第1話 最悪の再会と、乙女の決意
私の名前は、アリア=セレスティア。30歳。
アストリア王国でも指折りの技術者として、そして若くして独自の工房を構える才媛として、その名は広く知られている。
アイスブルーの知的な瞳、ダークブラウンの美しい髪、そしてスレンダーで均整の取れた、しなやかな肢体――周囲からは「氷の天才美女」などと呼ばれることもあるが、私自身は、そのような評価にはあまり興味がなかった。
なぜなら、私の心の奥底には、22年間ずっと消えない、ある人物への特別な想いがあったから。
それは、私がまだ10代の少女だった頃、ゴーレム技術の基礎を、そして世界の広さを教えてくれた恩師――ヨルグ・シュタイン。
彼が『異界日本』という未知の世界へ、国の命運を左右するかもしれない任務に旅立ってから、もう20年以上が経つ。
私は、いつか彼が帰還する日を夢見て、そして彼に再会した時に「成長したな」と認めてもらえるよう、必死に技術を磨き、知識を吸収してきた。
技術だけではない。
私は、密かに努力を重ねてきた。体を絞り、無駄な肉を落とし、しなやかな体のラインを維持するために、日々のストレッチと鍛錬は欠かさない。筋肉質になりすぎるのは先生の好みではないだろうから、あくまで機能美を追求した。
そして――恋愛の知識も。
闇ルートや貴族の裏ネットワークを駆使して集めた、伝説の恋愛指南書――通称『愛の聖典』と呼ばれる5冊の書物を、毎晩、熱心に研究してきた。
『――殿方の心を掴むのは、静寂と知性。清潔感のある装いと、一歩引いた淑女の態度こそが至高である』(蒼の書・著:ルナリア)
『――否! 待つだけが女ではない! 獲物を見つけたら、その瞬間に狩るのが礼儀である!』(紅の書・著:ソレイユ)
『――疲れた殿方を癒やすのは、母のような包容力とお風呂と手料理です』(桃の書・著:フローラ)
『――言葉はいらない。視線と吐息だけで、彼を依存させるの…』(紫の書・著:リリウム・ローズ)
『――計算ずくの無邪気さで翻弄しなさい。見えないところにこそ、大胆な罠を仕掛けるのです』(黒の書・著:セレス)
どの教えも魅力的で、私はそのすべてを実践しようと試みた。
全ては、いつか帰ってくる『先生』に、少しでも「いいな」と思ってもらいたい、という健気な乙女心からだった。
そして今日――ついに、その日が来た。
王宮からの緊急召集。理由は告げられないまま、謁見の間へと急ぐ。
胸騒ぎがした。
(まさか…!先生が…!?)
私は、最も知的に見えるチャコールグレーのタイトスカートのスーツに身を包んだ。シンプルな白いシルクのブラウスを合わせ、髪をきっちりとしたアップスタイルにまとめ、普段はあまりかけない銀縁の眼鏡をかけた。
鏡に映る自分は、完璧だった。
22年ぶりの再会。
きっと、あの頃のように、いえ、それ以上にカッコよく、そして頼もしい姿で現れるに違いない。
私は、胸を高鳴らせながら、謁見の間の扉をくぐった。
そして――
私は、見た。
スヴェン殿下の前に引き出された、信じられないほど変わり果てた姿の男を。
肩にバスタオルを引っ掛けただけの、ほぼ下着に近い姿。
その体からは、嗅いだことのない強烈なラベンダーの香りが漂い、手には場違いな洗濯カゴ(中には、ヨレヨレのパジャマと、ラベンダー入浴剤の空き缶が覗いている)と古びたカバン。
そして、何よりも私の目を引いたのは、彼が力なく抱きかかえている犬型のゴーレム――コロだった。
ヨルグ先生が、あれほど大切にしていたコロ。
しかし、その姿は私が記憶しているものとは似ても似つかないほど損傷していた。メタリックなボディには無数の亀裂が走り、一部の外装は剥がれ落ち、内部の複雑な機構が覗いている。そして、コロの瞳であるはずのセンサーは力なく光を失い、胸部の核と思わしき部分が、まるで風前の灯火のように弱々しく、不規則に明滅を繰り返していた。
(コロさんが…あんなに酷い状態で…!?)
私の技術者としての直感が、コロの異常な状態に警鐘を鳴らす。
(一体何が…!? あれは通常の損傷ではない。まるで、存在そのもののエネルギーを無理やり引き出されたような…)
そして、そのゴーレムを抱える先生自身の顔には、22年という歳月の疲労と、信じられないほどの絶望の色が浮かんでいた。
(…先生…? ヨルグ先生…!?)
私は息を呑んだ。
あの、誰よりも理知的で、完璧な能力を持ち、そしてアストリア最高のゴーレム技術者の一人であったはずの『先生』が、なぜこんな無残で、そしてあまりにも情けない姿で…!?
一瞬――ほんの一瞬だけ、幻滅しかけた。
でも。
先生の瞳を見た瞬間、私は全てを理解した。
疲れていた。傷ついていた。そして、何より――孤独だった。
22年間、たった一人で異界で戦い続けてきた人の瞳だった。
あの完璧だった先生が、こんなにも――
『…せ、先生…情けない…でも…可愛い…いえ違う!今はそんなことを考えている場合では…!』
私の心の中で、何かが決定的に弾けた。
(違う…何かがあったんだ。先生が、こんな簡単に全てを失うはずがない。そして、コロさんのあの状態…これは、ただ事ではない。何か、とてつもない事情があるに違いない…!)
私は、その場で固く拳を握りしめた。
スヴェン殿下の声が、謁見の間に響き渡る。
「これが……これが20年以上もの歳月を異界で過ごし、我が国の未来を担う技術を持ち帰ると豪語したエージェント、ヨルグ・シュタインの姿か!」
玉座の前、国王の従弟であるスヴェン殿下が、扇子で鼻元を覆いながら甲高い声で叫んだ。その声には、隠そうともしない侮蔑と怒りが込められている。
周囲からは、抑えきれない失笑と、好奇の囁き。
「その異様な風体、そして……この鼻を突く悪臭! 貴様には3時間前に、正式な帰還通知を送ったはずだ! なぜこのような無様な姿で現れる!?」
先生が、必死に説明しようとする。
「殿下、それは誤解です! 私に届いた通知は、30秒前でした!」
「何を言っている!? 王宮の記録を見ろ! 貴様には3時間前に、正しく通知を送っている! 嘘をつくな! しかも、そのラベンダーの悪臭で私のトラウマを……許さん!」
(ラベンダーの…悪臭…?)
私は、先生からかすかに漂う香りを感じ取った。
確かに、謁見の間では刺激的に感じられるほど強い香りだった。
でも――
それは、悪臭などではなかった。
むしろ、とても優しく、心が落ち着く、不思議な香りだった。
『まあ…これが先生の匂い…素敵…じゃなくて!今は先生を助けないと!』
私は顔を赤らめながらも、必死に気持ちを切り替えた。
(なぜ…?なぜ殿下は、あんなにも…?)
スヴェン殿下の怒りは収まらない。
「私は…異界の情報を…」
「黙れ! その異臭、その格好! 貴様、異界日本で何かの禁忌に触れたか、あるいは邪悪な呪いでも受けてきたと見えるな! いずれにせよ、我がアストリアに災厄をもたらす存在と見た! 者共、この者を即刻、王都から追放せよ!」
兵士たちが、先生の両腕を掴もうとした。
私は、もう我慢できなかった。
「お待ちください、殿下!」
私の声が、静まり返った広間に響いた。
周囲の視線が、一斉に私に向けられる。
『きゃああああ!みんなが見てる!でも、先生を助けないと!紅の書には「好機は一瞬。時には大胆に」って書いてあったわ!』
でも、構わない。
私は、先生を見つめた。
その瞳には、驚きと、そして――ほんの少しの希望の光が宿っていた。
『先生が…私を見てる…!顔が近い…いえ違う!今はそんなことを…!』
「アリア=セレスティア。お前のような若輩の技術者が、この私の決定に口を挟むというのか?」
スヴェン殿下が、不快感を露わに私を睨みつけた。
でも、私は引かない。
蒼の書には「一歩引いた淑女の態度」と書いてあったけれど、今は紅の書の「その瞬間に狩る」を優先すべき!
「ヨルグ先生は……いえ、ヨルグ殿は、そのような軽率な判断をされる方ではございません!」
私の声は、震えていた。
でも、私は必死だった。
「22年もの間、たった一人で異界の情報を収集されてきたのです。この……その……独創的なお姿にも、きっと高度な戦術的意味が……あるはずです!」
『独創的って言ってしまった!でも他に言葉が見つからなかったのよ!先生ごめんなさい!』
「どうか、正式な調査の機会をお与えください!」
私の懸命な進言にも、スヴェン殿下は聞く耳を持たない。
「黙れ! その異臭、その格好! これが高度な戦術だと? それとも、お前もこの者と通じているとでも言うのか? アリア、お前はこれ以上関わるな。さもなくば、お前自身も同罪と見なすぞ!」
スヴェン殿下の脅しに、周囲の空気が凍りついた。
私は、唇をきつく結んだ。
(くっ…!権力の前では、私は…!)
悔しさに、涙がにじむ。
『先生…先生…!こんなの、こんなの絶対におかしい!』
でも、私は先生を見つめ続けた。
先生が、私にだけ聞こえるように、かすれた声で呟いた。
「……アリア君、すまない。そして……ありがとう。だが、もういい」
『先生の声…優しい…でも、諦めないで!私が、私が絶対に…!』
兵士に引きずられていく先生。
私は、その背中を見送りながら、固く拳を握りしめた。
(これで…終わりだなんて…認めない…!)
(私が、先生を助ける。そして、コロさんのあの状態の理由も突き止める。このまま終わらせてはいけない!)
(先生が情けない姿だろうと関係ない。いえ、むしろ――)
『こんな弱った先生を守れるなんて…これは桃の書の「疲れた殿方を癒やす」チャンス…じゃなくて!今は先生を助けることが最優先よ!』
かつての憧れの師が、そして彼の大切な相棒が、今、目の前で最大の危機に瀕している。
私の22年間の想いと、培ってきた技術の全て、そして――密かに研究してきた『5冊の恋愛指南書』で予習したあらゆる知識が、今まさに試されようとしていた。
アリア=セレスティア、30歳。
天才技術者にして、元教え子にして、そして――密かに先生に想いを寄せる一人の女性としての、私の戦いが、今、始まった。
外面は「氷の天才美女」。
でも内面は「先生大好きポンコツ乙女」。
そんな私が、情けない姿の先生を、全力で守って、癒して、そして――落としてみせる!




