可哀想な私は、隣国公爵に甘やかされる。
「――クラリッサ・グレイフィールドとの婚約を、ここに破棄する!」
高らかな宣言が、煌びやかな舞踏会場に響き渡った。
ざわり、と空気が揺れる。音楽は止まり、踊りの輪はほどけ、視線のすべてが一人の令嬢――私へと集まった。
……ああ、やっと来た。
私は冷めた目で、壇上の人物――王太子エドワード殿下を見上げる。
背は高く、顔立ちは整っている。舞踏会の主役にふさわしい存在。
ただし、その口から放たれたのは理不尽そのもの。
「クラリッサ! お前は嫉妬に狂い、我が愛するローザを陰でいじめ抜いていた!」
会場がどよめく。ローザ・ベルフォード嬢は、殿下の隣で涙を浮かべながら私を見ていた。
ふるふると震える肩。伏せられた睫毛。……はいはい、典型的な「可憐なヒロイン」演出ですね。
私は小さく息を吐き、問い返す。
「殿下、証拠はございますか?」
「証拠など不要! 俺はローザを信じる!」
……来ました。理屈も証拠も一切無視のパワーワード。
殿下は正義感に酔いしれているように胸を張っていた。
私は笑う。皮肉ではなく、本当に心の底から。
「そうですか。では、殿下。どうぞご自由に。私もこれで晴れて解放されます」
その瞬間、貴族たちの間から一斉にざわめきが広がった。
「泣き崩れないのか?」
「むしろ喜んでいる……?」
「まさか、殿下を捨てたのでは」
――ご名答。私は王太子妃になるつもりなど最初からなかった。
◆
追放されてから数日後、私は隣国ヴァレンシュタイン公国の小さな古書店で働き始めた。
高い天井から差し込む光に、埃っぽい本の匂いが混ざる。
舞踏会の煌びやかさとは無縁の静かな空間――ここなら、誰にも邪魔されずに過ごせる。
本の並べ方や帳簿の付け方に悪戦苦闘しつつも、店主や客の笑顔に励まされていた。
「ありがとう」と言われるたび、心がぽかぽか温かくなる。
これが――自由ってやつだ。
そんな日常に、ある日、扉のベルが鳴った。
「……やっと見つけた」
振り返ると、そこには背の高い銀髪の青年が立っていた。
深い蒼の瞳。長身。整った顔立ち。
――あ、どこかで見たことがある。たしか外交の夜会で一度だけ。
「……レオンハルト様?」
私が思わず名前を口にすると、彼は微笑んでうなずいた。
「覚えていてくれたか。君のことがずっと気になっていた」
「え……?」
「覚えているだろう、あの夜会で君が俺に本を薦めてくれたことを。短い時間だったけれど、君のその一言で、俺は救われたんだ」
突然の告白に、胸が跳ねる。
「救われた……?」
彼は真剣な表情で続けた。
「孤独で、責務に追われる日々の中、君の笑顔や気遣いがどれほど心を軽くしてくれたか。あの瞬間から、君のことが忘れられなくなった」
あの一瞬の出来事が、今こうして目の前で溺愛公爵としての彼に繋がっている――なんて胸熱。
「クラリッサ、君を守りたい。理不尽に傷つけられた君を、今度こそ幸せにしたい」
その言葉に、私の心は自然とほどけていった。
「……そんなこと言われたら、戸惑いますけど……」
「戸惑う必要はない。君はもう、俺の大切な人だ」
その日、追放の痛みは少しずつ和らぎ、代わりに心地よい予感が胸に満ちていった。
◆
それからの日々は、まさに甘やかしの嵐だった。
「クラリッサ、手を出せ」
「え、なにを――」
「当然、繋ぐためだ」
街を歩けば自然に手を握られる。
食事をすれば「君が食べる顔を見るのが幸せだ」と真顔で言われる。
帳簿を付ければ「無理をするな。俺が代わる」とさらっと助けてくれる。
「レオンハルト様、私は一人でも――」
「駄目だ。君は俺が甘やかすためにいる」
「ちょ、そんな設定勝手に決めないでください!」
……なのに、心はどんどん彼に傾いていく。
大切にされることの喜びを、初めて知ったから。
彼は忙しい公務の合間を縫って、私と過ごす時間を必ず作ってくれる。
ある日は図書館。
高い書架の本を取ろうとして背伸びをすれば、すぐに後ろから腕が伸びる。
「無理をするな。……俺が取る」
「でも、自分でできま――」
「俺にさせてくれ。君のために動けるのが嬉しい」
ある日は庭園。
花を眺めていれば、私の髪に花を飾って微笑む。
「やはり、クラリッサに一番似合う」
「……そんなこと、言われ慣れてません」
「なら、慣れるまで毎日言おう」
ある日は夜会。
「君がいなければ退屈で仕方ない」
「公爵様、社交は大事でしょう?」
「大事なのは君だ」
……はい、もう心臓が持ちません。
◆
ある日、祖国からの使者が訪れた。
久々の知らせに、正直少しだけ胸がざわついたけれど……内容を聞いて思わず紅茶を吹き出しそうになった。
「王太子エドワード殿下は、政務を放棄し、ローザ嬢のご機嫌取りばかりに時間を費やしておられます」
「……」
「結果、国庫は底を突き、諸侯は次々と離反。民は重税に苦しみ、ついに隣国への援助を求めているとか」
私は思わず笑ってしまった。
「援助、ですって? あの殿下が?」
使者は困ったように眉をひそめた。
「公国の立場としては、協力を……」
その時、レオンハルトがすっと立ち上がり、冷たい声で告げた。
「断る。我が国にとって不要だ。――何より、クラリッサを理不尽に貶めた者に差し伸べる手など持たぬ」
その言葉に、私は胸の奥がすっと晴れる思いがした。
ざまぁみろ、エドワード殿下。
愛だの正義だのを振りかざして、私を切り捨てた結果がこれ。
自業自得という言葉以上に、ぴったりなものはない。
「クラリッサ」
レオンハルトが私の手を取り、真剣な瞳で見つめる。
「君を捨てた国が滅びるのは勝手だ。……だが俺は、君を二度と手放さない」
◆
夜、庭園に出ると、月明かりに照らされた花々が静かに揺れていた。
その真ん中で、レオンハルトが片膝をついた。
「クラリッサ・グレイフィールド」
彼は私の名を、丁寧に、愛おしそうに呼んだ。
「俺と共に生きてほしい。悲しみも喜びも、全部分け合いたい。……どうか、俺の妻になってくれ」
――胸がいっぱいで、声が出なかった。
理不尽に捨てられ、孤独だと思ったあの日の私に、この未来を想像できただろうか。
「……はい」
やっと絞り出した声は震えていたけれど、笑顔は自然と浮かんでいた。
「喜んで」
彼は立ち上がり、私をそっと抱きしめた。
「ありがとう。俺は一生をかけて、君を幸せにする」
その誓いが、甘く強く、私の胸に刻まれる。
◆
それから数か月後。
祖国の王太子夫妻は失脚し、国は大きく揺らいでいると聞いた。
けれど私には、もう関わりのない話だ。
私は今日もレオンハルトの隣で本を読み、時には茶を飲み、笑い合う。
「クラリッサ、君は俺の誇りであり、宝物だ」
「……もう、またですか」
「これから毎日言う。妻になる人に愛を伝えるのは当然だろう?」
理不尽な婚約破棄。
あの日の出来事を、私はもう「災難」ではなく「幸運」と呼べる。
――だって、あの瞬間があったから。
私は今、世界で一番幸せな妻になるのだから。
(完)
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