春の光
施明華が東都工業大学に留学するためにはじめて日本の地を踏んで、もう半年になる。
明華は、東アジア随一の軍事独裁国家、央独(央麗人民独裁国)の地方都市で育った。すぐそこの県境を越えた向こうはもう西域、という、央麗文明圏の果て、という地域だ。
明華の一族は、祖父母も父母も、央独人特有の外見。のっぺりとした顔貌に、濃い黒髪、細くつり上がった目には黒の瞳だ。
しかし、姉の明玉と明華とだけは、母方の曾祖母から受け継いだ西域民族の血が先祖返りで発現したのか、彫りが深く、目鼻立ちがはっきりして、毛穴も見えぬ滑らかな肌、透き通るように輝く銀髪、少し垂れ目気味の大きな目には深い瑠璃色の大きな瞳。子供の頃から、2人は近所で評判の美人姉妹だった。
父母はともども央麗人民党の党員。
姉の明玉は、学生時代から学業優秀でスポーツも万能、政治哲学と機械工学との二重専攻で央独国防大学を首席で卒業し、25歳の若さで、すでに人民独裁軍の技術中尉として、エリート街道を歩いている。
明華は、なにかにつけて優秀な姉と比較されてきた。明華が上手くできないと、「どうしてできないの、お姉ちゃんはもっと上手だったのに」、と言われ、上手くできると、「よくできたわ。お姉ちゃんも上手にできたわよね。やっぱり姉妹ね」、と言われる。
明玉と同じ方面に進んで、これからもずっと比較されるのは、何だか厭だった。
明華は、姉が嫌いなわけではない。むしろ、大好きだと言っていい。
だからこそ、央独の政治体制の中で出世するのに有利な央独人民党政治哲学を専攻して軍人となった姉とは違う道に進みたい。姉から5年遅れて、自分の進路を選ぶときになって、明華は強くそう思った。
故国、央独(央麗人民独裁国)の国費留学生に選ばれるのは極少数の狭き門。明華は、日本に留学するために猛勉強し、その甲斐あって、晴れて、ここ東京にいる。
歩道を歩く人々の表情は穏やか。文明人としての礼節が身についている。央独とは大きくちがい、この平和な国の国民には、街角で子供に用を足させている母親など見かけない。
央独などからの観光客や、居着いてしまった不法移民・偽装難民は別である。休日の歩行者天国ともなると、ところ構わず痰を吐き、周囲の迷惑も顧みずに徒党を組んで大声で喚き散らし、その傍若無人ぶりを見るだけで、明華は恥ずかしい。
幸いなことに、今日は人出も少なくて、そうした恥ずかしい輩は目に入らない。
「みんにゃん、こっちこっちぃ」
同級生の越田梨香が呼びかける。
「この店のボンボローニぃ、有名なんだぁ。1つずつ買って、梨香と一緒に食べよっ!」
「ボンボローニ?」
「イタリア風のドーナツみたいなのぉ。中に入ってるクリームにぃバリエーションあってぇ、美味しいよぉ」
「梨香さんワ、何味にするノ? ワタシはレモン・カスタードにしようカナ」
路に面した店舗で、外はふんわり中はもちもちのボンボローニを買う。梨香は迷ったすえ、チョコラート&マンゴーにした。
街角の電光ニュースには、南支那海で漁場を奪われた周辺国の漁船の抗議行動が報じられている。国際法を無視して、央独が公海上の環礁群を勝手に埋め立てて作った人工島を要塞化し、周辺の漁民を締め出したのだ。
10年ほど前、郗鈞屏が央麗人民党の総統、つまり、央麗人民独裁国の国家主席となった。それ以来、央独の政治体制は自由化路線と集団指導体制から人民管理の強化と個人権力集中に大きく舵を切った。摩擦・軋轢を気にも止めず他国との協調を全く無視した外交方針にも拍車がかかっている。
海峡を隔てて対岸の自由主義陣営国家である美麗島や、日本の南西諸島等に対する領土的野心は郗総統の時代になってから、より一層あからさまになった。
周辺諸国に対する直接・間接の工作活動も一層、激化しているが、日本の報道機関への央独による浸透工作の成果で、そうしたニュースが報じられることは少ない。平和慣れした街行く人々が、報じられている数少ないニュースに注意を向けることはより稀だった。
明華と梨香も、電光ニュースに気を留めることなく、2人で繁華街をそぞろ歩きしながらおだやかな晴れの日を満喫していた。
(この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません)
活動報告にも書いていますけれど、本作は月曜日の朝に予約投稿しています。
誰にもブックマークされてないのに(悲しい)、ありがたいことですけれど、広報も特にしていないのに、なぜだか週の後半にもパラパラとPVをいただくんです。皆さんどこからいらっしゃるんでしょうか、不思議です。