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ソメイヨシノとチューリングテスト

「4年生は配属された研究室毎に薬草園に向かウ、っていうのに、私たちも学生控室のグループについて行っていいノ?」

「みんにゃんも融通利かないねぇ。今から研究室まで戻るのも二度手間だから、このまま行こうよっ!」

「ま、行き先はみんな同じだし、時間は午後一杯あるから、研究室でも全員集まるまでわざわざ待ったりとかせんだろ。心配しなくていいと思うぞ。どうせ3年を連れてくから、わっしと一緒に来るのが一番間違いないし」

 明華(ミンファ)梨香(りか)は、引率の綾川(あやかわ)と3人横並びで住宅地を抜けてゆく道をすすむ。ぞろぞろと30人ほどの3年生が、三々五々、後ろに続いて同じ方向に歩く。道幅が広い割に車通りの少ない道では誰の邪魔にもならないのは幸いだった。

「みんにゃん、晴れて穏やかな日でよかったねぇ」

「ほんとう、気持ちのいい日ネ」

 なだらかな登り坂を道なりに歩いてゆく。爽やかな風が、すこし汗ばんできた明華(ミンファ)の肌に心地よい。

 15分ほど歩くと、だらだらと一直線に続く坂の突き当りに鬱蒼とした森のような木々が見えてくる。森は、背の高いコンクリートの塀で囲まれて公園のようになっているようだ。塀沿いにさらに5分ほど歩くと、塀の切れ目に大きな門があって、そこに人だかりが出来ていた。

 左右の門柱はレンガ積みで、右の柱には、「東都工業大学・大岩山薬草園」と立派な字で書かれた看板がかかっている。

 ぷらぷらと歩いて20分で到着した。綾川(あやかわ)がはじめに説明していた通りだ。

 立ち止まった綾川(あやかわ)は、後方に続く3年生の列を最後にもう一度確認する。

「おーい、みんなはぐれないでついてきたかい。今日はウチの学部所属であるとわかるように学生証を見せたら入れてもらえるようになってるから、そうやって中にまず入ってください。わっしらはもう中に入るから、後から来る人にも順に伝えて」

 3年生の列の先頭グループが了解したのを確認して、綾川(あやかわ)は門の守衛に学生証を見せて、さっさと中に入る。明華(ミンファ)梨香(りか)綾川(あやかわ)の真似をして園内へ進んだ。


  §  §  §


 園内にすでに到着している学生はまだ少数だった。

「あ、多田さん多田さん」

 先に来ていた多田(ただ)由彦(よしひこ)助教に、綾川(あやかわ)が声をかける。

 小太りで四角い黒縁の眼鏡をかけた多田助教には、梨香も明華(ミンファ)も、3年生の実習で指導を受けた。面倒見がよくて学生に人気の助教である。学生の面倒を見るのに時間をかけすぎているせいなのか、今年こそ博士論文を書く、と毎年周囲に決意を告げても、一向に博士になる気配がない。大学院生たちからも気安い兄貴分と思われているせいか、「多田先生」と呼ぶのが正しいだろうに、学生は誰も先生と呼ばない。2文字2音節の短い姓のせいか、「多田さん多田さん」と2回繰り返して呼ぶのはいったい誰が始めたのか、学科ではすっかり定着してしまっている。

 もちろん、多田助教はその呼び方が気に入らない。

「何です何です、綾川(あやかわ)氏」

 と自分も繰り返しで返事を返す。

「わっしたち、いま学生控室から3年生を拾ってきましたけど、院生はまだあんまり集まってないみたいですね。先に来て設営を始めていてくださって、ありがとうございます」

 多田助教の足元に積み上げてあったレジャーシートの山に向かって、越田(こしだ)は言う。

「多田さん多田さん、梨香、それ広げたらいいんですかっ?」

「こらこら、真似しない」

 そうしている間にも門の方から一緒に来た3年生たちが集まってくる。

越田(こしだ)さん、()さん、じゃぁ、みんなが座れるようにレジャーシートを広げて場所を作ってください」

「みんにゃん、手伝ってぇ~」

 梨香は明華(ミンファ)に声をかけ、多田助教からレジャーシートを受け取って広げ始める。次々に到着する3年生たちも、シートを広げたり、用意されている飲み物やお弁当を受け取ったりと、思い思いに動き始める。

 しばらくすると、学生たちがソメイヨシノの木の下に集まり、シートの上で談笑したり、花見らしい風景になってきた。

「ふぅ……」

 多田助教は持参したペットボトルから一口お茶を飲み、大きく息を吐いた。

「それにしても、今年は3年生が多いね。こんなに大所帯になるとはねぇ」

「ええ、荷物の搬入もありがとうございました」

「いやいや、レジャーシートとか仕出しの弁当とか運ぶために車出してくれたのはM2(えむに)支倉(はせくら)氏だから。ワタシは一緒に乗ってきただけ」

 綾川(あやかわ)は、6分咲きのソメイヨシノを見上げながら答えた。

「今年は例年より情報工学科への進学希望者が多くて、当初の予定枠を大きく超えて3年生を採用したと聞いてます。学科の説明会に来た2年生に、わっしが『うちの学科では最新の人工知能の研究もできますよ』なんて言ったのが良かったのかな」

「まぁそれを良かったというのかどうかは別、ワタシからすると、学生さんは多すぎず、少なすぎず、のほうが望ましいですよ。そもそも、そのつもりで定員だって決めているんだから。今は人工知能がブームかも知らんけど、そんなブームいつまでも続かないでしょう。ブームが去った後、学生さんたちがどういったことをして世の中の役に立てるか、そのために、いま人工知能の勉強をするのか、他のことを勉強しておいたほうが将来的に応用が効くのか」

「多田さんは、相変わらず慎重ですね。まあ、確かに人工知能ブームは一過性のものになるかもしれませんけど、今の学生たちは、人工知能技術の基礎をしっかり身につけて、それを様々な分野に応用できる力を養えばいいと、わっしは思うんだよね。ブームが去った後でも、何か新しいものを生み出せるように」

 その言葉に、多田助教は少し考え込むような表情を見せた。

「そう……綾川(あやかわ)氏の言う通りなんだよね。基礎をしっかり身につけ、応用力を養う。AI技術そのものに固執するのではなく、それをツールとして、様々な問題解決に活用できる人材を育成することは、確かに重要だからね」

 多田助教は、大きく頷くと、ペットボトルのお茶を飲み干した。

「よし、じゃあ、そろそろ始めますか。綾川(あやかわ)氏も、こっちへ来て」

 多田助教は、そう言って、シートの上に座り込んだ。綾川(あやかわ)もそれに(なら)い、彼の隣に腰を下ろす。

「今日は機械制御へのAI適用について、少し議論しましょうか。最近は、自動運転技術やロボット制御など、様々な分野でAIが活用されてますけど……」

 多田助教は、学生たちに語りかけ始めた。彼の説明は、AIの基礎から始まり、機械学習、深層学習といった最新技術、そして、それらがどのように機械制御に応用されているのか、具体例を交えながら詳しく解説していく。時折、綾川(あやかわ)が補足説明を加えたり、学生からの質問に答えたりしながら、議論は次第に熱を帯びていく。

「例えば、ロボットが歩くことを学習する、なんてことを考えると、最初はよろめいたり倒れたりするでしょ。でも、試行錯誤を通して、動きやバランスを調整していくと、だんだん安定して歩けるようになる。正しい方向に一歩踏み出すと褒めてやって、そうでなくて失敗すると倒れて痛い思いをする。まぁ、ロボットは実際には『痛い』とは思わないでしょうけど、そうすることで、最適な動きを学習したら、熟練の歩行者になれるわけ」

「それってぇ、パブロフ先生のワンちゃんと原理は同じ、ってことですかぁ?

 AIを使って、ロボットが手術や手芸のように複雑な作業をできるようになる、ってことですねぇ。梨香(りか)より編み物得意なロボット、って、ちょっとやだなぁ」

 高校生の時に手芸部だった越田(こしだ)は変な例をあげる。

 綾川(あやかわ)は頷く。

「その通り。実際、外科手術をこなせるロボットは開発されているし、人工知能アルゴリズムの中には、人間が作った作品と見分けがつかないような絵画とか音楽とか作れるものもあるし」

 明華(ミンファ)綾川(あやかわ)に尋ねた。

「従来の、人と会話するAIダト、どれくらい人間らしいかを判定する手法が確立していますヨネ。今日話題にしているロボット制御のAIは、どうやって評価したらいいんでしょうネ」

 多田助教が答える。

「いい質問ですね、従来のAIの評価と、ロボット制御のAIの評価は、確かに異なる側面があって……

 チューリングテストは、ヒトと区別がつかないほど自然な会話ができるかどうかでAIを評価するわけだけど、ロボット制御用のAIの場合、ヒトと会話できる能力は必ずしも重要ではなくて、タスク遂行能力や環境適応能力が評価指標になります。

 例えば、ロボットが手術を行う場合、ヒトと同じように繊細な動きができて、予期せぬ事態にも対応できることに値打ちがあるわけ」

「ロボット制御の人工知能は、人間と話せなくても一向に困らないシ、することが人間と見分けがつかナイ、というのは重要でも何でもナクテ、ロボットの目的に合致した動作ができるかどうかが重要ということデスカ?」

 多田助教がさらに補足する。

「そう。極端なことを言ってしまうと、人間と同じように、というのは必ずしも重要な評価基準ではない。できることならば、人間よりずっと上手にできる、というのが望ましいわけです。そこで、ベンチマークと呼ばれる、様々なタスクをこなすための評価基準が開発されていて、例えば、ロボットアームでりんごを掴む、とか、複雑な地形を移動する、とか、そういったタスクをどれだけ正確かつ迅速にこなせるか、といった指標で評価するんですね」

「りんごをアームで掴む、くらいナラ、りんごの実物を準備できますケド、いろいろな地形、トカ、瓦礫の中の被災者救助、なんて、実際にビルを崩して評価のための場所を作るんデスカ?」

 綾川(あやかわ)が最近その方面の研究に興味があるのを知っている多田助教は、目で合図して、綾川(あやかわ)に引き継いで解説するよう促す。

「いや、()さん、そういうのはシミュレーションでやることが多いんだ。

 壊れたビルを準備するのが大変なのもそうなんだけどさ、同じ瓦礫の山でも、細かにいろいろな状況を作って、雨が降って下が滑るとか、被災者が怪我しているから、そろーりと丁寧に運ばないといけない、とか、そういうのに対処できるようにしないといけないでしょ。

 そのうえAIに学習させる、という用途の場合には、各状況下での行動を評価するだけじゃなくて、与えられた状況下で自分がとった行動とその結果から学習する、という必要もあるから、反復学習ができるように、そういう様々な状況を一々完全に再現できないといけないわけ。

 そこで出てくるのがシミュレーション技術で、仮想現実で壊れたビルだの、グズグズになった足場だの、を作る。仮想現実でだけ存在すればいいから、物理的に作る必要はなくて、反復学習したいとき、いつでも、全く同じ状況からスタートして練習できる」

「じゃぁ、その中で動くロボットとかモ、実機を使わないデ、シミュレーションでやるんデスカ?」

「そうだね。例えば人間型のロボットなら、どことどこに関節があって、それらの関節が、どれくらいのスピードとトルクが出るモーターで動く、とか、関節と関節の間の腕やら足やらが、どれくらいの長さで、どれくらいの剛性でどんだけの密度の材料でできてる、とか、全部、設計段階からわかってるわけ。

 この足場にそのロボットを立たせて、どっち向きにどれくらいの勢いでどの足を踏み出させたら、軸足にどっち向きにどんな力が掛かる、軸足にかかる力が、足場が支えられる限界より大きいなら、そんな動きをしたロボットは足場を踏み抜いて倒れるし、軸足にかかる力の表面方向への成分が、足場の表面の摩擦係数では支えられなければ、ロボットは足をすべらせて転ぶ。こういうのはみんな物理現象だから、初歩のニュートン力学で全部計算できるわけ。

 わっしもD論の一部にするつもりで、最近いろいろ()()()()してるんだけど、結構、面白い」

 綾川(あやかわ)は、熱心に説明を続ける。

「へぇー、すごいですね!」

「俺、ガン〇ム歩かせるシミュレーション、書いてみたい!」

「お前のロボットなんて尻もちばっかだろ」

 3年生たちのあちこちから声が上がる。

「工学の世界では、現物を使っての実験ができない場合に、模型(モデル)を使って検証する、なんてことは日常茶飯事でしょ。たとえば、本物の電車が起こした脱線事故の検証実験を、スケールモデルを使ってやってみる、とかね。シミュレーションはその延長だと思えばいい。

 更にこの方針を発展させていくと、シミュレーションされた世界の中でロボットタクシーを操縦するAI制御プログラムを訓練しておいて、だけどそのタクシーにAIが出す命令と同じものを戦車に出すと、AIはタクシーの周囲の風景を見ながら交通標識に従って周りの歩行者やら自動車を避けながら運転してるつもりでいるのに、実際には周囲の状況に反応しながら、戦場を敵陣地深くまで切り込んでいく戦車を操縦している、なんて具合にも出来るわけさ。この場合には、タクシーに使われる一般乗用車が、戦車の模型(モデル)として使われているわけ。

 前に言った電車のスケールモデルの例と違うのは、模型(モデル)と本物とが必ずしもヒトの目から見て同じものである必要はない、ってことなんだ。一般乗用車を戦車を操縦するときの模型(モデル)に使うことができる、っていうのはそういうこと」

 驚きが半分、困惑が半分の3年生たちの表情を横目で見ながら、多田助教は、綾川(あやかわ)の方を見て苦笑する。

綾川(あやかわ)氏、アナタの話はいつも刺激的すぎるんだよ。3年生はまだ基礎を学ぶ段階なんだから、あまり刺激的な話は控えてほしいんだが……」

「ははは、すみません。つい調子にのってしまうのはわっしの悪い癖で」

 綾川(あやかわ)は、頭を掻きながら謝る。

 しかし、彼の目は、どこか楽しげに輝いていた。

「まあ、いいでしょう。今日のところは、AIの可能性を感じてもらえたならそれでよしとしましょう」

 多田助教は、諦めたようにそう言うと、話を続ける。

「AIは、機械制御の分野に革命をもたらす可能性を秘めている。しかし、AIはあくまでもツールであり、それをどう使うかは、私たち人間次第だ。君たちには、AI技術を正しく理解し、それを社会に役立てることができる人材に育ってほしい」

 多田助教の言葉に、学生たちは真剣に耳を傾ける。

「そのためには、諸君らはまず基礎をしっかりと学ぶこと。そして、常に新しい情報に目を向け、技術の進化を追い続けていくんだ」

 多田助教は、力強く語りかけた。

 その言葉に、学生たちは希望に満ちた表情で頷いた。

 ソメイヨシノが咲き誇る中、AI技術の未来を担う若者たちの目は、未来への希望に輝いていた。


(この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません)

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