第16話 陽動の爆炎と、闇に潜む影
自由都市リューンの夜空を、季節外れの紅蓮の炎が焦がした。
ドォォォォン……!!
腹の底に響くような重低音と共に、南地区の倉庫街から火柱が上がる。
それは、老錬金術師エルリック様が仕掛けた、特製の陽動だった。
「始まりましたわね…!」
廃坑区画の入り口、岩陰に潜んでいた私は、赤く染まる空を見上げて小さく呟いた。
隣には、先生。
そして、光学迷彩機能を起動し、闇に溶け込んだレティシアさん。
私は、旅装の下に「それ」を着込んでいる。
黒いレースの下着――いえ、私にとっての「戦闘服」。
『紅の書の教え…「見えないところにこそ、大胆な罠を仕掛けよ」…!』
『これで、どんな困難も乗り越えられますわ…!』
「時間通りですわね。さすがエルリック様、派手にやってくださいましたわ」
私は、緊張で少し硬くなった声で囁いた。
「ああ。鉄鼠組の連中も、火消しと野次馬の整理でてんてこ舞いだろう。……行くぞ」
先生の合図と共に、私たちは廃坑の闇へと滑り込んだ。
◇
中は湿気が多く、カビと錆びた鉄の匂いが鼻を突く。
足元はぬかるみ、天井からは絶えず水滴が落ちてくる劣悪な環境だ。
『こんな場所で…でも、先生と一緒なら…!』
【マスター、アリア様。聴覚センサー及びソナーを最大感度に設定。この先、複雑な分岐が続きますが、最短ルートをナビゲートします】
レティシアさんの冷静な声が、通信魔道具を通じて鼓膜に直接響く。
彼女が事前にハッキングして入手した地下地図と、リアルタイムの索敵情報が頼りだ。
『レティシアさん…本当に頼りになりますわ…!私の最高傑作…!』
私は、内心で誇らしく思った。
慎重に進むこと数分。
【前方50メートル、角を曲がった先に生体反応二つ。心拍数安定。会話パターンから、鉄鼠組の見張り番と推測されます。武装はショートソードと軽装鎧】
レティシアさんの警告を受け、先生は足を止めた。
私にハンドサインを送る。
――右は俺がやる。左はお前だ。音を立てるな。
私は小さく頷いた。
そして、懐から、エルリック様の工房で作った即席の魔道具「音響遮断玉」を取り出した。
『蒼の書には「二人で協力することで、絆は深まる」と書いてある…!』
『これは、まさにそのシチュエーション…!』
角を曲がると、ランタンの薄明かりの下、二人の男が退屈そうにカード遊びに興じているのが見えた。
「あーあ、南の方は祭り騒ぎだってのによ。なんで俺たちだけこんなジメジメした穴蔵で番兵なんだか」
「違げぇねえ。ギデオンの旦那も慎重すぎるぜ。こんなゴミ溜め、誰も来やしねえよ」
男たちが欠伸をした、その瞬間。
先生が疾風のように飛び出した。
22年間の潜入任務で培った、足音を殺す歩法。
男の一人が気配に気づき、「あ?」と顔を上げた時には、既に先生の手刀が彼の首筋に食い込んでいた。
声もなく崩れ落ちる男。
『先生…かっこいいですわ…!』
もう一人が驚愕に目を見開き、剣に手をかけようとする。
だが、それより速く、私は「音響遮断玉」を放った。
キィィィン……。
特殊な周波数が男の三半規管を狂わせ、平衡感覚を奪う。
男がよろめいた隙に、私は流麗な動きで懐に飛び込み、強化魔法を乗せた掌底を鳩尾に叩き込んだ。
「うぐっ……」
男は呻き声を上げることすらできず、白目を剥いて気絶した。
「……ふぅ。なんとかなりましたわね」
私は、乱れた前髪を払いながら、小声で言った。
『紫の書には「戦う女性は、男性に頼もしく映る」と書いてある…!』
『先生、私の成長した姿、見てくださいましたわね…!』
「見事だ、アリア君。……だが、奥へ進むほど警備は厳しくなる。気を抜くなよ」
先生が、私を見て頷いた。
その眼差しには、頼もしさが宿っている。
『先生に褒められた…!』
私の心臓が、高鳴った。
◇
その後も、レティシアさんの探知能力と、私の魔道具、先生の暗殺術を駆使し、私たちはいくつかの罠と見張りを突破していった。
やがて、通路の空気が変わった。
湿気を含んだ風ではなく、ピリピリとした濃密な魔力の波動が肌を刺す。
通路の突き当たり。
そこには、周囲の岩肌とは明らかに異質な、黒光りする巨大な鉄扉がそびえ立っていた。
最深部、『黒曜石の間』への入り口だ。
「……ここですわね」
私は、扉を見上げた。
扉の隙間から、禍々しいプレッシャーが漏れ出している。
「中にいるな。ギデオン……魔力強化の改造人間か」
先生が、剣の柄を強く握りしめた。
【肯定します、マスター。内部に高エネルギー反応を持つ生体反応を確認。その他、武装した反応が多数。完全警戒態勢です。正面突破の成功率は極めて低いと判断されます】
レティシアさんの無慈悲な分析。
でも、ここで引くわけにはいかない。
「分かっている。だが、時間がない。エルリック様の陽動効果が切れて、南に向かった連中が戻ってきたら挟み撃ちだ」
先生が、厳しい表情で言った。
そして、私を見た。
私の顔は緊張で強張り、白くなっている。
自分でもわかる。
でも――
『桃の書には「困難な状況こそが、二人を結びつける」と書いてある…!』
『ここで、先生との距離を一気に縮めるチャンス…!』
「行けるか?アリア君」
「はい、先生。ここまで来て、手ぶらでは帰れませんわ」
私は、強がって見せた。
そして、旅装の下の黒いレースの下着の襟元をギュッと握った。
『これは、私の「お守り」…!これがあれば、大丈夫…!』
「……それに、わたくしの『特殊スーツ』の性能テストも、まだ終わっていませんもの」
先生が、口元を緩めた。
「そうだな。頼りにしている」
その言葉に、私の胸が熱くなった。
『先生が…私を頼りにしてくださっている…!』
「開けるぞ」
先生が、重々しい鉄の扉に手をかける。
錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、ゆっくりと扉が開いていく。
その先に待つのが、希望の光か、それとも絶望の闇か。
私は、覚悟を決めた。
『先生を守る。そして、先生との距離を縮める』
『私の「先生攻略作戦」、ここからが本番ですわ…!』
私たちは、虎の尾を踏み込むように一歩を踏み出した。
――黒曜石の間へ。




