第2話 狩人の小屋と、乙女の暴走
謁見の間で先生が追放されてから、私は必死で動いた。
幸い、私には信頼できる部下の騎士が何人かいる。彼らに頼み、先生が王都の城門を出た後、西の森外れにある古い狩人の小屋へ案内するよう手配した。
そして、私自身も工房から必要な工具や魔石、そして――念のため、先生のために用意しておいた『特別な物資』を持って、夜陰に紛れて小屋へと向かった。
『先生…無事でいてくださいね…!』
森の中を急ぎながら、私の胸は高鳴っていた。
22年ぶりの再会が、あんな形になるなんて。
でも――
『あのパンツ一丁の先生…情けなかったけど…でも…なんだか…愛おしくて…』
私は、自分の頬が熱くなるのを感じた。
『いえいえ!今はそんなことを考えている場合ではありません!まずは先生の無事を確認して、それから…』
それから――
私が密かに研究してきた『5冊の恋愛指南書』の出番だ。
特に、桃の書(著:フローラ)には、こう記されている。
『――疲れた殿方を癒やすのは、母のような包容力とお風呂と手料理です。温かいお湯で心身を癒やし、背中を流して差し上げれば、彼の心は必ずあなたに開かれます』
『お風呂…背中を流す…!』
私は、自分が持ってきた荷物の中に、上質な石鹸とタオルが入っていることを確認した。
『完璧ですわ!これで先生を癒やして、そして…!』
紅の書(著:ソレイユ)にはこうもある。
『――好機は一瞬。殿方が弱っている時こそ、積極的に攻めるべし! 遠慮は無用!』
『そ、そうですわね…!先生が弱っている今こそ、私が支えて、そして…!』
私は、決意を新たに、狩人の小屋へと急いだ。
小屋に到着した時、先生は既に部下の騎士の案内で到着していた。
薄暗い小屋の中、先生は床に座り込み、動かなくなったコロを抱きしめていた。その背中は、あまりにも小さく、そして寂しそうに見えた。
「先生…いえ、ヨルグさん。ご無事で何よりです」
私が声をかけると、先生は驚いたように顔を上げた。
「アリア君…!君まで来てくれたのか…」
その声は、疲労と感謝が入り混じっていた。
『先生の声…かすれてる…可哀想…でも、これは私が癒やしてあげなくては…!』
「当然ですわ。私は先生の元教え子です。そして――」
私は、少しだけ頬を染めながら続けた。
「技術者として、コロさんのあの状態を見過ごすわけにはいきません」
私は、持ってきた工具や魔石を作業台に広げた。
「まずは、コロさんの状態を診断させてください。それと――」
私は、小屋の奥にある湯殿を指差した。
「先生、長旅でお疲れでしょう。私が奥に湯を沸かしておきました。まずは、お体を休めてください」
「アリア君…すまない。助かる」
先生は、感謝の表情を浮かべ、コロの『核』とAIスマホを私に託すと、湯殿へと向かった。
『さて…ここからが本番ですわ!』
私は、桃の書を思い出しながら、そっと湯殿の扉に近づいた。
中からは、先生が湯船に浸かる音が聞こえる。
『文献によれば、「疲れた殿方を癒やすには、お風呂で背中を流すのが最も効果的」とのこと。これは、絶好のチャンスですわ!』
私は、深呼吸をすると、扉をノックした。
「ヨルグさん? お湯加減はいかがですか?」
私は、できるだけ優しく、そして母性的な(と私が思っている)声で尋ねた。
「ああ、ちょうどいいよ。ありがとう、アリア君」
先生の声が、扉越しに聞こえてくる。
『よし…ここで、次の一手…!』
「それでしたら…あの…」
私は、声を少し甘くした。
(これは紫の書の『視線と吐息だけで』のテクニックの応用ですわ!)
「わ、わたくしも、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「ぶっ!?」
先生が、明らかに湯を吹き出す音がした。
『成功…?いえ、驚かせてしまっただけかしら…?』
「な、何を言っているんだアリア君! 男女が一緒に入るなんて…!」
『あら? おかしいですわね…桃の書には「お風呂で背中を流せば心が通じ合う」と…』
「あら、何を恥ずかしがっていらっしゃるのです?」
私は、できるだけ冷静に、そして合理的に(と私が思っている)説明した。
「疲れた殿方を癒やすには、肌と肌を触れ合わせ、背中を流して差し上げるのが『究極の癒やし』ですわ。それに、入浴中の無防備な状態こそ、腹を割って話せる『裸の付き合い』という合理的な交渉の場でもありますのよ?」
私は、桃の書と、蒼の書(著:ルナリア)の教えを混ぜ合わせた、完璧な理論だと確信していた。
「アリア君、話なら後で…!」
しかし、先生の制止も虚しく、私は扉を開けた。
中には、湯船に肩まで浸かった先生の姿があった。
22年ぶりに見る先生の体は、思ったよりも鍛えられていて、そして――
『きゃああああ!先生の裸!いえ違う!これは医療行為!癒やし行為!決してやましい気持ちは…!』
私は、自分の顔が真っ赤になるのを感じながらも、できるだけ平静を装った。
「ちょ、アリア君! だから、それは…!」
「ご心配なく。私も…あ」
私は、自分が工房用の簡素な肌着姿になっていることに気づいた。
小屋に来る前に、念のため着替えやすい格好にしておいたのだが――
『まずい…これは紅の書の「大胆な肌見せ」になってしまっていますわ…!でも、引くわけにはいきません!』
「ご、ご心配なく…わたくしは、ただ先生の背中を…」
しかし、先生は私の言葉を最後まで聞かずに、半ば強引に湯船から上がった。
「わ、私が出る! 君はゆっくり入ってくれ! 話はその後にしよう!」
慌ててバスタオルを体に巻き付け、先生はそそくさと湯殿を後にした。
一人残された私は、その場に呆然と立ち尽くした。
『…失敗…?』
私は、肩を落とした。
『桃の書には「お風呂で背中を流せば心が通じ合う」と書いてあったのに…紅の書には「大胆に攻めよ」と…一体、どこが間違っていたの…?』
私は、自分が持ってきた5冊の恋愛指南書を思い浮かべた。
蒼の書は「一歩引いた淑女」を推奨している。
でも、紅の書は「積極的に攻める」ことを勧めている。
桃の書は「母性」を、紫の書は「妖艶さ」を、黒の書は「計算ずくの無邪気さ」を説いている。
『全部の教えを実践しようとしたのが、間違いだったのかしら…?』
私は、ため息をつきながら、湯船に体を沈めた。
温かいお湯が、私の疲れた体を癒やしてくれる。
そして――
湯船に、微かに残る先生の香りを感じた。
『あ…これは…』
それは、謁見の間で感じた、あのラベンダーの香りだった。
でも、こうして静かな場所で嗅ぐと、あの香りは決して「悪臭」などではなかった。
むしろ、とても優しく、心が落ち着く、不思議な香りだった。
「これが、先生の匂い…。素敵ですわ…」
私は、うっとりとその香りに包まれた。
『先生がまとっていたのは、この優しい香りだったの…? だとしたら、殿下や皆さんはなぜあんなに…』
私は、疑問を感じながらも、その心地よい香りに身を委ねた。
その時だった。
小屋の外から、複数の男たちの怒声と、扉を激しく叩く音が響き渡った!
「見つけたぞ、反逆者ヨルグ・シュタイン! そして、それを匿った罪深き女、アリア=セレスティアめ! 大人しく出てこい!」
『追手…!? こんなにも早く…!?』
私は、湯船から飛び出し、咄嗟にバスタオルを体に巻き付けた。
しかし、濡れた床に足を取られ、バランスを崩した。
「きゃっ…!」
次の瞬間、湯殿の扉が開き、先生が飛び込んできた。
「アリア君!」
先生は、危機的状況にも関わらず、バスタオル姿で床にへたり込む私の姿に一瞬言葉を失った。
『きゃああああ!先生が見てる!私のバスタオル姿を!これは黒の書の「見えないところにこそ大胆な罠」状態…じゃなくて!今は逃げないと!』
でも、先生はすぐに私を抱きかかえた。
「『コロ』! 起動しろ! 日本へ飛ぶぞ!」
先生は、私を抱きかかえたまま、腕の中の『コロ』(まだ修理・調整の途中だった)の起動スイッチを強制的に入れる。
『先生の腕の中…温かい…強い…これは桃の書の「殿方の腕の中で守られる」シチュエーション…!』
AIスマホの画面には、『コロ』のシステムが悲鳴を上げるかのような警告メッセージが赤く点滅した。
【警告:システム未調整。次元ゲート起動は高負荷。本体損傷の危険性大】
「構うな! やるんだ、『コロ』!」
『コロ』の瞳が、赤い警告灯のように激しく明滅する。
青白い閃光が小屋を満たし、私と先生の姿を包み込む。
追手の兵士たちがなだれ込もうとした瞬間、二人の姿は閃光と共に消え失せていた。
小屋には、私がハンガーに掛けたスーツと、そして机の上には数冊の薄い本――背表紙にそれぞれ色の名が記された、私がこっそり持ち込んだ『恋愛指南書』――が、寂しく残されていた。
強烈なGと、空間が引き裂かれるような感覚の後、私は固い床の上で荒い息をついていた。
先生の腕の中で、私はまだバスタオル一枚を体に巻き付けているだけだった。
「アリア君、大丈夫か?」
先生の心配そうな声が聞こえる。
『先生の声…優しい…そして、私は先生の腕の中…これは…これは…!』
私は、自分の状況を理解した。
バスタオル姿で、先生に抱きかかえられている。
これは――
『紫の書の「視線と吐息だけで彼を依存させる」状態…!いえ違う!まずは状況確認を…!』
周囲を見渡せば、そこは見たことのない、奇妙な部屋だった。
薄暗い蛍光灯の光、プラスチック製の家具、ビニールのカーテン……見たこともない物質ばかりだ。
「ここは……どこ……?」
私は、混乱しながら尋ねた。
「ここは…日本だ。俺が22年間過ごした、異界日本のアジトだ」
先生の言葉に、私は息を呑んだ。
『異界日本…!先生がいらっしゃった場所…!そして、私は今、バスタオル一枚で…!』
私は、自分の格好に気づき、顔を真っ赤にした。
「あ……わ、私としたことが……こんな……は、恥ずかしい……!」
バスタオルを固く握りしめ、身を縮める私。
『でも…これは…ある意味、チャンス…?先生と二人きり、異界で、私はバスタオル姿…これは黒の書の「計算ずくの無邪気さ」を発揮すべき…?いえ、まずは落ち着いて…!』
私の乙女心と、恋愛指南書の知識が、激しく交錯していた。
そして、私の異界での冒険と、先生への「全力アプローチ作戦」は、今、始まったばかりだった――。




