第14話:決戦前夜と、黒いレースの決意
作戦決行まで、あと一日。
エルリック様の工房は、嵐の前の静けさと、焦げ付いた魔力回路の臭いに包まれていた。
私は作業台に向かい、潜入用ガジェットの最終チェックを行っている。
音を消すための『静寂の魔導具』。
緊急離脱用の『転移石』。
そして、闇を照らす『魔法ランタン』。
「出力安定、回路接続よし。これで一通りの準備は整いましたわ」
ドライバーを置き、私は満足げに頷く。
『蒼の書には「準備を怠らない女性は、男性に信頼される」と書いてある…!』
『技術者としての能力を見せることも、先生攻略の一環ですわ…!』
隣のメンテナンス台では、レティシアさんが再起動シークエンスに入っていた。
「アリア様、エネルギーブレードの出力制御、正常値を確認。推定戦闘継続時間、120分」
「2時間……十分ですわ。それ以上かかるようなら、そもそも作戦失敗で全滅コースですもの」
「了解。全滅回避を最優先事項に設定」
物騒な会話をさらりと交わしつつ、私は耳をそばだてる。
工房の奥では、先生とエルリック様が作戦の詰めを行っていた。
「陽動は、この『瞬間閃光混乱薬』を入り口で使用する。その隙に、俺とアリア君が内部へ」
「ふぉっふぉっふぉ、儂の秘薬で、ネズミどもをパニックに陥れてやるわい」
その会話を聞くたびに、胸の奥でドラムロールが鳴り響く。
『明日は……先生と二人きりで、暗くて狭い地下迷宮へ……!』
『これは、『桃の書』第3章にある「吊り橋効果の極致」……運命の試練ですわ!』
桃の書にはこうある。
「極限状態を共にすることで、脳内麻薬が分泌され、相手を運命の人と錯覚する(ただし、そのまま本命になる確率高し)」。
『錯覚でも何でもいい! 既成事実さえ作れれば勝ちですわ!』
『計算通り…いえ、計算以上の展開ですわ…!』
◇
夕方。
工房の隅、積み上げられた古書とガラクタの影で、私は明日の装備を点検していた。
動きやすさ重視の黒い戦闘服。
足音を消す加工を施した革ブーツ。
そして――
私は周囲を警戒しつつ、鞄の奥底から「それ」を取り出した。
月明かりを吸い込むような、漆黒のレースの下着。
『紅の書の教え……「見えないところにこそ、大胆な罠を仕掛けよ」』
これを着る意味。それは単なる自己満足ではない。
これは、私にとっての『精神防護障壁』なのだ。
もし明日、戦闘で服が破れたら?(キャー!)
もし、体勢を崩して先生に抱きとめられたら?(キャーッ!!)
そんな時、ヨレヨレの木綿の下着では、私のプライドは即死する。
しかし、この「最強の鎧」を身につけていれば――
『どんなハプニングも、「あざとい誘惑」へと昇華できますわ……!』
私は下着を握りしめ、武者震いした。
これは決意の証。女としての矜持。
「アリア君、何をしている?」
「ひゃいっ!?」
心臓が口から飛び出るかと思った。
私は光の速さで下着を鞄に押し込み、背後の先生へ振り返った。
「い、いえ! 何でもありませんわ! 明日の装備の耐久性試験を……!」
「そうか。俺も、少し話しておこうと思ってな」
先生が私の隣に、古い木箱を椅子代わりにして座る。
近い。体温が伝わる距離。
私の心拍数は、すでに戦闘モード(レッドゾーン)に突入していた。
『蒼の書には「二人きりの会話は、距離を縮める絶好の機会」と…!』
『落ち着きなさい、アリア=セレスティア…!これはチャンスですわ…!』
「アリア君」
「は、はい!」
「明日の作戦だが……危険な場所だ。もし君が少しでも不安なら、ここで待機していてもいいんだぞ」
先生の瞳は真剣だった。私の身を案じてくれている。
その優しさが嬉しくて、私は迷わず答えた。
「嫌です!」
「え?」
「あ、いえ、嫌なんかじゃありません!」
私は前のめりに、先生の目を見つめた。
「私は、先生と一緒に戦いたいんです。先生の背中を守りたいんです。それに……」
視線を少し伏せ、呟く。
「先生と共に困難を乗り越えることで、私はもっと成長できる気がしますの。……一人の技術者としても、女性としても」
最後の部分は、聞こえないくらいの小声で。
先生は一瞬目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、アリア君。……君がいてくれて、本当に心強いよ」
そう言って、先生の大きな手が伸びてきた。
私の頭に、ぽん、と乗せられる。
そして、優しく撫でられた。
――思考停止。
『せ、先生が……私の頭を……ナデナデ……!?』
脳内で警報が鳴り響く。
『紫の書』第5章! 「頭を撫でる行為は、守護欲求と親愛の表れ。脈あり度80%オーバー」!
『先生は……私を「守りたい対象」として認識してくださっている……!?』
ボンッ、と頭から湯気が出た気がした。
私は言葉にならず、ただコクコクと頷くことしかできなかった。
「明日は、頼むぞ」
先生が立ち去った後も、私はしばらく石像のように固まっていた。
手のひらの感触が、まだ残っている。
私は震える手で自分の頭を押さえ、鞄の中の「勝負下着」を見つめた。
『……明日は、絶対に成功させます。そして、この距離を……ゼロ距離にして差し上げますわ!』
◇
その夜。
寝袋の中で、私は枕元に並べた5冊のバイブルに祈りを捧げていた。
蒼、紅、桃、紫、黒。
かつては「敵の妻の本」だと知って動揺したけれど、今は違う。
彼女たちは、私の「恋の師匠」だ。
『蒼の書……知的な会話で、先生の理性を刺激します』
『紅の書……大胆な罠(下着)で、先生の本能を揺さぶります』
『桃の書……ピンチをチャンスに変えます』
『紫の書……癒しで包み込みます』
『黒の書……そして最後は、直接的な愛を』
私はそれぞれの表紙を撫で、目を閉じる。
不安がないと言えば嘘になる。
足手まといになる恐怖。先生を失うかもしれない恐怖。
でも。
「私には、技術がある。バイブルの知識がある。そして何より……」
先生への、暴走しそうなほどの想いがある。
私は鞄を抱きしめた。
『奥方様がた……どうか、迷える子羊(私)に、最強のご加護を!』
『明日は、必ず成功させてみせます…!』
『そして、先生との距離を…ゼロ距離に…!』
私は、黒いレースの下着をもう一度取り出し、胸に抱きしめた。
『これは、私の「戦闘服」。私の「お守り」。私の「決意の証」』
『どんなハプニングも、チャンスに変えてみせますわ…!』
――明日は、決戦の日。
私の「先生攻略作戦」は、地下迷宮という閉鎖空間で、ついに実戦フェーズへと移行する。
月明かりが、私の決意を静かに照らしていた。
――作戦決行は、明日の夜。
月のない、闇が最も深くなる時刻。
自由都市リューンの地下深くに眠る日本のオーバーテクノロジーと、それを巡る『陰謀』。
そして、私の恋の行方。
全てが、明日の夜に決まる――。




