルリック様が肩を震わせながら、手にした魔晶石(もちろん記録用だ)に魔力を込め続けていた。
「ふぉっふぉっふぉ…近頃の若いもんは、積極的じゃのう…いやはや、感心感心。ライナスの娘も、隅に置けんな…」
◇
「…も…もう…むり……」
か細い声を最後に、先生は糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ち、壁にもたれてぐったりと意識を手放しかけた。
「先生!? 大丈夫ですか!? 先生っ!」
私は、慌てて先生に駆け寄った。
『ま、まさか…やりすぎましたの…!?』
さすがに先生のあまりの消耗ぶりに気づき、私は心配そうな顔つきになった。
「やはり、この『防護肌着』の魔力効率が良すぎて、先生の精神に過度な負荷を与えてしまったのでしょうか…? それとも、わたくしのこの姿が、あまりにも魅力的すぎたとか…?」
『蒼の書には「男性の体調を気遣うことで、好感度が上がる」と書いてある…!』
「マスターのバイタルサインに急激な低下を検知。血圧、心拍数ともに危険水域です。精神的ショック及び極度の疲労によるものと推定。即時、休息が必要です」
レティシアさんが、冷静な分析結果を告げた。
「ふぉっふぉっふぉ…ライナスの娘よ、さすがにやりすぎじゃ。その奇妙な人形と、おぬしのその刺激的な格好は、この朴念仁な小僧にはまだ早すぎたようじゃな」
いつの間にか工房の隅から現れたエルリック様が、肩を震わせながらも、どこか楽しそうに言った。
「その『リアル人形』とやらは、一旦布でも被せてしまっておけ。こやつが完全に魂の抜け殻になる前にの」
エルリック様の言葉に、私もようやく自分の行動が引き起こした事態の深刻さを理解したのか、少し顔を赤らめ、バツが悪そうに頷いた。
「…は、はい。申し訳ありません、エルリック様。先生、少しお休みください」
私は、レティシアさんに手伝ってもらいながら、先生を工房の隅にあった簡素な寝台へと運んだ。
そして、例のリアルすぎる人形たちには、大きな布がそっとかけられた。
『やりすぎましたわ…でも…少し、効果がありすぎましたわね…』
◇
どれくらいの時間が経っただろうか。
先生がゆっくりと目を開けた。
「…気がつかれましたか、先生?」
私は、心配そうに先生の顔を覗き込んだ。
いつの間にか、まともな旅装に着替えている。
「…ああ。すまない、少し…キャパオーバーだったようだ」
先生は、力なく苦笑した。
「アリア君、頼むからもう俺の精神を試すようなことはしないでくれ…心臓に悪い…。それと、あの『リアル人形』は、今後の作戦で本当に、本当に必要になるその時まで、厳重に封印しておいてくれ。あれは…戦略兵器だ。主に俺の精神に対する」
「…はい。申し訳ありませんでした、先生。少し…調子に乗りすぎましたわ」
私は、しおらしく反省の言葉を口にした。
でも、内心では――
『でも、先生の心拍数は過去最高値を記録しましたわ…!』
『これは…効果があったということ…!』
『紅の書の教え通り…「大胆な行動は、男性の心を揺さぶる」…!』
「…気を取り直して、本来の目的である偵察及び戦闘支援用の小型ゴーレムの設計を急ごう」
先生は、無理やり体を起こしながら言った。
「レティシア、日本で見たドローンのデータを元に、コロのような動物型の基本フレームをいくつか提案してくれ。アリア君、君のゴーレム技術とエルリック様の錬金術で、それに搭載可能な小型の魔力コアと、特殊機能を付与できないか検討してほしい」
先生の言葉に、私とレティシアさんは力強く頷いた。
工房の空気は、ようやく本来の作戦準備の緊張感を取り戻しつつあった。
私は、布で覆われた『リアル人形』の方をチラリと見て、小さく呟いた。
「…いつか必ず、この子たちが先生のお役に立つ日が来ますから。その時は…覚悟していてくださいね?」
『桃の書には「準備した武器は、必ず使う時が来る」と書いてある…!』
『私の「先生攻略作戦」は、まだまだ続きますわ…!』
私は、内心でニヤリと微笑んだ。
そして、エルリック様は、こっそり記録した魔晶石を眺めながら、「ふむ、これは高く売れそうじゃ…いやいや、貴重な研究資料じゃな、うん」と、一人ご満悦で次の『面白そうなこと』を期待しているのだった。




