第16話 落葉
「────透さん。ここで死んでください。」
その言葉が、空気を裂く。
楓の目は、いつもの挑戦的な笑みではなかった。そこには、冷えた決意と、何かを押し殺すような光が宿っていた。
「......冗談だろ、楓」
「冗談で刀は抜きませんよ」
風が、二人の間をすり抜ける。
血に染まった“真紅の花”の花弁が、まだ空中に漂っていた。鎮圧したはずの戦場に、今度は人の殺意が芽吹く。
最初に動いたのは楓だった。
抜刀の一閃。地を滑るように詰め、透の喉元を狙う。
透は反射的に受け流すが、腕に残る衝撃は重い。
───早い。今までの楓とは比べものにならない。
「さすが、ですね。これも王の力....ですか?」
「......お前、何でこんなことを......」
楓は息を吐き、わずかに笑う。
その笑みは皮肉と、諦めが混じったようなものだった。
「命令です。上から、“透さんを処理しろ”と。──正式な、抹殺指令ですよ。」
その一言で、透の胸が冷たく締め付けられた。
やはりACBは、すべてを知っていた。自分が“怪異と共鳴する”体質であること。制御不能になれば、怪異以上の脅威になること。
「本当は、“真紅の花”にやらせる予定だったんですよ。けど、そんなの──つまんないじゃないですか」
楓は笑う。
その笑いは、戦場の狂気の中でのみ輝くものだった。
「どうせやるなら、私の手で。」
金属音が火花を散らし、二人の影が交錯する。
楓の斬撃は疾風のように鋭く、透の反撃は大地を震わせるほど重かった。
斬り結ぶたびに、互いの呼吸が乱れ、足元に血が落ちる。
それでも楓は一歩も退かない。
「なんで......そんな顔するんですか。」
「楓を斬りたくない」
「優しいですね。でも、そんなんじゃこの先勝てませんよ」
次の瞬間、楓の刀が閃いた。
刀がぶつかり、火花が散る。
「──とどめです。」
楓の刃が、透の胸元を貫く。
「く......っ!」
膝をつき、地に血が滲む。
しかし、楓の首元には刃が突き付けられていた。
「......悪いな、楓」
楓が貫いたのは以前吸収した影の怪異。
「いつの間に....」
貫かれた怪異はゆっくりと影になって透の掌に戻っていく。
「負け...ですね...結局、あなたが正しかったのですか......」
そう言うと、楓は自身の刀で腹部を貫いた。
「楓っ!!!」
倒れそうになる彼女を慌てて支える。
「どうせ...あなたでは斬れないと思ったので.....」
虚ろになる意識の中、楓の過去が滲むように浮かび上がる。
彼女は、ずっと“弱者”だった。
誰にも信じてもらえず、殴られ、踏みにじられ、それでも歯を食いしばって立ち上がった。
────だから、力がすべてだと思っていた。
誰よりも強くなれば、誰にも奪われない。
そう信じてきた。
でも、透と出会って、少しずつ世界が変わった。
タマという怪異を庇いながら、危険な現場を笑ってくぐり抜ける彼を見て、理解できなかった。
“なんであんなに無茶してまで、誰かを守ろうとするんだろう”
だけど、その答えが今、わかる気がした。
「透さん......私、間違ってたんでしょうか....」
「......もう喋るな。止血を──」
「いいんです。なんか......楽しかったです。初めて、全力で生きてるって思えた」
楓は微笑んだ。
その笑顔は、初めて見せる、柔らかい表情だった。
「......楓?」
後ろで呻き声がした。
気絶していた陣が、ようやく目を覚ましたようだ。
「陣!早く楓をっっ!!」
「あ、ああ!!楓、歩けるか...?」
楓は力なく笑いながら、陣を見た。
「先輩、透さんを......頼みますね」
「おい、なに言って──」
パンッ。
乾いた銃声が、全てを断ち切った。
楓の身体が、陣の腕の中に崩れ落ちる。
その胸から、ゆっくりと紅が滲み出す。
「楓っ!!」
叫びが、夜を裂いた。
遠くで、銃を構えた影が立っていた。
黒い外套にACBの徽章。
無感情な視線が、透たちを見下ろしている。
楓の唇が、微かに動く。
「......陣......先輩......わたし......」
力にならない声で陣に伝える。
何を言っていたかはわからないが、陣の表情からその言葉は察しがついた。
そしてそのまま、彼女は陣の腕の中で動かなくなった。
花のように散った血が、夜風に舞う。
陣は、ただ彼女を抱きしめた。
声にならない叫びが、胸の奥で崩れた。




