第8話 組織
山道を抜けた先に、唐突にそれは現れた。
深い樹海の奥に口を開ける峡谷。その向こうに、灰色の壁がそびえ立っていた。
苔むした岩肌を切り裂くように築かれた直線的なコンクリートの要塞───人の手で作られたはずなのに、山そのものの一部のように沈黙している。
高くそびえる外壁には窓らしいものは一切なく、ただ冷たい金属のゲートが口を閉ざしていた。
周囲には柵も標識もなく、まるで「存在しない建物」であるかのように、自然に溶け込んでいる。
だが、その静けさがかえって異様だった。鳥の声も風のざわめきも、この場所を避けるように遠ざかっている。
足を止めた俺は、思わず息を呑む。
「……ここが、組織の本部……?」
背後から軽快な声が届いた。
「そうですよ。思ったより無機質ですよね~」
振り返れば、少し遅れて楓が姿を現していた。背負ったリュックを下ろし、にこやかに手を振る。その笑みは相変わらず柔らかいが、無骨な要塞を前にすると、どこかアンバランスに見えた。
ゲートが低い機械音を立てて開く。中に入れば、そこは外観とはまるで別世界だった。
白い照明が照らす広い通路。足元には無数のラインが走り、壁には見慣れぬ英数字が点滅している。まるで地下鉄の駅と軍事施設を掛け合わせたような空間。奥へと続く通路の先には、何層にも分かれたフロアが垣間見え、機械の唸りが響いていた。
やがて広間に出る。壁に掲げられた紋章の下には、威厳ある文字が並んでいた。
───国家現象管理機関_怪異収容局《Anomalous Containment Bureau》
口を開け見上げていると、楓が立ち止まりこちらを振りいた。
「ようこそ──怪異収容局、略してACBへ!ここが私たちの職場です♪
怪異って付いてますが、私たちの間では彼らのことを現象体って呼んでます」
楓は歩きながら軽快に説明を続けた。
「ACBにはいくつかの部門がありましてね。収容や管理を専門にする《保安課》。監視や記録を担当する《観測課》。直接戦闘を担う《鎮圧課》。実験や応用を進める《実験課》。そして……情報を統制する《秘匿課》。それぞれが役割を分担して、この世界を裏から支えてるんです」
彼女は少し歩みを止め、振り返る。
「……そして、あなたが最初に配属されるのは私と同じ《保安課》。まあ、新人の定番ですね♪実戦もありますが、現場を知るには一番手っ取り早いと思います」
頭の中に新しい単語が次々と叩き込まれる。
そして、彼女は声を潜めるように言った。
「それから──あなたも何度か耳にしたと思いますが、私たちが『禍境』と呼んでいるもの。
極秘なのであまり詳しいことは言えませんが、あれは単なる異常現象ではありません。現実そのものを改変させる、環境的な“領域”。ACBの存在理由の一つは、あれを封じることにあります」
足を進めるうちに、通路の先で幾つもの武装した隊員たちが行き交う姿が見えた。無表情で、淡々と任務をこなす彼らの中に、楓の明るさは際立って異質だった。
やがて説明を終えた楓は、胸元の端末を見ながら言う。
「──さて。丁度次のターゲットが割り出されたようです。準備、できてます?」
俺は少し緊張しつつも、こくりと頷いた。
案内された一室では胸に白色の印をつけた職員たちが集まり、中央には朱色の印をつけたリーダーが立っていた。
「あの人……前にも……」
「ああ、陣さんのことですね。あの人は私の先輩......上司にあたる人です。
顔は怖いけど、ああ見えて結構面倒見いいんですよ?」
するとこちらに気付いたのか、楓に声を掛ける。
「楓。着いたらまず、することがあるはずだろう」
「あ、すみません!」
慌てつつも楓が紹介する。
「報告遅れました。こちら今日から配属される神代透君とタマさんです」
慌てる楓を横目に、俺とタマは自己紹介を済ませる。
陣は頷き、落ち着いた声で話し始めた。
「透君、タマ君。まずはACBへようこそ。
すでに知っていると思うが、我々は現象体及びその禍境の収容や管理を専門にする《保安課》である。
早速だが、君たちには次のターゲット『監視者』の収容作戦に同行してもらう」
真剣な顔で陣の話を聞いていると、横で楓が小声で付け加える。
「『監視者』はこちらのコードネームみたいなものです。巷では『帳面さま』とか『四階に坐す者』とか呼ばれてるらしいですよ」
ふむふむと頷きながら聞いていると、陣が各職員に紙片を配り始めた。
「今回の収容指示書だ。よく目を通しておくように」
渡された資料に目を通す。
────────────────────────
─国家現象管理機関_怪異収容局_現象体収容指示書─
記録名:監視者《位階ノ君》
案件符:ACB-白印-域-020
等級:参等級
目撃場所:████市██立体駐車場にて目撃。
禍境範囲:現象体から半径5m
出現条件:深夜25時~28時、対象が禍境内にて所有物を配置した場合に高頻度で出現
現象概要:
現象体は白装束を纏ったような外見をしており、建物の隅に佇んでいる姿が確認されています。
頭部は鏡のように反射しており、実体を視認することは困難です。
禍境内に対象が侵入した場合、所有物が”消滅する”という現象が報告されています。
また、禍境からの脱出は困難で通常の物理的な方法で脱出することは不可能です。
████年██月██日追記:組織が保護した人物の証言により、時間経過とともに自我を失うことも確認されています。
────────────────────────
「対策措置については現地にて改めて説明する。各自、収容準備に入れ」
陣の一声で、職員たちは即座に動き出す。
どうすればいいか戸惑う俺に、陣は短く指示を飛ばした。
「楓、透君たちを準備室へ」
「はーい♪」
案内された先は、物騒な装備が並ぶ部屋だった。
楓は笑顔で言う。
「今回は見学ですが、装備などは実際に身に着けてもらいます。
使い方は実践で覚えてくださいね♪」
無茶ぶりに思わず息を呑む。
だが、ここに足を踏み入れた以上、後戻りはできない。
────俺は次の現象体に向け、覚悟を決めた。




