第19話 真実
薄暗い部屋に響く声は、あまりにも懐かしく、そして信じられないほど静かだった。
ゆっくりと振り返った透の目に映ったのは、白髪交じりの男。
柔らかい笑みを浮かべ、まるで旧友に話しかけるような穏やかな口調で、彼は言った。
「ずいぶん大きくなったね。──透。」
「......父さん、なのか?」
かすれた声が漏れる。背後でタマが息を呑み、陣が警戒の構えを取る。
男───神代隆は静かに頷いた。
「ああ。寂しい思いをさせたね。悪かった。でも......少し事情があってね。」
俺たちの背後にある"それ"を見上げながら、隆は淡々と語り出す。
鎖に縛られ、まるで根のような触手に覆われた存在。人の形をしているようで、どこか異質な、祈りにも似た姿勢で眠る影。
──怪異の王。
「透。お前は"神代家"の血を継いでいる。かつて我々の祖先は、神哭山で"神を人に降ろす"儀式を行ったんだ。
神の力を、この世の理に組み込もうとした。その結果が────」
隆の視線が、王の根元へと向く。透の喉が鳴る。
「......あれは、まさか──」
「そう。透の母さんだよ。」
一瞬、時間が止まったようだった。
タマが言葉を失い、陣の拳がわずかに震える。
「母さんの一族──"御影"家は、神代家の儀式を支える巫女の家系だった。
その祖先は"神と人をつなぐ器"として選ばれた。だが儀式は暴走し、彼女は"神"の力に耐えきれず半神半人の妖になり果てた。
神にも人にもなり切れなかった彼女は、やがて我々を呪い、人類を呪い、世界を呪うようになった。
それが、いま君たちの前にいる"怪異の王"だ。」
隆は続ける。
「王はその呪いをいくつもの分身──怪異として世に放った。
怪異の本質は呪いだが、少なからず神の要素も含んでいる。
器を持たない彼らは、強力な器を求めて人間を襲うようになった。
そう、例えば────巫女の家系とかね。」
透は膝が震えそうになるのを必死に堪えた。
「まさか...」
「ああ。母さんは器として利用された。」
「じゃあ......母さんは──」
「違うよ。」
隆が割り込む。
「彼女はまだ怪異化していない。そんなことはあってはならない。」
そして真剣な表情で語り始める。
「儀式の話には続きがあってね。我々の先祖はそこであきらめなかったんだ。
この世に蔓延る怪異を"収容"、"研究"し、いずれ"王"を取り戻す。
そしてゆくゆくは"神の力を"制御"、"管理"、"運用"するため、ACBを設立した。」
「そんな...」
「でもね、そんな事はどうでも良いんだ。」
隆の声が一変する。
そしてゆっくりと口を開く。
「私はね......彼女を"人"として甦らせようと思っているんだ。」
透の表情が硬直する。
「母さんを......?」
「そうだ。母さんの中には、本人の意識とは別に怪異の意識も存在している。
それを取り除くには、より強大な器....つまり怪異の王が必要だった。」
隆の微笑がゆがむ。
「そんな時にACBから声がかかってね。顔も見たことない親族から、後を継いでほしいとの話だった。
幸い、"王を取り戻す"というところは同じ意見だったからね。ありがたく利用させてもらったよ。」
タマが低く唸る。
「じゃあ、透を利用してたってわけか......。自分の息子まで騙して。」
隆は首を傾げ、静かに笑った。
「人聞きが悪いなぁ。母さんを取り戻したいのは、透も同じ気持ちのはずだ。
そのためなら、手段を選ぶ余地はないと思うけどね。」
陣の拳が握りしめられる音がした。
「だったら......楓を殺したのも、そのためか?」
隆の笑みが一瞬だけ消えた。
「彼女は......"真実"を知ってしまった。それだけだ。」
透の中で、何かが音を立てて崩れる。
「......父さん。母さんを助けたい気持ちはわかる。だけど──そのために、誰かを犠牲にしていいはずがない。」
隆は目を細め、悲しげに微笑んだ。
「透は優しいね。だが、世界は"対価"で動いている。
母さんを取り戻すには、怪異の王の力が必要だ。そしてその王を"制御できる"のは、神代の血を継ぐお前しかいない。」
透の足元が震える。だが次の瞬間、その瞳に確かな決意の光が宿った。
「......だったら、俺はお前を止める。」
「ほう。」
隆は嬉しそうに笑った。
「やはりお前は、私の息子だ。理想を掲げ、そのためには手段も厭わない。だがその正義がいずれお前自身を壊す。」
タマが叫ぶ。
「透、下がれ!こいつ、やる気じゃぞ!」
隆の周囲に、黒い靄が漂い始めた。
壁に刻まれた封印陣が光り、まるで王の力を部分的に借りるように、異形の紋様が父の腕に刻まれていく。
「王の力を使えるのはお前だけではない。
お前に見せてあげよう────これが....本来の力だ。」
紋様が怪しく光り、隆の足元から禍々しいオーラを放つ怪異が次々と召喚される。
これまで対峙してきたきた怪異よりも明らかに強い....恐らくは王の直系かそれに近いものだろう。
透も一歩踏み出す。
それに呼応するかのように、影が蠢き、背後に浮かぶ怪異たちが応えるように姿を現す。
「素晴らしい。
では、どちらが正しいか──ここで決めようか。」
父と子が対峙する。
二つの想いが交差し、重苦しい空気が部屋を満たす。
隆の声が低く響いた。
「さあ、透。私を超えてみせなさい。
勝ったものこそが、"神哭"の真実だ。」
黒い風が吹き荒れ、視界が歪む。
次の瞬間、部屋は光に包まれ──戦いの幕が上がった。




