中編
「お嬢様、旦那様が『今夜は本邸で食事をするように』と」
「……わかったわ」
重い身体を引き摺るように家に戻ると、侍女にそう言われた。
話をされる為に呼ばれたのも、それがいい話ではないのも、その内容も。もう予想がつきすぎていて、ジェリーの心を乱すに至らない。
ダイニングルームでは、ベケット子爵家の三人が空々しい暖かさを醸して待ち受けていて、食前酒が運ばれると同時に父が口を開いた。
「ジェリー、お前とモーガンの婚約はなくなったよ。 彼とはマドリンと婚約してもらうことになったから」
その声は妙に優しい。
自分の父だというのに、全く理解できない人だったと冷めた気持ちで思いながら、予想というより最早予定調和のように言葉を聞き、返事をする。
「……そうですか」
ただ、それでも泣きそうにはなった。
きっとマドリンが思っているものとは違うけれど、その表情に義妹は満足したようだった。
後は惰性で進んだ。
さも言いそうな、義母の取り繕った言い回しの当て擦りと、義妹のやや直接的な嘲りと自慢。普段より豪華な味のない食事。
(…………さっき彼はなんて言ったのかしら)
そんなものより、聞き取れなかったウォーレンの呟きの方が、余程気になった。
「それでジェリー、お前はどうしたい?」
食事のメインからやや遅れて、話の方もメインに入る。
全く理解できない父だが、決めさせる体で決まったことを押し付ける、こういう小狡さは理解していた。
「モーガンは優しい男だ。 マドリンを選ぶと決めてからもずっと、お前の悪口は一切口にしなかった。 けれど」
「ふふっ、モーガン様はだからこそ信じられる方よね!」
待ちきれなかったらしくマドリンが割って入り、不要な補足しながら先を続ける。
「お優しいけれど、優先順位は間違えないの。 『一番大切なのは君だから』って! ……ねえお義姉様、彼『いくら離れとはいえ、元婚約者のジェリーが一緒に住むのはよくない』って言ってくださるのよ、私の為に」
遮られた父がコホンとひとつ、わざとらしく咳をし、ジェリーに向き直る。
だが、もう茶番に付き合う気はなく、先に口を開く。
「──出ていきます。 除籍してください。 学園も……もういいです。 どこかの男性と駆け落ちでもしたことにすればいい」
除籍に加え、あと一年以上残る学園の退学を願い出たのには驚いたようだったが、父は最後の一言の都合の良さに承諾し、義妹はショックのあまり、やけになったのだと解釈したらしい。
ふたりとも止める素振りだけ見せると、すぐ『ジェリーが決めたのなら』と、こちらを尊重するフリで賛成した。
義母だけは反対し、結婚を勧めてきたけれど。
おそらく、ジェリーをどこぞの金持ちにでも嫁がせようと考えていたのだろう。それには『ただでさえ詮索されてもおかしくないマドリンの結婚に醜聞を加える気か』と返して黙らせた。
婚約白紙化の書類、退学届、除籍届。
その全てに目を通しサインをした二日後、ジェリーは最低限の荷物の中に少しずつ換金できそうな宝飾品を忍ばせ、ひっそりと家を出た。
ある意味、思い通りだ。
望み通りではないにせよ。
父はそれなりのお金を渡してくれた。
食事の時と同様に耳当たりのいい取り繕った言葉からは、逆に少しの後ろめたさすら感じられなかった。要約するとただ頼って戻られても困るから、というだけのこと。
それでも有難くはあるので、丁重に礼を言い受け取った。
一応は家族だった人達の言葉はなにも響かなかったが、このお金だけは重く響いた。
憎み嫌悪したところで、今までの自分の何不自由ない生活は、こうやって父が出したお金で保たれていたのだ。
モーガンから貰ったペンダントを服の下に着け、彼の字で書かれた住所へ向かうべく汽車に乗る。車窓から見えていた王都の街はどんどん遠ざかり、あっという間に視界から消えてしまった。
着いた先は、港より少し手前のそれなりに栄えた町。住所は駅から近く、線路に対し放射状に広がる繁華街の中にある、中規模の雑貨店。
モーガンの名を出すべきなのか、ウォーレンの名を出すべきなのか。その判断に困り、店先で入るのを迷っていると、壮年の上品な女性が店から出てきて声を掛けてきた。
「失礼ですが、お嬢様。 ジェリーさんでらっしゃいます?」
「! え、ええ、あの……」
「ああ~! ようやく来てくれたのね、待ってたわ!」
「えっ」
何故か大歓迎され、困惑しながらも手を引かれるまま進む。煌びやかな小物がひしめく、古い屋敷の一室のように設えた店内を素通りし、階段を上った三階。そこは雑貨店の事務所だった。
女性はこの建物のオーナーであり店主で、クラリッサ・ハーゲンという名。
今はクレイトン家の商会から、委託販売とその管理を任されているのだとか。
なんでもこの店の取り扱う商品は、いくつかの目的別になっており、その事務処理が非常に面倒臭いのだそう。
元々人員を派遣してもらうことになっていたが、それより先に事務を任せていた女性が事情により引っ越しせざるを得ず、辞めることになってしまったらしい。
「区分けは任せられても、ちょっと複雑な計算や文書作成となるとねぇ……どうしてもこの近辺の人だと難しくて。 喫緊の文書だけは流石に私がどうにかしてるけど」
「──」
すっかり溜め込んだ、と言うだけあり、処理別に積まれた書類はちょっとした山になっていた。
ジェリーは諸々の──主に勤務条件についての──説明を受けながら、四階に宛てがわれた私室に案内された。
その後は、食事洗濯、掃除について。
『元貴族令嬢で無知だから配慮して欲しい』と頼まれているようだ。
「……じゃあ、困ったことがあったらなんでも言って頂戴ね!」
「あ、あの」
「なぁに?」
「私をここに紹介?してくれたのは……」
「あら、ルークラフトさんよ? ファーストネームはたしかオーガスタス、だったかしら」
「──」
まさかの、知らない名前。
委託先がクライトン家の商会であることから不安は別にないけれど、疑問は増えた。
慣れないことばかりの日々は目まぐるしい早さで過ぎていき、単純に物凄く忙しくはあったけれど、新鮮でそう悪くないものだった。
ジェリーは仕事が早く正確で頼りにはされたものの、度々部屋に仕事を持ち込み際限なく仕事をしたり食事を摂り忘れたりする為、周囲からよく怒られた。
また、あまりの生活能力のなさに、呆れられたりもした。
「家から出るってことを甘く見積もっていたと実感したわ……」
「まあそうなるよね。 裕福な貴族のお嬢様が教わるのは、精々針と糸の使い方くらいなものだし、当然の帰結さ。 でもそのお陰で皆とも仲良くなれたんだろ?」
「……まぁね」
当初、優秀な新入りで、明らかに場違いな美しいお嬢様に萎縮しがちだった周囲も、彼女の懸命さとポンコツさにあれこれ世話を焼くようになり、割とすぐ仲良くなった。
学園で『氷の姫君』などと呼ばれていたのが、まるで嘘だったかのように。
「感謝はしているけれど、なにもかもお見通しみたいで腹立たしいわ。 貴方……ウォーレン・クレイトン。 それともオーガスタス・ルークラフトと呼んだ方がいいかしら?」
「ははっ、どちらでも?」
ジェリーが家を出て三ヶ月程経ち、この街での生活にも慣れた頃。
ひょっこり現れたウォーレンは、こちらでは『オーガスタス・ルークラフト』という名で通っていた。
「いや折角だし、『ウォーレン』にしてよ。 僕ももう『ベケット嬢』とは呼べないわけだしね、ジェリー」
休憩と言って連れて行かれたカフェは、駅の栄えている側の裏手にある、茶葉などの嗜好品を取り扱う店の二階で。
ちょっとした商談に使う人が多いという、テーブル毎のスペースの広い落ち着いた店だ。
当たり障りのないものから入った会話は思いのほか盛り上がり、なかなかただの雑談は終わらなかった。今になれば、学園でしていた彼との会話も結局はそんなものだったのかもしれないな、とジェリーは思った。
彼は学園の単位を既に取り終え、次の試験が終わり次第、一足早く卒業するのだと言う。
「あと三ヶ月程? そしたら隣国に渡るから、そのつもりでいて」
「……わかったわ」
「なにも聞かないの?」
「……」
やはりモーガンの行動には理由があったのだ。
自分をあの家から排除する為──それはおそらく間違いない事実だとして。
その根本的な理由はなにか。
マドリンの言ったような理由だったのか、それともなにか別にあるのか。
それらはウォーレンに聞けばわかるのだろうと思う。ウォーレンとモーガン、ふたりの関係も、また。 だが──
「聞かないわ。 いいのよ、今は」
モーガンがジェリーを嫌いになったのか、それともなにかしらの事情があって避けたのか、それはわからないけれど。
彼は自分に『話せない』或いは『話したくない』と思って、ウォーレンにメモを託したのだろうから。
(託した? ……のかしら?)
まあ、疑問はあれこれあるのだけれど。
聞くべきじゃない。
少なくとも、他人からは。
ジェリーはそう考えているから。
今の日々は、やはり必死で余裕がない。ただしその必死さと余裕のなさは、学園に通っていた時とは全く違う性質のもの──主に、時間と体力である。
ふとした瞬間に思い出すけれど、あれこれ考え込んではいられないし、たまに泣きながら目覚めるけれど大概は深く眠るし、横になればすぐ寝付く。予定した時刻より大幅に早く目が覚めることもない。
ほんの短い期間だがそれはジェリーに、心の余裕のようなものを齎していた。
ウォーレンは「ふぅん」とだけ返した後、豊富な茶葉など関係なく頼んだ珈琲を一口飲み、品良くカップを置いて言う。
「信じてるんだね」
その一言に、ジェリーは驚いた。
「なに、その顔。 やだな、無自覚? ……ホント、君って…………」
呆れた顔をしたウォーレンは途中で言葉を止める。代わりに口から発したのは、
「ジェリー、君が人を遠ざけたのはモーガン・アボットの為だ」
以前答えを聞かなかった、一方的な問い掛けを、再び。
今度は断言に変えて。
「あの頃の君にはそれくらいしかなかったからだろ? 区別し示す方法が」
それは沢山の後悔の中のひとつ。
それでも、どうしても曲げられなかったこと。
「……さぁ、どうかしら」
少し前の自分ならしないであろう返事に、ジェリーはふっと笑った。
「ああ、私にも聞こうと思ってたことがあったわ。 貴方、あの時……それに、さっき。 なんて言ってたの? なにを言う気だったの?」
「え? ……ああ~」
答えはきっと、ふたつとも同じ。
多分、少し前とは感じ方がやや違う、ずっと自分でもそう思っていた言葉。
案の定、ウォーレンは笑ってこう言った。
「『馬鹿だな』って」
──13の誕生日のことは、今でも鮮明に思い出せる。
ひっそりとした子爵邸の離れの庭。
ふたりだけの、いつもより少し豪華なお茶会程度のガーデンパーティー。
モーガンの金の髪のような細かい細工に、ジェリーの瞳の色を模したガーネットのペンダント。
遠慮がちに手を取ったモーガンが『平気? 気持ち悪くない?』と尋ねたこと。
騎士が姫にでもするように、跪いて誓ってくれた言葉。
輝いて見えた、彼の真剣な眼差し──
その時の、背中が凍りつくような気持ち。
ジェリーは確かに、モーガンを好きだった。
ずっと昔から今も、それは変わっていない。
とても大切な相手。
だがどうしてもわからなかった。
自分が一番恐れているのはなにかが。
怖いのは、モーガンがいなくなることなのか。
それとも──生活の保証を齎す婚約者がいなくなることなのか。
いずれにせよ、彼に縋り利用することにほかならない。
嫌悪と罪悪感を抱きながらも『家を継げないかもしれない』という不利な言葉を出すことはなく保身の為に隠した。
それはあまりに小狡くて醜悪。
自身もまた、父や義母のように気持ちの悪い生物だったのだ──と、あの時ジェリーは気付いてしまった。
信じられないのは、あの時のモーガンでも彼の誓いでもない。
自分自身だ。
できることは、信じることくらいしかないのに。
信用ならない人間の『信じる』という言葉に、どれ程の価値があるのだろう。
ましてや、課してのことなど。
──それでも。
「……私もそう思う」
ジェリーは同意して苦笑した。
「「それでも」」
何故か重なる、ふたりの言葉。
互いに顔を見合わせて譲り合い、笑顔のウォーレンが丁寧且つ強引に促すのに負けたジェリーの方が、先に話すことになった。
「それでも……私は、もし戻っても同じことをするような気がするわ」
元々、馬鹿なことをしているとわかってやっていたのだ。当然何度も葛藤はしたけれど、他者との交流という意味のあることと秤に掛けても、結局そうしていた。
そこに不安や焦燥感は勿論、打算もあっただろうが、それだけじゃないとジェリーはもうわかっていた。
「もしかして貴方の言葉も同じ?」
「いや? そういう風には考えたこともなかったねぇ。 だって人生は巻き戻らないし、非合理的だろ」
「な成程……」
確かにそう。
……だけどなんだかちょっと引いた。
いきなり親しげに話し掛けてきた、彼と初めて会話した日のことを思い出す。
「『それでも』に僕が続けようとしたのはさ、『君は間違ってない』ってこと。 まあ、馬鹿だなとはやっぱり思うけど」
「ええ……?」
「僕は君のこと『なんか借金に追われてる人みたいだな』って思ってたんだけど」
「ええ??」
「まずね、前提として。 正しい答えなんて、未来にしかないんだよ」
「……」
「ただ、考えられる範囲での最適解っていうのはある。 でも『考えられる範囲』っていうのは『想定できる未来』であって、人によって違う。 今目の前のことに必死で、余裕のない人が考えられることなんかたかがしれてる。 そんな状況で未来なんて想像できないだろ? 視野が狭い状態で、見える選択肢から選ぶしかなくなる。 だから馬鹿な選択をしがち……別に君のことを言ってるワケじゃない。 人って案外弱いし脆いんだよ」
ウォーレンの言うことはいちいちもっともだった。
腑に落ちたどころか、ジェリーにはまるで自分そのもののように思えるくらいに。
「だから君の選択が馬鹿でもそれは仕方ないことだし、それがたとえ手近な選択でしかなかったとしても君は精一杯自分のできることをしてた。その結果僕は『氷の姫君』に興味を抱いたし、君の身に付けたものは今ここで役に立ってる。 ね? 君は間違ってないだろ。 ただ思ってたようにはいかなかっただけさ」
また淀みのない弁舌で、感情を乗せずに滔々と語る様は、それがとても客観的な事実であることを強く感じさせ、非常に説得力があった。
しかし──
(なんだか……この人詐欺師みたいだわ。 いえ、新興宗教の教祖っぽくもあるわね)
それはそれとして、ジェリーはこう思った。
内容についてより、そういう部分が気になったというか。
次第に、さも『自分の言っていることこそが正しい』と言わんばかりの口振りがなんだか鼻についてきて、自分のしたことを肯定してくれたのにもかかわらず、ジェリーはあんまり感動しなかったのである。
ウォーレンの方も、特にこちらを慰めているとか、そういう感じでもないので、別にいいのだろうけれど。
「……なんだか聞きたいことがいくつも出てきたわ」
「へえ、なに? 聞きたいなぁ」
興味深々という表情をこちらに向けながらも、彼は「でもちょっと長くいすぎたから、今回はひとつだけね?」と悪戯っぽく言う。
やはり食えない男だ。
「そうね……じゃあ、ウォーレン?」
「なんだい?」
ジェリーは少し考えて、まずこれを聞くことにした。
「貴方、本当はいくつなの?」
三ヶ月後。
ジェリーは再び旅立った。
約束通りやってきた、『オーガスタス・ルークラフト』ことウォーレンと共に、船で隣国へ。
半年前に家を出た時とは違い、盛大に惜しまれながら。
「……そりゃ惜しまれもするよね」
少し呆れた顔でウォーレンは言う。
よくわからないままで就いた仕事だったが、試験くらいでしか明確な成果の出ない学業とは違い、やればやった分評価が返ってくるのもあって張り切ったジェリーが、業務時間を無視して書類を捌きに捌いたお陰で、最初にウォーレンがやってきた時には新規受注以外の書類は粗方片付いていた。
彼女に与えられた仕事は主に計算と文書作成であり、割と機械的な作業だったのだが、ジェリーはやはり優秀だった。
三ヶ月見ていた他の人の仕事ぶりや、皆と交流する中での会話から、業務の流れや商品分類を概ね把握していたのだ。
ウォーレンが来て以降は、都度きちんと確かめながら書類をわかりやすく仕分けし、細かい業務マニュアルを作成した。引き継ぎは勿論、次もし人員が足らなくなっても、分配してどうにかなるように、との配慮である。
「……ッジェリーぃぃぃぃ!!!!」
皆──特にクラリッサはそれはもう喜んだ。
間違いがないか確認して貰う為に、出来たマニュアルを見せた際、普段の上品さをかなぐり捨て、なんか物凄い声でジェリーの名を叫ぶくらいには。
「いやまあ僕もさ、君を仕事のパートナーにすれば、最悪でも元は取れるだろうな、と思ってはいたワケだけど。 なんなの? 君って貢ぎ癖でもあるの?」
「まあ失礼ね、あれくらいはお返ししたかっただけよ! なんていうか……迷惑も結構かけたし……」
仕事で活躍した一方、家事全般はポンコツで、教われどイマイチ修得ならず。
なにしろそちらのセンスは壊滅的で、洗濯をすれば服をボロボロにし、料理を手伝えば傷だらけ、掃除をすれば何故か逆に散らかる始末。
最終的に(割と早くに訪れた)、洗濯と掃除は週二でやってもらい、食事は全部作ってもらっていた。
最初は厚意で、それがあまりに心苦しかったジェリーは自ら頼み、微々たる額だが有償にさせてもらった。
この半年でジェリーがマトモにできるようになったのは、洗い物くらいである。(でもいくつか食器は割った)
言い淀むだけあり、確かにジェリーは結構迷惑を掛けた。皆がそれを迷惑と思うかは別として。
船に乗り込むと、港には多くの見送りの人が見える。
街で皆と別れを済ませたジェリーには誰もいないけれど、モーガンが来てくれるような気がして、人混みの中に彼を探した。
未練なんてものではない。
心の中心に、まだ彼はいるのだから。
そんな自分を、以前とは違う意味で気持ち悪いと思ったけれど、以前とは違い嫌いではなかった。
もう柵と不安に塗れた『ジェリー・ベケット』はいない。
それらを取っ払った今は、感じることができていた。
モーガンへのぐちゃぐちゃな気持ちの中に、綺麗な想いもひとつ、確かにあったことを。
そしてそれは今も胸の中にある。
服の上で潮風に小さく揺れるペンダントのように、キラキラ輝いて。
結局モーガンは現れなかったけれど、それはそれで良かった。少し安堵してもいる。
おそらく会って話したら、この気持ち悪くてキラキラ輝く気持ちと向き合わねばならず、なんらかのかたちで処理することになるのだろうから。
ようやく認識できたので、もう少し大事に温めていたかった。
この先変わっても見えなくなっても、ちゃんと今のかたちを思い出して、取り出せるように。
──などと、ややセンチメンタルに浸ったのは束の間の話で。
港から離れて数時間、ジェリーは船に酔い、それどころじゃなくなっていた。
「大丈夫? ホラ、薬」
「うう……こうしてきっと日常に埋もれていくのね……」
「……なに言ってんの?」
目的の港は隣国のいくつかの港のうち最も遠い。初めての長い船旅は……まあ、途中少し酔ってダウンしたりもしたけれど、概ね楽しかった。
そして隣国での生活が始まった。




