後編
クラリッサの元で働いていた時のような業務から始まった仕事は、その延長の感じで少しずつウォーレンの補佐や秘書的な業務に変わり、一年程で小さな商談を任されるまでになった。
生活能力のなさは、仕事仲間のカーヤという女性とのルームシェアで一応は解決した。
就労時間の関係上洗濯だけは人を雇い、他は都度協力分担という形で彼女に教えてもらい、できるようになった……と本人は述べているが、実際は多少マシになったくらいである。
カーヤはウォーレンと旧知の仲らしく、とてもクールな仕事のできる美女。年齢は聞けていない、なんとなく。
彼女につけられたふたつ名は、なんと『氷の姫君』だそう。
「だから学園で初めて耳にした時、も~笑いを堪えるのに大変でさぁ~」
「「……」」
今更になってわかったどうでもいい真実。
いい話風に語られていた『興味が湧いた』という話の顛末に、妙なオチがついていた。
ちなみに、ウォーレンはジェリーより10歳程上らしい。本人は『若く見えるのが自慢』だとか嘯いているけれど、カーヤがそれを僅かに鼻で笑っていたあたり、本当はそうでもないようだ。
(劣等感を抱いたり、虚勢や見栄を張ったりするのは、別に私だけじゃないのよね……なにも特別なことじゃないんだわ)
それは大したことなどなく、あまりに普遍的な……だがあまり認識はしないような、そんな気付き。
前よりも少し大人になったジェリーは、呆れを前面に出した『馬鹿だな』という言葉の中に含まれた別のいくつかに、微かに触れた気がした。
過ぎていく日々の中。
家族だった人達のことを思い出すことはないけれど、モーガンのことは度々思い出す。
幸せを祈ってはいても、彼が幸せならそれで……などと思えたことは一度もない。思おうとしたことはあるけれど。
(やっぱり私って気持ち悪いわ)
──モーガンを、愛している。
多分、船の中で認識したのは恋であり、それも含めこの気持ちは愛なのだろう。
気付くのが遅い上にやはり気持ちも悪いけれど、ジェリーはもう特に悩まなかった。『案外、埋もれないもんだな』と思ったくらいで。
隣国に来たジェリーは、母国では読まなかった新聞を業務の為に毎日読むようになった。
母国で読まなかったのは、宮廷の意向から王立学園の図書室には置いてなかったことや、ジェリーが離れで過ごしていたことによる。単純に、目にしなかったのだ。
交流以外で情報を得られる、このあまりに簡単な方法に気付けなかった事実に、ジェリーは今更ながらも強く臍を噛んだ。
母国と今いる国の、数社分。
その中にどうしても、モーガンや、彼との繋がりのありそうな事柄を探してしまう自分がいる。
相変わらずジェリーはウォーレンにモーガンのことを聞こうとはしなかったけれど、新聞に書かれた諸々を含めた周囲の様々な事柄から、今までの事の次第をなんとなく想像できるようになっていた。
隣国の情勢と、母国の関係。
いくつかの不穏な噂や起きた事件。
母国第一王子の立太子式典の話。
二国間会談により締結した事象、新聞に掲載されているそこに携わった人達の名前。
ウォーレンに頼まれた、一見すると業務に関係ありそうな些細な調べ物。
扱っているらしい、一部の商品。
クライトンの他もうひとつある彼の名前と、かなり上の実年齢。
なんでもできる右腕、カーヤ。
並べるとなんとも怪しげなそれらだが、実際は膨大な情報の中の極一部であり、職場のふたりも精々『癖が強い』で片付けられる程度には社会に馴染んでいる。ジェリーの携わっている業務にも、不審なところは特にない。
クラリッサのところでもそうだったように、必要な情報を把握し抽出、振り分け分類し纏めるのは、案外得意だったらしい。
数年後。
結婚式を目前にした大火事のニュースと共に、ベケット子爵家は消失した。
犠牲者は結婚式前に集まっていた子爵家一族と客人数名。規模に対し然程多くもないが、『消失』となった理由はこれだ。
子爵領は王家に戻され、隣に遥かに大きな領を持つ侯爵家に管理を預けられた。
その後、隣領の侯爵の後ろ盾を得て活躍し授爵、拝領したのは商家である平民のクレイトン家。
クレイトン家は一足飛びに子爵家となったが、今まで丁重に断っていただけで、大商会を持ち社交界でもそれなりに有名なだけに、どこからも文句は出なかった。
モーガンのことは、『悲劇の男』と書かれていた。
とある少し下世話な新聞社の小見出しを正確に言うと、『呪われた子爵家の婿! ベケット令嬢を二度も失った悲劇の男』である。
それにはなんとも言えない気持ちになったものの、無事なことに強く安堵した。
(……ああ)
それと共に、俯瞰で見ている別の自分が冷静な声で言う。
そういう結論になったのだ、と。
当時は意識していなかった色々なこと。
モーガンの忙しさに関わっていた人達や、彼の生家であるアボット子爵家の立ち位置。
避けられ始めたタイミング。
それらと隣国に渡ってから知るようになった事柄から抽出したアレコレは、容易に繋げて考えることができた。
アボット子爵家は王家の忠臣──影に近い役割を担っていたのだろう。
ベケット領は田舎だがこれといった特産はなく、貴族や富裕層の避暑や保養を目的に発展させたことで経済を保っていた。
一部を海に面しているが新鮮な海鮮を確保する為の小さな漁港があるだけで、あとはやってくる富裕層をもてなすための、美しく整備されたビーチ。
おそらくそこで、隣国となんらかの取引が行われていたのだ。
根拠はベケット子爵家亡き後、隣領の侯爵家に任せられたこと。侯爵家が大きな港を持ち、管理していることが理由のように思う。
いくつかの不穏な噂からの推測なのでそれがなにかまでは不明だが、モーガンと知り合い婚約に至った頃の隣国宮廷は、利権奪取による派閥争いでなにかとゴタゴタしていた。
物資や武器の確保の為、或いは逃亡や逃走の為の情報や手段の確保を目的としていたのでは、など色々考えられる。
直接的に関わっているのか、それとも仲介人だったのか。
おそらくは、そもそもそれを調べる為の婚約だったのではないだろうか。
父だったベケット子爵、エイルマーは狡賢いところはあるけれど、そこも含め小物であり、享楽的な考えなしだ。
理解できないと思っていた父は、大人になり潔癖さが薄れたジェリーが改めて評すなら、そんなものだった。
だからどちらであれ、唆されていいように利用されたのだろうな、とジェリーは思っている。精々相手が隣国か、母国の有力者かの違い程度だろう。
隣国の情勢問題は母国でもデリケートな問題であり、また次代を含め政権を担う国王が誰になるのかによって、大きく影響した筈だ。
婚約期間の数年、泳がせて関係する者を洗い出しつつ、情勢を見ながら処罰を決める──そこで隣国側情勢に明るく、身軽な商家のクレイトン家が協力していた。
そんなところだろうか。
「おお、凄いね。 細部は違うけどかなり近いよ。 でも聞いちゃって良かったの?」
今まで頑なな程に何も聞こうとしなかったけれど、数年越しで結局はモーガンとの関係をウォーレンに尋ねることになった。
「いいのよ。 私が彼に聞きたいことは、もうそこに含まれていないもの。 それに、今なら私が知っても余計な障害にはならないわ」
語った全体の予想は前置きに過ぎず、粗方合ってさえいれば細かく知る必要もない。
知りたいのはモーガンのこと。
彼自身に聞きたいのは動機や心情だったのだとわかった今、躊躇はない。
「ははっ、随分逞しくなったよねぇ」
「……貴方は変わらないわね」
それはもう恐ろしい程、という続きをなんとなく伏せて、ウォーレンの話を待つ。
「君があの頃言った通りだよ。 僕は僕の必要なことしか知らなかった。 別に僕は王家やクレイトンの為に動いていたワケでもなくて、自分のモノ……この商会の為に動いてたんだ。 その中で彼との利害が一致した」
「随分曖昧な物言いをするのね?」
ウォーレンはその言葉に不満気に返す。
「だって君、僕らの間の……というか僕の細かい事情なんて興味ないだろ。 ご存知の通りお喋りは嫌いじゃないんで、そのへんを語らせたら長いよ? 君が聞きたいことへの答えになるべく速やかに到達するようにしてあげてるんだけど?」
「ご配慮有難く受け取りましょう」
「……アッサリ言われるとそれはそれでなんか腹立つなぁ。 あっ、なにカーヤ、笑ってない?」
「いえ」
ふたりのやり取りを聞いていたカーヤは、そう振られるといつもの無表情でキリッと答えたが、それより少し前に俯いてプルプルしていたのをジェリーも見た。
「私のことはお気になさらず、続きをどうぞ」
ジェリーとウォーレンのやり取りは、度々カーヤの笑いのツボを刺激するらしい。
どこが面白いのかよくわからないけれど、彼女がクールキャラを自分に課しているようであることは、ジェリーもなんとなくわかっている。
──『火災で死亡』した人間を鑑みれば、あれは実質的な『一族郎党処刑』と考えるのが妥当。国家反逆罪かそれに準ずる犯罪への刑罰。
となるとやはり隣国絡みなのは間違いなく、両国の現状を鑑みた隣国との関係上、罪を表沙汰にせずなあなあに終わらすのがいい、という結論になったのだろう。
「そこまでわかってるなら当然予想がついてるだろうけど、彼が君を遠ざけて最終的に家から追い出したのは、君を逃がす為だ」
ジェリーがそれを確信したのは勿論、この国に来てから結構後のこと。
なにかしら理由があるとは思ったが、当時はそれが心変わりであってもおかしくない、という気持ちの方が強かった。
返せるなにかを持たないことに悩みはしたが、別にモーガンがマドリンに心を移したとか、ベケット子爵家が欲しかったとかは、あまり思ったことはない。
それよりも、ジェリー自身や自分にした誓いが、彼の負担になっている気がしていた。
避けられていたのも、その方が納得できた。
「上の許可は得たけれど、別に総意ではなかったんだろうね。 それが問題となった時の後始末や叱責も含め、全て自己責任だった。 だから彼は許される最低限の情報で僕と個人的に取引をしてる。 まあ……持ち掛けたというか、餌を垂らしたのは僕だけど」
彼はいつだって会えば優しかった。
多分父が言っていたように、他者からジェリーの悪口が出てもそれには乗らなかったし、言わなかったのだろう。
「それだよ。 いくら最低限であり僕がクレイトン家の人間だからと言って、あんな生真面目な彼がわざわざ職務上の秘密を話してまで僕個人に協力を要請したのは、その方が都合が良かったからだけじゃない。 彼が上手く自分の役どころに徹し、速やかに君を排除することができなかったからさ。 以前『君は間違ってない』と言ったけど、当時の君の想像も割と合ってたっていうね」
「……」
モーガンは排除できるような行動を取れずにウォーレンに頼む自分を、狡くて卑怯だと思っていたようだ。
それでもジェリーに心無い言葉を掛けたり、彼女の悪口や陰口を言ったり同調することは、どうしてもできなかったそう。
「馬鹿だなって思ったけど、お陰で君という優秀な人材を手に入れることができたワケだ。 ……まあ、ぶっちゃけ蓋を開けてみた『氷の姫君』は思春期の虚勢であり不器用な努力をしてただけの女の子だったから、君に期待してたのは機械的処理能力だけだった。 まあ損にはならないな、とも思ったから既に得ではあったんだけど、ハーゲン夫人のところでの活躍は嬉しい誤算だったね」
当初、モーガンには『使えない』と判断した時の別の方法と対価を提示して納得して貰い、ウォーレンはそれありきで取引を決めたようだ。
彼は早めに行動していたものの、モーガンが決断し接触してくるのは遅く、お陰で計画は結構ギリギリだったらしい。
「結果としては数年後になった粛清だけど、情勢の変化により命令が下る可能性はあった。 隣国の王が倒れたという情報が入った時には流石に焦ってさ。 彼にベケット子爵への婚約者の挿げ替えの打診をさせると共に、先に船券を購入して君に渡した」
付属のメモは保護候補地だった中からモーガンに選んで貰い、彼に書かせたそう。
あの時のウォーレンの『彼と話せ』は、既に決まっていても他にいくつか選択肢を作ることで選んだ気にさせるという、ありがちな手法の変化形。
ジェリーがモーガンの字に気付くことと、話さないことを見越し、不安を煽り葛藤させたところで、希望の糸を垂らし誘導したのだ。
「多少意地悪だったけど、メモに指示された場所に行く確率をできるだけ上げたかったから」
悪びれる様子などまるでないウォーレンに、ジェリーは少し呆れてこう言った。
「……やっぱり貴方って、詐欺師みたいだわ」
「やっぱりってなに?」
モーガンとの契約内容は、逃がすだけでなくジェリーの安全も含まれていた。
粛清から逃れても、違うかたちで危険に晒されては元も子もないので、確実に保護する必要があったのだ。
「生憎予算が潤沢にあるわけじゃないモンで」とボヤかれてしまえば何も言えない。
元々保護先での生活費は、それなりに働かせ自分で捻出して貰う予定でいたようだ。
またいくつかの候補地から選ぶ際、ジェリーが市井で暮らしていけるとも思えなかったらしいモーガンは、その辺りをとても気にして選んでいたという。
「君達は似ているよね。 潔癖が故に愚かなところが」
そう言って、ウォーレンは笑う。
「でも、それをちょっと尊いと思っちゃったんだよ、大人の僕は」
ジェリーの未来の為に非情になるべきと思いながらも、モーガンが彼女を傷付けることがどうしてもできなかったのは、彼の誓った『守る』の中には彼女の心も含まれていたからだろう。
実のところ、婚約の経緯だけは元々ジェリーが知る通りだった。故にそれが別の計画として動き出し加担することになった際、彼がどれだけの我慢と葛藤を強いられたか想像に難くない。
逆にだからこそ、ジェリーを逃がすことや、ウォーレンの協力が許されたのだけれど。
全く知らなかったジェリーだが、心変わりであることを疑いながら家を出た時も、モーガンは誓いを守ってくれたのだと思ってはいた。
学園で揶揄から『氷の姫君』と囁かれることや興味関心からの声掛けはあっても、それ以上なにもなかったのは、彼がジェリーの悪口を許さなかったから。
そして、モーガンの字のメモ。
義母の目論見からもわかるように、あの家に残ってもろくなことにはならない想像は容易にできた。
ウォーレンのてのひらの上だったにせよ、あれが救いであり後押しになったのは、ひとえにこれまでのモーガンありき。
ジェリーもまた、モーガン本人になにも聞けず自分の思いも話せなかったのには『彼のすることを邪魔しないように』という配慮があったから。そこに自己否定や卑屈さがあったにせよ、それは問題ではない。
結局のところ、ジェリーは愛や自分が信じられなくとも、モーガンのことは信じていたのだ。
未来を不安に思いながらも、彼の言葉を信じ示そうとしたジェリーの明後日の努力は、結果としても、なにも間違ってはいなかった。
そのお陰でギリギリだった計画は誰に漏れることなく、ジェリーは予想した範囲内でも対処しなければならないような行動を取ることがなかったので、比較的スムーズに進んだのだから。
また当然ジェリーの突然の退学や『駆け落ち』に信ぴょう性はなく、婚約者の挿げ替えは当面秘密裏にせねばならなかったのも良かった。
婚約を公にするまでの期間が伸びたことで、必然的に結婚も伸び、細かく調べることができたそう。
「全て結果論だけど、なんかイイじゃない? 奇跡っぽくて」
そうカーヤに言うと、ウォーレンは彼女が淹れてくれた珈琲を飲んで目を細める。
「でもいいんですか? ひとりで行かせて」
「もう流石に大丈夫だよ、護身用のアーティファクトも持たせたし市井の常識も──」
「いえ、戻ってこないかもしれませんよ?」
「いや、戻ってはくるよ。 やりかけの仕事があるもの」
「まあそうですけど……そういう意味でなく。 気に入ってたでしょう、社長」
「ああ、ははっ。 そういう意味で? 馬鹿だなぁ、あんなの僕には手に負えないよ。 プラトニックで兄のような立場だからいいんじゃないか」
「……そういうモノですか?」
「そういうモノです」
ジェリーはウォーレンを『ロマンスを解さない合理的な現実主義者』などと吐かしていたらしいが、彼にも彼なりに感じるものはある。
ただロマンスの優先順位が合理性や現実より低いだけで。(なのでジェリーの表現は割と合っている)
──ジェリーは休暇を申請し、今は母国に向かう船の上。
アレコレ教えて貰ったけれど。
彼女がウォーレンに聞きたかった一番のことは『もう会っても問題はないのか』である。
それさえわかれば、今のジェリーは『会うためにどうしたらいいか』など尋ねることはない。続くのは『会いに行くから、連絡を取って』という決定からの要請。
日時と場所は向こうの指定。
聞きたいことや言いたいことは沢山ある。
『必ず君を守るよ』
あの誓いは守ってくれていた、そう思っているけれど、ひとつだけ。
続けられた『ずっと』の部分。
もし、今もその気持ちが変わっていないなら──
不安と期待にソワソワした身体と心を落ち着ける為、デッキを歩く。
モーガンから貰ったペンダントが、潮風に揺れて煌めいていた。




