神の裁定(シエル)
モンドール王国全土の鐘楼の鐘がいっせいに鳴り出した。
「国王が亡くなったのか?」
「いや違う。聞いてないぞ」
「鐘楼には誰もいない。あれは、自然に鳴っているんだ!」
モンドールの人びとが騒いでいると、よく晴れた空に声が響き渡った。
『わたくしは、女神シエル。テルミナールの建国当初から、かの国を守護していたが、こたび我が聖女がモンドールの聖女だと詐称し、モンドールの真の聖女を死に至らしめたため、モンドールの女神アニエスと国替えをした。この神託は各国の神殿に下されたが、モンドールでは受けるべき神官がおらぬため、わたくしが自ら宣言するものである。以後、モンドールの守護はわたくし、シエルが行い、聖女殺しに関わった者すべてをこれより断罪する』
しばしの沈黙の後、人びとが騒ぎ出した。
「聖女殺しだって?」
「神託を受ける神官がいないって、どういうことだ!」
「大神官は、何をしているんだ!」
「「聖女を殺しちまったら、この国はどうなるんだ!」」
人びとは恐慌状態に陥り、各地の神殿、王都では中央神殿と王宮へ押し寄せた。その様子が、天空に写し出され、さらに人びとの恐怖心を煽った。
「大神官さま、今の声をお聞きになりましたか!」
側近の神官が執務室にいたロレンゾの許へ走り込んできた。
「馬鹿な……女神自身が断罪に乗り出したと? 守護神など、想像上の存在ではなかったのか」
「大神官のくせに、神を信じていなかったか。笑えるな」
中央神殿の祈りの広間、神像を前に炎の玉座があり、そこには黒衣の女神が座っていた。
執務室にいたのに、ロレンゾはいつの間にか、その祈りの場にいた。
「大神官といっても、金で買った地位であるから、修行もしておらぬそなたでは、神の声も聞こえぬよなあ」
肘掛けに右ひじをつき、頭を傾け、軽く握った手に頬を寄せた女神は、「くくっ」と笑った。
神殿の天井を突き抜け、そこから空が見え、天空にそれまでロレンゾがしてきたことが映し出されていた。
デサント侯爵の四男に生まれたロレンゾは、生まれたときから将来は神官になるものと父に決められた。四番めの男児に分ける財産を惜しんだからだ。
神学校に入っても、教義の勉強や修行もせず、仲間と共に女を買い、豪遊した。それは実家のデサント侯爵家に誰も逆らえなかったから、放校もされずに彼は神官となった。
新任の神官はまず地方の神殿に行かされる。そこでロレンゾは、孤児の少女・ルイーザを拾った。村人の怪我を治癒魔法で治して暮らしていた六歳の少女を見て、彼に野心が芽生えた。
『この娘を使って、大神官になり、この国を牛耳ってやる』
少女もロレンゾに言った。
『わたし、王妃になりたいの。聖女の窮屈な暮らしなんて、嫌だわ。きれいなドレスを着て、おいしいものを食べて、おもしろおかしく暮らすのよ』
そのときすでに、大神官フランシスコによって、エステルが聖女と認定されていた。だが、ロレンゾはあきらめなかった。
『治癒が出来ない欠陥聖女なんぞ、いらない』と、同じ考えの仲間を集めた。彼は、弁舌だけはうまかったので、同調する者も多かった。
そこで、ルイーザを保護下に置いたロレンゾは、表面的には模範的な神官を演じながら、買収・暗殺などを実家の侯爵家の力を借りて行い、神殿内での自分の地位を上げていった。
大神官フランシスコに毒を盛り、失明させて徐々に力を削ぎ、世話係に自分の息がかかった者を送り込んだ。自分は聖女エステルの教育係となって、エステルを下働きと同じに扱い、食事もろくに与えず、いじめ抜いた。
同時に、平民の少女を婚約者にさせられたことを不満に思っているカルバン王太子へ近づき、美しく育ったルイーザに会わせる。
王太子がルイーザに惚れ込んだところで、騎士たちにルイーザの治癒の力を見せつけ、彼女こそが真の聖女であると信じ込ませた。
そこまで下準備を済ませたところで、国王へ持ちかける。
『聖女エステルにすべての罪をかぶせて、処刑し、ルイーザを真の聖女と発表しては』と。
自分たちの贅沢のつけを増税という形で民に支払わせていた王と王妃、王太子は、そのはかりごとに乗った。
そのころには唯一、神託を受け取ることができた大神官フランシスコをロレンゾが毒殺し、庇護者を失ったエステルを王と謀って公開処刑にしたのだった。
この様子が、音声を伴って天空に映し出された。
「嘘だ、うそだ、うそだ!」
ロレンゾはわめいた。
「真実を話せ」
女神シエルが命じると、ロレンゾが口を歪めながら言う。
「そ、それは、すべて本当のこと……わ、私が、やりました」
と、自分のやった悪事をべらべらと語り出した。
自分の政敵を葬り、大神官フランシスコと聖女エステルを殺したこと以外にも、神殿の財産を私物化し、巫女・巫覡として娼婦・男娼を神殿内に引き入れ、商売をさせて、その上がりの一部を自分の懐に入れていたこと。主要な貴族に娼婦・男娼をあてがって、言うことを聞かせていたことなど、映像にないことも話した。
ロレンゾの話が終わると、次は他の神官が語り出す。
神官の職を金で買ったこと。信者からの寄進はすべて自分たちで分けて使い切ったこと。売春宿を経営していること。
「耳が穢れるな」
女神シエルが彼らの話をさえぎった。
「外で人びとに聞かせてくるがよい。ああ、自称・大神官は、おまえに復讐を誓った者たちから、報いを受けるといい」
女神の言葉が終わらないうちに、ロレンゾの周囲には大勢の死者と恨みを持つ者の生霊が現れ、彼に襲いかかった。
ロレンゾの悲鳴はすぐに途切れ、彼が死者と生者に八つ裂きにされ、また蘇り、毒を飲まされ、剣で切り裂かれ、それでも死ねなくて、のたうちまわる様が天空に映し出された。
「王よ、あの男の言葉をどう思う?」
女神の前に、モンドールの王と王妃と王太子が立っていた。
「あやつは、嘘つきの大悪人です。私も騙されたのです」
「そうです。女神さま、わたくしたちは被害者です」
「父と母の言う通りです。僕たちは、あの男と聖女だと自称する女に騙されたのです」
三人がそれぞれ無罪を主張したが、エステルを見下し、いじめ、ロレンゾとはかりごとをする様子が天空に映し出され、エステルの処刑の場面では、ルイーザと共に笑っている姿もさらされた。
「民から税を絞り取り、贅沢三昧。王は女をはべらせ、嫌がる者を犯した。息子も同様のことをしておるな。妃は男遊びか。似た者同士の一家じゃのう」
女神は、あきれたように言った。
「エステルの処刑で叫んでいた民たちも、同罪。死ぬまで叫び、唾を吐きかけ、石を投げるがよい。この三人に」
女神が言ったとき、天空に別の映像が映し出された。人びとが王宮、そして貴族の館に押し寄せ、略奪の限りを尽くしている場面だった。
「クルエラ」
女神が呼ぶと、囚人服姿の女がゆらりと姿を現した。それは、エステルの代わりに置かれた遺体の女だった。
「そなたには、礼を言う。そなたの亡骸によって、我が姉妹・アニエスは愛し子を取り返し、国外へ出ることができた」
「つまらない嫉妬で夫を殺し、浮気相手を傷つけた、わたくしごときに、もったいないお言葉でございます」
クルエラと呼ばれた女の幽鬼は、膝をつき、頭を垂れた。
「そなた、この三人の処刑を見届けよ。罵り叫ぶ者たちの命が尽きたとき、この者たちの地上での処刑は終わり、見物人たちと共に地獄へ赴くことになるだろう。そなたは、煉獄で罪を償ったのち、楽土へ向かうのだ」
「ご温情、感謝いたします」
幽鬼が一礼して消えると、王家の三人も消えた。すると、エステルが処刑された場所で、王と王妃、王太子が次々と罵る群衆が見守る中、首を切られる。
処刑人はおらず、斧だけが動いて、傍らに女の幽鬼が立っていた。
三人は、首が落とされても死なずに蘇り、何度も処刑される。
群衆は、後悔の涙を流しながら、飲み食いもせず、眠りもしないで夜も昼も罵り叫び続け、ひとりふたりと倒れていった。
「さて、我が愛し子となるはずだった、ルイーザよ」
女神が呼ぶと、金色のドレスに宝石を首・手・胸にきらめかせたピンクブロンドの少女が姿を現した。
「あたしが悪いって、言うんでしょ! あたしはただ、幸せになりたかっただけよ。聖女なんてなりたかったわけじゃない!」
「わたくしも、人選を誤ったと思う」
「そうよね! 五歳で次代の聖女だと認定されたときは、嬉しかったわよ。両親も、『次の王妃になる』って喜んでいた。でも、王宮に連れていかれて、『王太子にはすでに妻がいて、おまえに釣り合う年頃の王子はいない』って言われて、民への奉仕と修行を義務づけられたの。遊べないし、やってられないわよ。それで、半年経った頃、騎士に抱えられて王宮を出たあたしは、山の中に棄てられたの。泣きながらさまよっていると、崖から落ちてしまって、そのとき自分から聖女の力が抜けたのを感じた。でも、助けてくれた子が治癒魔法をかけてくれて、それが自分の中に入ったとき、逃げたのよ。その力を使って生き抜いていたら、あのロレンゾというおじさんに保護されて、『おまえが聖女だ』って言われて、王妃になれるってことで、言いつけを守っただけよ」
「隣国の次代の聖女だった、そなたは、国境を越えたら、聖女としての力を失う。だが、そなたは半年とはいえ、聖女の教育を受け、分かっていたはずだ。治癒魔法を使ったその者こそ、この国の真の聖女だったと。そして、奪った能力を返すこともできたのに、それをしなかった」
「そんなこと、知らないわよ!」
ふん、とルイーザは横を向いた。
「だ、そうだ。グエン」
女神が言うと、その場に立派な衣装を着た老女が現れた。
「今のテルミナールの聖女である、そなたは、いったい何をした?」
「わ……わたくしは、恐ろしかったのでございます。次代の聖女が見つかったと聞き、それはすなわち、わたくしの命があと八年ということ。その恐れを知った息子の国王が、ルイーザをモンドールに棄てたのです。それが、このような結果を招くとは」
と、テルミナールの王太后は膝から崩れ落ち、さめざめと泣いた。
「テルミナール王国については、アニエスの裁定にゆだねよう」
女神が言うと、老女の姿は消えた。
「騎士団長・セレウコス」
女神が名を呼ぶと、モンドールの騎士団長が片膝をついた姿で、その前に現れた。
「おのれらが何をしたか、分かっておるか? 守護神が認めた聖女を邪な者の言葉に乗せられて否定し、偽りの聖女を支持したのだ」
「はい、わかっております。しかし、人は自分が見たことを信じるものです。治癒の能力を持たない聖女と治癒魔法で怪我や病を治す聖女、『どちらが本物か』と問われれば、自分たちを治してくれる者を信じるものです」
「そうだな。エステルが張っていた結界で、大きな魔獣がこの地に近寄らなかったことを、そなたたちは知らなかった。だからといって、真の聖女を死に追いやったそなたたちの罪が消えるわけではない。今、モンドールの守護神となったわたくしの聖女は、このルイーザ。これは、聖女としての修業を怠り、心構えもなく、我欲だけの存在。ゆえに、結界は張れず、この地の豊穣を願うこともない。エステルから奪った治癒の力を持つのみ。そなたたちモンドールの騎士は、この聖女を奉じて、魔獣と戦わねばならぬ」
「委細承知。覚悟は出来ております」
「では、ゆけ」
騎士団長は、一礼して姿を消した。
「ルイーザ、そなたも騎士たちと行き、彼らを癒すのだ」
「なんで、あたしが!」
ルイーザは怒ったが、女神の力で飛ばされた。
「言葉通りのことが、出来れば良いが?」
天空では、さらなる場面が映し出されていた。
王族・貴族が財産を積めるだけ積んだ馬車で、隣国へ逃げようとし、人びとも同様に逃げ出そうとして、街道がごったがえしている。その中には、家族を連れた騎士たちもいて、騎士団長は止めるために叫ぶのだが、誰も聞かない。そのうちあきらめた騎士団長も逃亡者たちの列に加わった。
一方、街道に突然姿を現したルイーザに、それまで天空の映像を見て彼女のしたことを知っていた人びとが怒り、八つ裂きにされるのだが、そのたびに彼女は蘇って、何度も殺される。しかし、やはり死ぬことはなかった。
「さて、百人隊長のダリオス。そこにいるのだろう? 出て来なさい」
女神が呼ぶと、大柄で黒髪の男が部下を二人連れて中央の扉の陰から出て来た。平民の服装をしているが、腰に剣を帯びている。
「俺に、用とは?」
女神の前に出ても礼もせず、男は尋ねた。
「サラザール人の傭兵隊長のおまえに頼みたい。外国人の巡礼者を連れて、部下たちと共に出国してほしい。じきにこの国には、世界中の魔獣が集結するだろうから、避難させよ」
「俺たちは傭兵で、金で動く。女神だからといって、ただ働きさせないでほしい。ましてや、俺たちの守護神はサラザールのアレスだ。あんたは、祈る相手じゃない」
「……隊長、不敬ですよ」
部下の一人が袖を引いたが、彼は無視した。
「それでなくとも、俺たちは賃金が未払いなんだ。さっきの騎士団長は偉そうなことを言ったが、魔獣退治の実動隊は俺たち傭兵だ。ちっせえ傷を治してもらって神殿と結託してやがったクソ野郎と、同じに見てもらっちゃあ困るぜ」
「なるほど。では、依頼料の相場は、いかほどだ? モンドール王の未払い分は?」
「未払いは金貨十袋。依頼料は危険手当込みで、金貨五袋」
「たーいちょおう、ふっかけすぎ」
右隣にいた部下が、震えながら小声で言った。
「よかろう」
女神が答えると、彼らの前に金貨が入った袋が十五個、現れた。
「契約成立だな」
そう言ったダリオスは、まだ仁王立ちのままだった。
部下たちが金貨の袋を回収して、そそくさと扉の向こうへ退く。
「女神シエル、聞きたいことがある」
「なにか?」
「あんたは、テルミナールからモンドールの守護女神に代わって、この国を滅ぼすつもりか? 鐘楼の鐘が鳴ったのは、弔いのためか。聖女を殺した罰を与えるというのなら、そいつらだけにすればいい。赤子や子どもに何の罪がある?」
「不遜なやつだが、答えよう」
女神が、にこりとした。
「アニエスは優しすぎた。ヒトの悪行を知っていても、いつかは気がつき、正道に立ち返ると考えていた。そのあげくが、国の上層部の腐敗だ。それも手がつけられないほどの。大神官を殺し、聖女、すなわち女神の愛し子を殺したのだ。この国のヒトは、すべてがその罪業を負わなくてはならない。直接の罪なくして死んだ者は、次に幸せな生を約束しよう。神の代理人たる聖女を貶めた者は、地獄で永劫の責め苦を与える。アニエスも、そのままだったら、わたくしと同様の処罰を与えたであろうが、こたびのことが起こるきっかけとなったのは、我が聖女となるはずの子の野心からであった。そのため、わたくしが裁いたのだ」
「俺は、故郷で真面目に神官の話なんざ聞いちゃいなかったが、これだけは覚えている。守護神は尊崇する者がいなくなると、その存在が消えると。女神シエルよ、あんた、国を滅ぼして、自らも消えるつもりなのか?」
「その問いには、答えぬ。いね」
女神が右手を指し伸ばして、ピンと人差し指をはじくと、百人隊長は扉の方まで吹っ飛び、向こうに押し出されると、扉は閉まった。
「こんちくしょう!」
悪態が聞こえたが、扉が開くことはなかった。
そのすぐあと、ダリオスと部下たちは巡礼者をまとめ、彫像のように動きを止めたモンドールの人びとの間を縫って街道をゆき、隣国・テルミナールとの国の境である峠を越えた。
そのとき、空を覆う魔獣と、海からぞくぞくと上がってくる魔獣、そして山越えしてやってくる魔獣に、モンドールの国土は埋め尽くされたのだった。