第15話 決戦の夜と、静寂の中の鼓動
決戦の朝。
目が覚めた瞬間から、心臓が早鐘を打っていた。
緊張か、武者震いか。
いいえ、これから始まる「先生との夜の密行」への期待だ。
私は寝袋から這い出し、誰も見ていないことを確認してから、鞄の底の「秘密兵器」を取り出した。
漆黒のレースがあしらわれた、勝負下着。
『これは下着ではありません。私の精神を武装する「対・先生用決戦兵装」ですわ!』
震える手でそれを身につける。
肌に吸い付くようなレースの感触。
鏡はないけれど、今の私は昨日の私よりも「イイ女」になっている。……はずだ。
『紅の書の教え通り、「見えない場所の自信」が、立ち振る舞いに余裕を生むのですわ…!』
『計算通りですわ…!』
「よし……展開完了!」
私は頬をパンと叩き、その上から黒い戦闘服を纏った。
◇
夜。
新月の闇がリューンを覆う頃、私たちは行動を開始した。
エルリック様の工房から廃坑区画までは、目と鼻の先だ。
「レティシア、陽動の準備は?」
「完了。エルリック様の『瞬間閃光混乱薬』、セット済み」
「よし。作戦開始だ」
ドォンッ!!
遠くで爆発音と閃光が走る。
「なんだ!?」「敵襲か!?」
鉄鼠組の見張りが慌てふためく隙を突き、先生が鋭く指示を出した。
「今だ、アリア君!」
先生の手が、私の手をぐっと掴む。
『ひゃっ……!』
手袋越しなのに、熱い。
先生に引かれ、私たちは裏口から廃坑の闇へと飛び込んだ。
『桃の書の教え…「手を繋ぐことで、二人の距離は一気に縮まる」…!』
『計算通り…いえ、計算以上ですわ…!』
地下通路は湿っぽく、カビと鉄錆の匂いが充満している。
足音が響きそうな石畳の通路で、私は懐から小さな魔道具を取り出した。
「『静寂の結界』、展開!」
フン、と空気が揺らぎ、私たちの周囲から一切の「音」が消えた。
足音も、衣擦れの音も、外の世界の音も遮断される、完全な隠密空間。
これなら誰にも気づかれない。完璧な魔道具だ。
――そう、思っていたのに。
ドクン、ドクン、ドクン……。
静寂の中で、とてつもなく大きな音が響き始めた。
私の心臓の音だ。
『うそ……っ!? この結界、外部への音は遮断するけど、内部の音は反響しちゃう仕様でしたの!?』
先生と手を繋いでいる。暗闇の中、二人きり。
私の鼓動は、爆音のようなビートを刻んでいる。
チラリと横を見ると、先生が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
(……アリア君、なんかすごく音が聞こえるんだけど……)
そう言いたげな目だ!
私は顔から火が出るのをこらえ、必死に「これは敵の足音です!」というジェスチャー(嘘)をして誤魔化した。
『ああ、もう…! こんなことなら、蒼の書の「冷静さを保つ」の章を復習しておくべきでしたわ…!』
◇
やがて辿り着いた最奥部、『黒曜石の間』。
そこは巨大な吹き抜けになっており、中央の取引台には、禍々しいほどに美しい青白い光が鎮座していた。
「間違いない……あれが『エネルギーコア』だ」
先生が音のない世界で口を動かす。読唇術で読み取る。
周囲には武装した男たち。
しかし、私たちの『静寂の結界』とレティシアさんの『認識阻害ハッキング』のおかげで、まだ気づかれていない。
私たちは影のように滑り込み、取引台へ肉薄した。
コアは、厳重な魔法錠のかかったケースに入っている。
「アリア君、頼めるか?」
「お任せください!」
私は工具を取り出し、魔法回路へのハッキングを開始する。
構造は複雑だが、先生のスマホ解析アプリと私の錬金術知識を合わせれば……!
カチャリ。
小さな振動と共に、ロックが外れた。
「やりました!」
私がケースを開けようとした、その瞬間。
「――そこにいるのは、ネズミか?」
ズゥン……!
空気が重くなるような圧力が、背後から襲いかかった。
振り返ると、そこに「それ」はいた。
身長2メートルを超える巨躯。
右半身が真鍮色の機械とパイプで覆われ、胸には赤黒く脈打つ魔石。
鉄鼠組リーダー、ギデオン。
「俺の魔眼は誤魔化せんぞ」
ギデオンの機械の右腕が唸りを上げ、私たちの『静寂の結界』ごと空間を薙ぎ払った!
ガキィィィン!!
「ぐっ……!」
先生がとっさに鉄パイプ(現地調達)で受け止めるが、重すぎる一撃に吹き飛ばされる。
結界が砕け、音が戻ってきた。
「先生!!」
「アリア君、コアを持って逃げろ! こいつは化け物だ!」
先生が叫ぶ。けれど、置いていけるわけがない!
ギデオンが私に狙いを定める。
「そのコアは俺の力の源だ。返してもらうぞ、小娘!」
迫りくる機械の腕。死の予感。
怖い。足がすくむ。
でも――
『桃の書は言っている。「愛する男の危機にこそ、女は戦乙女になれ」…!』
「誰が小娘ですか……!」
私は腰のポーチから、エルリック様直伝の失敗作……いえ、試作品を取り出した。
「これは『濃縮粘着スライム弾』ですわーーッ!!」
全力投球。
瓶がギデオンの顔面で砕け散り、ネバネバした緑色の液体が彼の視界と呼吸器を塞ぐ。
「ぐあぁ!? なんだこれは、取れん!?」
「今です、先生!」
私はコアを抱え、先生の手を引いて走り出した。
「す、すごいなアリア君! あれは何だ!?」
「エルリック様の鍋の洗い残しを濃縮したものです!」
「最悪だけど最高だ!」
◇
迷路のような通路を、私たちは転がるように逃げた。
背後からはギデオンの怒号が響いているが、粘着液のおかげで距離は開いている。
「はぁ、はぁ……ここまで来れば……!」
出口の光が見えた時、私の足が瓦礫に取られた。
「きゃっ!?」
派手に転びそうになった私を、先生が抱きとめる。
その拍子に、戦闘服の襟元が大きくはだけ、袖が岩に引っかかって裂けた。
ビリッ。
一瞬の静寂。
先生の視線が、私の破れた服の隙間に吸い寄せられる。
白く滑らかな肌と、そこに対比するように走る、漆黒のレースのストラップ。
「あ……」
先生が目を見開いた。
私も固まる。
『み、見られましたわ……!』
けれど、先生はすぐに顔を赤くして視線を逸らし、咳払いをした。
「い、急ごう! レティシアが待ってる!」
「は、はいっ!」
先生の手が、さっきよりも強く、そして少し優しく、私の手を握り直してくれた気がした。
『紅の書の教え…「見えないところにこそ、大胆な罠を仕掛けよ」…!』
『効果…ありましたわ…!』
◇
無事に工房へ戻った私たちは、泥と汗にまみれながらも、顔を見合わせて笑い合った。
手にはしっかりと、エネルギーコアが握られている。
「ありがとう、アリア君。あのスライム弾と、君の勇気がなければ危なかった」
先生が真っ直ぐに私を見て言う。
その瞳に、今までとは違う「熱」を感じて、私は胸がいっぱいになった。
部屋に戻り、鏡の前でボロボロの服を脱ぐ。
露わになった黒いレースの下着は、まだ妖艶な光を放っていた。
『ふふっ……効果、ありましたわよね?』
あの一瞬の先生の反応。
あれは間違いなく、男の人の顔だった。
私の「先生攻略作戦」は、地下迷宮での死闘を経て、大きな一歩を踏み出したのだ。
私はコアを抱きしめるように、胸の前で手を組んだ。
『桃の書の教え通り…「困難を共に乗り越えることで、二人の絆は深まる」…!』
『計算通り…いえ、計算以上の結果ですわ…!』
心臓のドキドキは、まだ止まりそうになかった。
――私の「先生攻略作戦」は、新たな段階へと進もうとしていた。




