②撤退、そして再び
魔力が尽きる音は、しない。
だけど、俺にはわかる。体の奥が、空っぽになっていくのが。
「カイル、シズ、下がれ! ここは──」
俺の声は、雷鳴のような咆哮にかき消された。
黒い霧の中から現れたのは、四つ目の巨躯。異形の魔獣、“ヘルゲイザー”。
その一撃が、地面を抉り、隊列を丸ごと吹き飛ばした。
「っく……あれ、討てる相手じゃない……!」
シズが息を切らせながら後退する。彼女の魔導器はもう焦げ付き、起動符が次々に砕け落ちていく。
カイルは、割れた盾を構えたまま、傷だらけの体で俺たちの前に立った。
「撤退命令、来たぞ! 走れ!」
味方の旗が、赤く点滅している。
第四戦区、全面撤退。
足を引きずりながら、俺たちは逃げた。背後では、魔獣の咆哮と、残された仲間たちの断末魔が響いていた。
ーーー夜。
テントの外では、負傷兵のうめき声が止まらない。
かつて仲間だった顔が、次々と白布に包まれていくのを、俺はただ見ていた。
「……三小隊、全滅。第五中隊も、半数が死亡。俺たちがいた前衛斥候隊は……三分の一が生存」
シズが紙の報告書を手に、かすれた声で呟く。
彼女の眼は赤く、泣いたのを隠すように魔導器の調整を続けていた。
「俺たちは……運が良かったのか?」
カイルが苦笑交じりに言う。包帯で固めた左肩が、じわじわと血を滲ませている。
「運が良かったんなら、もっと多く生きてたさ」
俺の声は、自分でも驚くほど乾いていた。
助けられなかった命の数が、魔力の枯渇より重く胸にのしかかる。
「なあ、また最前線に戻るんだってな」
カイルの言葉に、俺とシズは一斉に顔を上げた。
「……補充もない。魔導支援部隊は壊滅。お前ら、もう十分戦ったろ。命令無視して逃げたって、俺は責めねぇよ」
それでも、俺たちは誰も口を開かなかった。
布の継ぎ接ぎの天幕の中で、沈黙が続く。
「でも、俺は行くよ」
静かに立ち上がりながら、俺は言った。
「たぶん、また救えないかもしれない。それでも……あの戦場に残ってる誰かを見捨てたくない」
「……やめてよ」
シズの声がかすれた。
魔導器の調整をしていた手が止まり、ぎゅっと膝の上で拳を握る。
「あたしは……戻りたくない。もう、誰かの叫びを聞きたくないし、血の臭いも嫌。もう十分じゃないの?」
沈黙が落ちた。
カイルも口を開かない。ただ、こちらをじっと見ている。
シズの肩が震えた。
「でも……2人が行くなら、行くよ。誰かが後ろにいなきゃ、あんたらすぐ死ぬから」
苦笑のように言って、シズは立ち上がった。
「ホントにバカ。死ぬなら、せめて一緒にね」
「ああ、死ぬ時は一緒だ」
カイルが笑って立ち上がる。
その笑顔に、俺も自然と頷いていた。
再び、地獄へ向かう。
今度こそ、誰も失いたくなかった。
ーーー再出撃は、夜明け前に下された。
残存兵の中から“動ける者”だけが選ばれ、部隊番号すら与えられない即席の小隊が編成された。
「第四戦区、魔族の主戦力が残っている可能性あり。殲滅目標ではなく、生存者救出および情報回収が主目的」
軍の説明は、ただの建前だった。
生存者を回収する余力なんて残っていない。
俺たちはただ、“何人かを犠牲にしてでも情報を拾ってこい”と命じられただけだ。
空はまだ暗く、霧が濃い。
戦場に向かう道中、誰も口を開かなかった。
やがて、焦げた鉄と肉の臭いが鼻を刺し、俺たちはまた“あの場所”へ戻ってきた。
かつて仲間が死んだその地に。
自分たちも、きっとまた死ぬだろうという場所に。
「……あれ、なんだ?」
カイルの声に、俺とシズが前方を見た。
薄明の中、霧の向こうに“それ”はいた。
巨大な影。八本の腕。頭部には仮面のような骨をかぶり、体から魔力の瘴気を吹き出している。
魔族上位種──“屍喰いのグラーヴァ”
「ッ、無理だ……あんなの、討てるわけない……!」
シズが震え声で呟いた。魔導器が音を立てて拒絶反応を示す。
俺の膝も、無意識に力を失いかけた。
それでも、カイルが前に出た。
「くそが……俺たちの“最後の仕事”かもしれねぇな」
俺たちは、構えた。
恐怖で震えながら、それでも目の前にある命を守るために。
「魔法陣展開……っ! リュウ、援護お願い!」
「了解、すぐ行く……!」
そうして俺たちは、絶望の中に飛び込んだ。
魔法が焼け、盾が砕け、叫びが響く。
その瞬間までは──
「あっれ〜? なんか見たことあるマップだな〜?」
まるで別の世界の音のように、軽い声が戦場に響く。
全員が凍りついた。
そして次の瞬間、天から降り注ぐ閃光が戦場を包み、グラーヴァの腕が一本、跡形もなく吹き飛んだ。
死にかけていた俺たちの眼に、
白い鎧を纏った笑顔の“英雄”が映っていた。
第2話までお読みいただき、ありがとうございます。
戦場の中で揺れる気持ちや葛藤が少しでも伝われば嬉しいです。
いよいよ次話で完結となります。