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六本木電力産業(上)

 情報工学科第2会議室には、前原研のメンバーが集まっていた。

 会議を招集した前原(まえはら)(たすく)教授は、

「今日は、六本木電力産業さんの紹介で、央独(ヤン・ドゥー)国で農業用ドローンの自動制御を研究開発している技術者と意見交換することになっています。多田くんと綾川(あやかわ)くんのやっているシミュレーションを使ったAI制御系の学習方式を応用できる分野なので、有意義な研究開発事業協力体制に繋げられればいいですが、今日はまずあちらの開発状況の現況把握に重点をおいてください」

と始める。

 学部学生向けには代講を立てずに欠かさず自ら講義する前原教授だが、研究室の輪講などは多田助教や博士課程の大学院生に任せきり、とは学科内共通の評判である。

 明華(ミンファ)も、教授の講義を選択していた学部3年生(専門課程1年目)の半年間は毎週教授と顔を合わせていたが、研究室配属となったこの4年生の春からは、その頻度はめっきり減り、今日でやっと2回目だ。

 研究室に配属になって他の教授よりもずっと頻繁に会うようになるのであればともかく、まったく逆なのは少々納得がいかない。

 前原教授が産業界に太いパイプを持っているのはよく知られている。大学院生に与える課題やら、教授が斡旋するアルバイトなども、その時々に付き合いのある企業や団体絡みであることが多い。学部3年生のとき、明華(ミンファ)も同級生の越田(こしだ)梨香(りか)と一緒に、業界人向けAI入門書を日本語に翻訳する手伝いをした。梨香よりも英語が得意な明華(ミンファ)の日本語訳を、明華(ミンファ)より日本語が得意な梨香が手直しする、という分担だった。

 表紙には「監訳・前原(まえはら)(たすく)」と堂々と書いてあっても、教授に斡旋されたアルバイト学生が各章を分担して、お小遣い稼ぎに翻訳しているという、理系学生には馴染みのある仕組みである。

「多田さん多田さん、六本木電力産業、って、与党政治家が資金洗浄用に持っている有名なフロント企業ですよね。ボク、マズイ研究室に入っちゃったかなぁ」

 かつて大臣のポストについたこともある与党のさる大物政治家と六本木電力産業との間には、頻繁に黒い噂が囁かれ、最近も週刊誌に疑惑が取り上げられている。

 央独(ヤン・ドゥー)寄りの立場をとることで知られる前大臣は、相手国と親しい関係を築いている、とか、相手国をよく知っている、とかいう意味で「親央派」とか「知央派」などと自称しているが、物事の本質が多少でも見えている批評家たちからは、央独(ヤン・ドゥー)に媚びている、という意味を込めて「媚央議員」と呼ばれることの方が多い。

 中には、前大臣のことを、国益を損なっても央独(ヤン・ドゥー)との関係から自らの利益を得ようとする、「売国議員」と呼ぶものさえいる。

 日本の将来を担う、前途ある若者の立場からは、あまり積極的に関わり合いになりたい会社でないことは否めない。

 修士課程2年の支倉(はせくら)は教授に聞こえないよう小声で言った積りなのだろうが、多田助教は、顔を顰めて、大人しくしているようにたしなめる。そのとき、

「失礼します」

 扉が開き、2人の訪問者が姿を現した。

 一人は顔色の悪い中年男性。四角く太い黒縁の眼鏡を掛け、灰色のスーツに身を包み、いかにも営業マンといった服装だ。

 そしてもう一人。

 後から入室してきた人物は、明華(ミンファ)の姉、()明玉(ミンユ)だったが、明華(ミンファ)の知る姉とはまるで別人のように見えた。明華(ミンファ)と同じ特徴的な銀髪には、ふんわりとウェーブがかかり、白いブラウスにグレーのスラックスというシンプルな服装だが、その顔には緊張の色が浮かんでいる。

「六本木電力産業株式会社の営業部長、()(カイ)と申します」

 中年男性が挨拶する。その声に、明華(ミンファ)は息を呑んだ。()(カイ)は、先日、領事館で自分を尋問した領事だった。先日の細い金縁のメガネのときと随分印象が違う。完璧なまでに民間人になりきっていて、央麗人民独裁国の領事には見えない。

「ワタクシは単なる付き添いでありまして、本日の当社側の主役は、この()明玉(ミンユ)です。()は、央独農業科学院でドローン開発に携わっています。前原研に留学しておられる、()明華(ミンファ)さんのお姉さんにあたります」

 ()(カイ)の紹介を受け、明玉(ミンユ)が軽く頭を下げる。その表情は硬く、どこかぎこちない。明華(ミンファ)の方を見つめる明玉(ミンユ)の視線に緊張を感じたが、明華(ミンファ)は平静を装って、にこやかに微笑み返した。

「本日は、弊社が取り組んでおります農業用ドローンの改良プロジェクトについて、ご紹介させていただきマス」

 ()(カイ)が説明を始める。プロジェクターのスクリーンには、「次世代型農業用ドローンによるスマート農業の実現」というスライドのタイトルが映し出された。

「……近年、農業従事者の高齢化や人手不足が深刻化しており、省力化・効率化が急務となっておりマス。そこで、弊社では、AIを搭載した自律飛行型ドローンの開発を進めており……」

 ()(カイ)の説明は続くが、明華(ミンファ)の耳にはほとんど届いていなかった。頭の中は、姉のこと、そして自分が置かれている状況でいっぱいだ。姉の軍務については何も聞かされていないが、農業用ドローンの開発、なんて、央独(ヤン・ドゥー)人民独裁軍の軍務として行っているはずがない。そのカバーストーリーの裏で、姉は本当は何を行っているのだろうか。

 先日、在東京央独領事館に呼び出されたとき、明華(ミンファ)には「国外にいるときにも、央独(ヤン・ドゥー)国民として果たす義務があり、央独(ヤン・ドゥー)の法律に違反した場合の罰則は、本人だけでなく家族にも及ぶ」と告げられたことが突然思い起こされる。あのとき、()(カイ)は、国防動員法のことを匂わせていたのだ。

 央麗人民独裁国(央独(ヤン・ドゥー))政府が、国の安全を守るために必要と判断すれば、国内外に在住する央独(ヤン・ドゥー)市民を「動員」することができる。留学生として日本に在住している明華(ミンファ)も例外ではない。

 央独(ヤン・ドゥー)が下す指示の内容が、明華(ミンファ)の在住国である日本の法律に違反する行為であっても、それに従わなければ明華(ミンファ)だけでなく、明玉(ミンユ)やふたりの両親にも罰則が及ぶことになる。それが、()領事の「違反した場合の罰則は、本人だけでなく家族にも及びマス」という脅しの真意だったのだ。

 この訪問は、東都工業大学から、明華(ミンファ)の母国である央独(ヤン・ドゥー)が必要とするAI技術を盗み出す目的のものなのだろうか、と明華(ミンファ)は想像を巡らせる。

 来訪者たちが央独(ヤン・ドゥー)政府関係者などではなく、央独系在日民間企業である六本木電力産業株式会社であって、彼らは、平和目的の農業用ドローン制御技術を研究開発している善意の民間人であること。これを前原研究室メンバーに疑われてはならない。

 明玉(ミンユ)は、勤務している会社を代表して、たまたま明華(ミンファ)が所属している研究室に、共同研究開発の可能性を打診しに来た、というだけで、この訪問にそれ以上の意味はないかのように、振る舞わねばならない。

 それらが、明華(ミンファ)の「央独(ヤン・ドゥー)国民として果たす義務」であり、それに反した場合の重い罰則は、明華(ミンファ)だけでなく、姉にも故国に残してきた父母にも及ぶ。

 それが、国防動員法の趣旨である。

「……このプロジェクトにご協力いただける研究機関を探しており、前原教授の研究室にご相談させていただいた次第でございます。

 ()明玉(ミンユ)さんは、AIを使った機械制御技術の専門家です。特に、画像認識技術やドローンの飛行制御アルゴリズムの開発に長けており、その技術は、日本の農業にも大きく貢献できるものと確信しております」

 前原教授は頷きながら、多田助教に視線を向ける。

「多田君、君たちの研究内容と関連がありそうだな。詳しい話を聞いてみてくれ」

「はい、わかりました」


(この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません)

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