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逃避行

 レオナールは騎士の格好をせず、修道士の服装のまま、頭巾をかぶって馬に乗り、修道院長から金貨の袋をもらって隣国へ急いだ。王都近くになると、宿屋に馬を預け、城壁の中へ入った。それは、エステルが処刑される日だった。

 開かれている城壁の大門をやすやすと通り抜け、人びとが向かう先へ、レオナールも歩いて行った。

「みなさん、どこへ行かれるのですか?」

 彼を追い抜こうとした太った男に、尋ねた。

「見世物があるんだ。俺たちをだまして聖女だと言っていた女が今日、死刑になるんだよ。治癒もできないくせに、聖女っていうことで贅沢しやがって、あいつのせいで、俺たちの税が重くなったんだ。ざまあみろ」

 そう答えて、男は走り出した。

「違う」

 つぶやいて、レオナールはあとを追った。

 十年前見かけた少女は粗末なワンピースを着て、荒れた手をし、ロレンゾという神官に追い使われていた。贅沢? いつからそんなことになったんだ? どこかおかしい。

 と彼は思い、人びとが目指す場所へたどりついた。

 そこは王宮の広場だった。

 一段と高いところに処刑台が設けられ、すでに処刑人が斧を持って待機していた。そこがよく見える近くの場所には、騎士に護られた貴人たちの席があり、きらきらとする宝石と美しい衣装を身に着けた人びとが椅子に座っている。

 王冠とティアラをきらめかせているのは王と王妃だろう。若い男は、カルバン王太子、ピンク色の頭が彼らが真の聖女と表明した女、とまでは察することができた。

 ……連中のほうが、よっぽど贅沢だ。

 十年前の印象しかなかったが、レオナールにはあの少女が民をあざむき、贅沢三昧をしていたとは、信じられなかった。

 広場を埋め尽くす人びとが口々に喚き出した。

「聖女をかたった女を殺せ!」

「俺たちの献金で豪華な暮らしをしていた女をぶち殺せ!」

「殺せ、殺せ、殺せ!」

 護送用の馬車が人びとの間を通った。その荷台には、手かせをつけられ、血のにじんだ囚人服を着て、ぼんやりと座っている少女がいた。金茶の髪は顎のあたりで切られている。

 馬車が停まり、処刑人にひきずられ、少女が階段を上っていく。

 罵声と投石の中、手かせがはずされ、少女が引き据えられると、群衆はさらに前に行こうと動き出した。

「殺せ! 殺せ! 殺せ!」

「ちがう! 冤罪だ! やめろ!」

 レオナールは人びとに押されて前に行きながら叫ぶが、その声は群衆の罵声にかき消されてしまった。

 王が立ち上がり、右手を上げ、さっと振り下ろす。

 それにうなずいた処刑人が、斧を少女のうなじへ振り下ろした。

「ああっ!」

 レオナールは絶望の叫びを上げ、我知らず涙を流していた。

 一方で、群衆は歓喜の声をいっせいに上げた。

 処刑人が少女の髪をつかんで、血のしたたる首をかかげて人びとに見せた。

 広場にいる人びとは、これで諸悪の根源がいなくなった、とでもいうように歓声を上げ、中には躍り出す者もいた。その人びとの服はみすぼらしく、痩せて顔色も悪かった。

 処刑人が罪人の首をさらし台に置くと、それに唾を吐きかける者、石を投げる者が続出した。

 それを満足そうに見て、王族たちは王城内へ入って行った。

 レオナールは、すべての人びとを憎み、嫌悪した。

 この国はおかしい。

 そう思ったが、少女の遺体をこれ以上、さらしものにしたくなかったので、埋葬のために引き取ろうと、彼は動き出した。十年前、一度会っただけの少女とこんな形で再会するなど、冗談が過ぎるだろう、と神に心の中で皮肉った。

 レオナールは騎士だったので、隣国といえども、獄舎の仕組みは知っているつもりだった。まず、門番に賄賂を渡して獄舎の中へ入れてもらった。そして獄卒長と処刑人に会わせてもらい、「修道会の者として、遺体を葬らせてほしい」と申し入れた。当然、金貨をいくばくか渡して。

「当分、さらせって、上から言われているんだよなあ」

 獄卒長がしぶる。

 レオナールは、さらに彼の手に金貨を握らせた。

「似たような遺体を置いておけば、お偉方には分かりません。私は善行を行いたいのです。これは修道院長さまから、命じられている修行なのです」

「でもなあ」

 獄卒長がさらにしぶったところ、処刑人が言った。

「いいじゃねえか。処刑するのが、お偉方の目的だったんだ。遺体の検分になんて、来やしねえよ。それより、金をもらったほうが、よかねえか?」

 処刑人の言葉で、レオナールがさらに金貨を五枚、上乗せすると、獄卒長は許可してくれた。

 処刑人の男は、どこからか棺桶を引っ張ってきた。

「中は、おあつらえむきに昨日、病気で死んだ女の遺体だ。髪の色が微妙に違うが、そこまで見るやつはいねえよ」

 処刑人は棺桶を綱で引っ張って処刑場まで行き、それを処刑台の下に置いた。

 その頃にはもう、陽が落ちて、空に赤みが残っている頃で、広場には誰もいなかった。

 薄暗闇の中、台の上へ遺体を抱えて上り、そこで首を切断して、さらし台に置き、少女の身体を下に降ろして、首と胴を棺桶に納めた。

 レオナールは騎士として凄惨な戦いの場に幾度も身をおいた経験があるのだが、この作業は身体が動かず、出来なかった。あまりにも惨たらしいからだ。

 少女の遺体を棺桶に納めてから、処刑人は頭巾を取った。

 茶色い髪をした、ごつい若者だった。

「なあ、修道士さんよ。俺も連れて行ってくれないか。俺は、つまらない喧嘩で人を殺して捕まったんだが、処刑人をすることを条件に、生かされた。でももう、嫌なんだよ。無実のやつの首を切るのは。王族・貴族、それにつながるロレンゾなんて神官のやつらは、自分の邪魔になる人間に罪をでっち上げて殺してるんだ。見物しているやつは、生活が苦しくて、その憂さ晴らしなのさ。どいつもこいつも、くだらねえ。ま、俺にそんなことを言う資格はないがな」

 と言ってから、唾をのみ込んでから、ささやいた。

「こいつ……本物の聖女なんだろ? この国の聖女を殺した俺は、どうなるんだろう」

「そりゃあ、大罪人を」

 と、すぐ脇から涼やかな女の声がした。

「女神さまは、お許しにならないわね」

 レオナールと処刑人は、ぎょっとして、飛びのいた。

 見ればそこには、茶色い髪をアップにして白い頭巾をかぶり、グレーのチュニックにエプロン姿の女性が立っていた。

「見ていたんですか?」

 レオナールは言いながら、どうごまかそうかと考えていた。

「す・べ・て、知っているわ。でも、この子を助けることが出来なかった……」

 悲しげに答え、女性は棺桶を見下ろした。

「私は、モンドールの守護女神・アニエス。処刑人・トマス、あなた、このままでは、シエルに八つ裂きにされるわね。私とシエルは、守護する国を交換したの。私が国の境を越えると、テルミナールの守護を私が、モンドールの守護をシエルが担うことになるの。テルミナールの聖女・ルイーザがモンドールの聖女にとって代わってしまったから」

「では、王太子の隣にいた女が、行方不明になっていたテルミナールの聖女なのですか」

「そうよ。どうして、こんなことをしでかしたか、分からないけど」

 と、レオナールの問いに女性は答えた。

「それよりもまず、エステルを起こさなきゃね」

 女神・アニエスを自称する女性が棺桶に目をやると、蓋が飛び、中があらわになった。そして彼女が右手をかざすと、まぶしい光があたりに広がり、遺体の首と胴がつながって、少女が目を開けた。

「ひえっ」

 処刑人のトマスが腰を抜かした。

 レオナールも、気絶しそうだった。

 ……この人は、本当に神なのか。私は奇跡を目の当たりにしているのか?

「め、女神さまっ。どうか、お許しください!」

 トマスが地面にひれ伏した。

「いいわ。あなたは後悔しているもの。許しましょう。一緒に連れて行ってあげる。でも、人間はやめてね。シエルの怒りは避けられないから」

 と、見る間にトマスは、黒い大きな犬となった。

「あなた、犬の形をした妖精なの。ヒトの形にもなれるのよ。でも、その練習は、あと。今はこの子のことが先よ」

 アニエスは、棺桶の中にいるエステルに向き直った。

「さあ、エステル。起きなさい」

 女神の言葉に従って、エステルは半身をゆっくり起こした。そして、自分の両手を不思議そうに眺めた。

「わたし……死んだはずじゃ……」

「立って、エステル」

 その言葉で、エステルは立ち上がった。

 痩せた小柄な少女だった。汚れたワンピース型の囚人服を着て、短い金茶の髪はボサボサ。ただ金色の瞳は澄んでいた。

「ごめんなさい。私がもっと早くに気づいて手を打っておけば」

 女神アニエスは、がばりとエステルに抱きついた。

「神殿があんなに汚職まみれで、神官にふさわしくない者ばかりになっていたなんて。だから、私の言葉を伝えるすべを失ってしまったの。でも、これは言いわけね」

 身体を離した女神は言う。

「あなたは聖女の任を解かれました。もう自由に生きていいのよ。家族の許に帰りたい?」

 訊かれて、エステルはうつむいた。

「両親は……私を金貨十枚で、フランシスコ様に売ったの。弟や妹がいるから、戻っても私はやっかい者なの」

「わかったわ。私はテルミナールへ行くの。一緒にいらっしゃい」

 エステルは、こくりとうなずいた。

「あなた、レオナール・クレメンス。私たちが落ち着ける、静かな場所を知らないかしら」

「女神さま、お言葉ながら、私が知っている場所より、中央神殿か王宮へ行かれたらいかがでしょう」

「権威と権力と、欲望まみれの?」

 女神アニエスは右眉を上げた。

「反吐が出そうだわ」

「我が国も、ここと同様だと?」

 これまで仕えてきた王をはじめとする貴人たちは、モンドールの王族よりひどくないと信じていたレオナールは動揺した。

「私が女神で、この子がモンドールの聖女だと、誰が信じるかしらね。ましてや、私はあなたたちの守護女神・シエルではないのだから」

 この奇跡を見ていなかったら、自分もとうてい信じなかっただろうと、レオナールも思った。

「ならば、私が父からもらうことになっている領地へ行きましょう。サラザール王国に接している小さな村です」

「では、そこに案内なさい」

 女神は、エステルを五歳の子どもの姿にし、棺桶を木端微塵にした。そして、レオナールに幼いエステルを抱かせた。

「子育てをするの。協力してね」

 三人と一匹は、広場を離れ、王都を出たのだった。








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