第2話 出逢い
写真の地、神哭山へと向かった俺は、片道2時間ほどかけてようやく辿り着いた。
「……やっと着いた」
出発が遅れたせいで、到着した頃にはすっかり夜。
山の麓には小さな街灯が一つだけ光を落とし、その先へと続く長い石段が闇の中に伸びていた。
見上げれば、中腹まで果てしなく続く階段。その先は闇に飲まれている。思わず溜息が漏れた。
「……これ、登るのかよ」
しかし、ここで止まるわけにはいかない。
俺は恐怖と疲労を押し殺し、足を踏み出した。
途中、階段の半ばで奇妙な感覚に襲われる。
まるで何か大事なことを忘れているような──いや、忘れていたことを今、思い出しかけているような……。
(昔、ここで……何かがあった?)
だが、それ以上はどうしても思い出せなかった。
そうこうしているうちに、いつの間にか神社の鳥居が目の前に現れていた。
「……ついたぁぁぁ!」
息を切らせ、その場にへたり込む。
眼下に広がる夜景が、静かに俺のことを照らす。
ただ、こんなに綺麗な景色があるのに、人が誰もいないのは少し不気味に感じた。
──その時。
「お主、そこで何をしておる」
「!?」
突然背後から声が響き、反射的に飛び上がろうとしたが足に力が入らない。
「だ、誰だ!?」
振り返る。しかしそこには誰もいない。
「まさか、あの者どもの手先ではあるまいな」
辺りを見回しても人影はない。気味の悪い声だけが響く。
「まぁよい。この地に足を踏み入れたこと、後悔するがよい……」
「ちょっ……待てよ! あの者ってなんだ!? 俺はただ──」
言い終えるより早く、頭上から巨大な口が迫ってきた。
「……え」
死ぬ。
ここで終わるのか?
──嫌だ。死にたくない。
こんな事なら来なければよかった。
「助けてっ....!」
反射的に祖父から渡されたお守りを握りしめた。
瞬間、掌から閃光が走り、辺り一帯をまばゆい光が覆う。
数秒か、それとも数分か。光が収まった時には、巨大な口も跡形もなく消えていた。
放心した俺は、その場で立ち尽くした。
その静寂を破ったのは、先ほどの声だった。
「……まさかお前さん、あやつの孫だったとはな」
声の方を向くと、傷を負った小さな狐?のような生き物がこちらを見ていた。
「お前は……誰だ? いや、それよりまず手当を……!」
咄嗟にバッグから包帯を取り出し、狐に巻きつける。
なぜかは分からない。ただ、俺の直感がそうした。
「……ふむ。やはりあやつに似て、お人好しじゃの。だが、ありがとう。おかげで少し楽になったわ。」
狐はゆっくりと目を細めた。
「さて。わしが誰か、じゃったな。端的に言えば──あやつの旧友よ」
「あやつ?」
「アキラ。お前の祖父じゃ。……そのお守りも、もとはわしからアキラに渡したものよ」
──マジかよ。じいちゃん、狐と友達だったのか!?
狐はくすりと笑い、からかうような口調で続けた。
「まさか、あれをわしに使うとはな。あやつの孫も侮れん」
「してお前さんよ、なぜこんな辺鄙な廃神社に来たのじゃ?よほどの物好きでなければ、こんな場所に来ることはないと思うが...」
その言葉で、はっと思い出す。
ここに来た理由、そして──あの写真。
写真を差し出しながら事情を説明すると、狐はしばし黙り込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「なるほどな。……まあ、無理もないか。お前さん、過去のことはほとんど覚えておらんのじゃろう?」
何度もうなずく俺に、狐は目を細めて続ける。
「話せば長くなるが……手短に言えば、お前さんは“呪われておる”」
──え?
あまりに突拍子もない言葉に、思考が止まる。
「信じられんかもしれんが、昔のお前さんはアキラに連れられて、よくこの神社に来ておったんじゃ。アキラの子息、つまりお前さんの両親はそれをあまりよくは思っていなかったみたいじゃがな。
この山には元々、良からぬものが棲みついていると噂されておった。……そのせいじゃろうな」
狐は遠くを見つめながら語り出す。
「ある日、お前さんが一人でここに来たことがあってな。幼子が一人で……わしも驚いたわ。
しかもその時のお前さん、様子がおかしかった。まるで、何かに引き寄せられるようじゃった」
「気づくと裏手の祠から禍々しい気配が溢れ出し、周囲は異様な空気に包まれてな。
念のため張っていた結界でなんとか守ったが、お前さんは倒れてしまった」
「すぐに裏へ回ったわしは、壊れかけた祠を見つけた。
どうやら、何者かがこの地に眠る怪異を目覚めさせてしまったようじゃ……わしは全霊の力で封印を施し、祠を後にした」
「お前さんはアキラたちによって家へ運ばれ、それっきりこの神社には来なくなった。
それ以来、この地は“呪われた場所”として人が寄りつかなくなったのじゃ」
狐は目を伏せ、少しだけ沈黙した後、低い声で告げた。
「──そして数年後。アキラが、両親が亡くなったと教えてくれた。
……おそらくは、お前さんにかけられた“呪い”のせいじゃろうな」
「……は?」
耳を疑った。
「お前さんの呪いは、周囲に不幸を呼ぶ。
両親が亡くなったのも、それが原因だった可能性が高い」
「そんな……俺のせいで、親が……」
頭が真っ白になった。
(これからも、俺の近くにいる人が……死ぬかもしれない?)
足が震えた。その場に立っているのがやっとだった。
「全く。そんな顔してどうする」
狐が呆れたように言う。
「そんな顔になるだろ! 俺のせいで、両親が……!」
「──解けぬ呪いはない」
「……え?」
「じゃから言ったろう。解けぬ呪いはない、とな」
「この呪いが解けるって...?」
「そうじゃ。まあ、まずは怪異の王を探す必要があるが...」
「……なんでそれを早く言ってくれなかったんだよ! もしもっと早く知っていれば、両親だって……!」
「……今頃、生きていたかもしれないとでも?」
狐の声が鋭くなった。
「断言してやろう。そんな未来はなかった。
そもそも、呪いに気づいたのは両親の死がきっかけじゃった。それまでは誰も、何も気づかなかった。
むしろこの時点で気が付けて幸いだったというべきじゃろう」
「だからこそ今、お前さんがどう生きるかが大事なのじゃ。
過去を悔やむより、未来を見よ」
俺は言葉を失った。
正論だ。間違いなくその通りだ。
……でも、心はどうしようもなく重かった。
それを察したのか、狐は少し優しい声で続けた。
「……先ほど“お前のせい”と言ったがな。それは撤回する。お前さんは、悪くない」
「本当の元凶は、“怪異の王”じゃ。かつてわしが封印した存在。人智を超えた、禍々しい力の塊じゃ」
「その力を利用しようとしている連中がいてな。奴らが“怪異の王”という呼び名をつけた」
「数時間前、奴らがこの地に現れ、わしの力を奪い、封印を破ってしまった。
そして怪異の王と共にどこかへ消えてしまった。
……その直後、お前さんが現れたから、てっきり奴らの仲間かと疑ってしまったわけじゃ」
「で、最後の力を振り絞って喰らってやろうとしたんじゃが……それも無駄骨、こんな有様じゃ。全く、今日は厄日じゃわい」
その怪我も、奴らとの戦いの結果か──
そして今、俺に残された道は一つしかなかった。
「つまり、“怪異の王”を探し出さなきゃいけないってことだな。でも……その、呪いはお前の力でどうにかならないのか?」
「お前ではない。わしは玉藻前じゃ。」
「はいはい。じゃあタマでいいかな。」
「……お前さん、アキラと同じでセンスの欠片もないのう」
「いいか。呪いというのは、基本的に“呪った存在”に解かせるしかない。
例外はあるが、お前さんの場合は相手が悪すぎた」
「だからこそ、“怪異の王”を見つけなければならんのじゃ」
「……わかった」
まだ心の整理はつかない。
でも、逃げる理由も、もうなかった。
「とにかくやってみるよ。まだ怖いし、辛いけど……でも、少しだけ前に進めた気がする」
そう言って、俺は夜の石段をゆっくりと下り始めた。
両親の死も、自分の呪いも、まだ受け入れきれない。
それでも今、心の奥にかかっていた霧が、ほんの少し晴れたような気がしていた。