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カトリーナは、朝食の載ったワゴンを押しながら、ため息をついた。
メイド長が控えの間から出て行くと、カトリーナは他のメイドたちから羨ましがられた。
「いいなあ、カトリーナ。私が行きたかったなー」
「やっぱカトリーナは、ジョフリー様推しだから、まずいことにならないって思われたんだろうねー」
「別に私たちも、まずいことになったりしないと思うけど。ちょーっと顔が見たいだけで」
「でもメイド長が心配するのも分かるわ」
「ギルロード殿下とジョフリー様って、全然タイプが違うから安心だよねえ」
(信頼されるのはいいけど、どうせなら黒竜騎士団の詰め所への差し入れとか、そういうのがしたかったなあ。……いいえ、ジョフリー様を至近距離で見たら、心臓が爆砕して今日が命日になりそうだから、これでよかったのよ)
ギルロードが相手だと、正面から見ようが横から眺めようが、心臓が爆砕することはないだろう。
しかし別の心配事はあった。
カトリーナの普段の仕事は、掃除や衣装のメンテナンスである。王族であるギルロード相手に、完璧な作法で給仕できるか、正直なところ自信がない。
しかもギルロードには謀反の疑いが掛けられていて、明日にも王都を追放される人間なのだ。
さきほどはお礼を言ったという話だが、逆に突然怒り狂う可能性もある。
カトリーナとしては穏便に済ませたかった。
(さっと済ませて、さっと戻ろう。喋るようになったといっても、殿下の本質的な性格は変わってないだろうから、途中でメイドを追い出そうとするはずだよね)
カトリーナはギルロードの部屋の前に立った。
一度深呼吸をしたあと、ドアをノックする。
「お食事をお持ちしました」
中から返事はない。
(やっぱり殿下は喋らない……か)
カトリーナはドアを開けた。
次の瞬間、思わず目を細める。
ギルロードは、こちらを向いていた。
先代の国王と同じ、紫色を帯びた深い青色の髪を持ち主である。
日に当たらない生活をしているせいか、肌は透き通るように白い。まっすぐ伸びた鼻筋と細い唇は、ギルロードの母である王太后によく似ていた。
しかし浅い海のようなセルリアンブルーの目は両親にも、現国王である兄にも似ていない。やさしさと同時に、はかなさを感じさせた。
(顔面から光が出ているレベルの美しさだわ。いつも後ろを向いていたのは、正面を向いたら、光で生き物が死ぬから? 私みたいな日陰の限界女には、眩しすぎる……)
まともに顔を見ていたら、脳内が焼けそうな気がしたので、カトリーナはギルロードから目をそらした。
そして可能な限り早く、テーブルの上に食事を並べる。
続いて給仕もしようとしたが、ギルロードが押しとどめた。
「あとは自分でするからいいよ。ありがとう」
(え……本当にお礼を……言った!?)
あまりのことにギルロードの顔を、まともに見てしまった。
ギルロードの美しい唇の端が、ほんの少し上を向いている。どうやら微笑んでいるらしい。
(美形の微笑み……。破壊力がやばすぎる。控えめに言って百億点ね……)
しかも美しいだけでなく、どこか親しみやすさも感じるような表情なのだ。いい意味で庶民的とも言える。
カトリーナは不思議な気持ちになった。
ギルロードは王宮から一歩も出たことがないはずなのに、何故農場で働いている人のような雰囲気を持っているのだろう。
(この人、農作業しそう。畑を耕して、牧場の柵も直しそう……)
カトリーナが、ぼんやり見つめていると、ギルロードは少し困ったような表情になった。
カトリーナは我に返る。
「失礼しました」
カトリーナは内心の焦りを隠し、丁寧に一礼した。
「ごゆっくりお過ごしくださいませ、ギルロード殿下」
扉を閉めると、カトリーナは急ぎ足で控えの間に戻った。
待ち構えていたメイドたちがカトリーナを、ぐるりと囲む。
「どうだった? ギルロード殿下」
「やっぱり喋ったでしょ」
予想どおり、質問攻めである。
「……喋った」
カトリーナは、ぼそりと言った。
「顔は、どうだった?」
少し考えたあと、カトリーナは答えた。
「――農作業しそうな、普通の顔だった」
メイドたちは、あからさまにがっかりしたような表情になる。
「何それ。意味分かんない」
「もっと詳しく教えてよ。ジョフリー様のことだったら、早口でいくらでも喋るくせに」
「普通はないでしょ、普通は」
しかし本当にそう思ってしまったのだ。
王族なのに。
あれほど美しい人だったのに。
どの町にでもいそうな、平凡で誠実な人に思えたのだ。
(農場、似合いそうだったな……)
カトリーナにとって最大級の賛辞だが、口には出さなかった。
この形容ではギルロードの良さを、誰にも理解してもらえないことを、知っていたからである。