第4輪 自分と向き合うとは
週明けの月曜日。
「寺川君おはよう」
「おはよう白守さん」
朝のいつもの風景。白守さんが俺に笑顔で挨拶をして俺はそれを返す。
そしてお互いに朝のSHRまで思い思いの行動をする。
「おはよう恭平氏」
「はいはい。おはよう」
少し経つと大体、林田が来て話をしてくるのでそれとなく返す。興味が覚えとく。なければ忘れる。その程度だ。
この時間に来ない時は寝坊して遅刻ギリギリで来る。
「美雪おはよう」
「郷華ちゃんおはよう」
少しして釖木さんが来ていつものように白守さんとお話しし始める。
内容は全部聞いてないので大体女の子らしい話だが、白守さんが少しずれてる印象が強い。
これはいつもの風景。高校生になって当たり前になった風景。
普通であれば、それは心地よいものであるだろう。
しかし、これではまるで友達のようだ。
そう、俺はこの風景だけは望んでいないはずだ。なのに受け入れている?
挨拶は普通だ。しない方が少し変だ。世間話はいたって普通のやり取りだ。
なんなのだろうか。この胸の中にあるモヤモヤは。
入学前の計画はもう狂っている。白守さんのせい? 俺のせい? なんなのか分からない。
レクの話し合いの後のみんなからの言葉、態度がなぜか引っかかる。
俺はあくまで副委員長。それでいいはずだ。
なのに、なのに、なんか居心地が悪い。
胸が痛むような感覚がする。訳が分からない。
「寺川、珍しく起きてるじゃないか。この問題を」
「1.714285」
「正解。寝て無ければ完璧なのに。もったいない」
数学の筧先生の小言を無視して俺は考えるのをやめて寝ることにした。
***
今日は珍しく1人で昼飯が食えた。
白守さんと最初に追いかけっこをして以来、俺と白守さんと林田と釖木さんで食べることが多かった。
そもそも1人で食べたいと望んでいたので今が理想形だ。
しかも釖木さんの確率1/2のデスロシアンルーレットもなしだ。完璧だ。完璧なはずだ。
でも、なんなんだろう。この感覚は。
「おっす、恭平氏~。先生に捕まっちゃてね」
思考が堂々巡りしていると1人、訪問者が来る。林田だ。さっきの現代文の授業で訳の分からない解答をしたので先生に怒られていたのだ。
「お前がバカなのが悪い」
俺がそう返すと林田は階段に腰を掛け、昼食を食べ始める。
「ちなみに白守どんとお嬢はクラスの女子に捕まってるよ」
「そうか。いいんじゃないか」
「残念だったね」
「何がだ?」
少し意地悪っぽく林田はいうが訳が分からなかった。その反面、肯定してる俺がいる……ような気がする。
「白守どんがいないと恭平氏、寂しそうだよ?」
「別に。いいじゃないか、クラスメイトと親交を深めるのはいいことだ。そこに俺の感情は一切関係ない」
むしろ。と言うがそれ以上の言葉が出ない。
すると林田は眉を八の字にして口角を上げる。
「やっぱり恭平氏。無理はよくないよ」
「はい?」
林田はどや顔で言う。俺は少々感情的になるが、軽く息を吐いて落ち着く。
すると持っている箸で空中に何か書くように動かす。
「慣れないことはするもんじゃない。それにそんな恭平氏は僕達は望んでいない」
僕達って僕とお嬢と白守どんのことね。と続けておかずを口に運ぶ。
「少なくとも白守さんは副委員長としての俺を望んでいるはずだ。お前も、釖木さんも普通のクラスメイトとしての俺を望んでいるはず」
「そこから違うよ。白守どんがいつそう言った? 僕は? お嬢は? そんなこと言ったかな?」
今度は持っている箸で俺を指す林田。その目はいつものふざけた感じではなく、いたって真剣だ。
知らずの知らずのうちに強く握っていた拳を広げ、頭の中を整理する。そして、
「確かに言ってはいない。だが、白守さんに関しては触れる男子が俺だけという理由がある。お前はただのお隣さんだ。釖木さんにとっては俺は白守さんのおまけみたいなものだ」
状況証拠みたいなものだ。
すると林田は小さく笑い、箸をカチカチ鳴らす。
「じゃあ、なんで恭平氏は念願の1人での食事を邪魔する僕から逃げないの?」
「え?」
「悲しい話だけど、体格差で僕は恭平氏を抑えることはできないだろうし、今だって恭平氏が走りだそうものならば僕の反応は遅れるだろう」
そう言って林田はパックの牛乳にストローを刺し、口にくわえる。
俺は言葉も出せずに林田の言葉を待った。
「恭平氏は逃げることが可能なのに逃げようとしない。それはなぜか?」
ズズズと音が聞こえると林田はパックを軽く握りつぶした。
林田は軽く手を合わせて挨拶をして立ち上がり、ケツを軽くはたく。そして階段を降り始める。
途中、俺の方向に振り返り、真面目なニカっと笑って見せる。
「皮肉にもこの間の恭平氏と油元の言い合いで気付いたんだよ」
肉だるまなだけに。と言うが上手くはないぞ。
林田の変なペースに乗せられてることに気付き、軽く咳払いをする。
「何にだ?」
「それは一番、恭平氏が分かってることじゃないのかな?」
「質問を質問で返すな」
語気を強めるが林田は表情一つ変えずに黙っている。
少し待つと林田は口を開く。
「気付いたのは僕だけじゃない。反応や態度からしてお嬢も白守どんもだよ」
再び背を向け、階段を数段降りるとまた振り返る。
今度は真剣な表情だ。
「一度自分と向き合ってみるといいよ。意外と勇気のいることだけど、恭平氏には出来ると思うよ」
真っ直ぐな声でそう言い、林田はこの場を後にした。
「何が言いたいんだよ」
林田の姿が見えなくなって数秒後、俺はそうボソっと呟いた。
その声は部室棟を空しく振るわせるだけだった。
***
「どけぇ! ボクのお通りだ!!」
ボールが……じゃなくて油元がボールをドリブルしながら叫ぶ。
威勢はいいが、ドリブルも前に進む速度もそんなに早くない。むしろ遅い。
相手チームは油元のフォローができるように動くが当の本人はパスをする気はなさそうだ。
さりげなく相手の背後を通って油元の横へ入り、ボールを叩く。
「このコソ泥野郎が! ボクの晴れ舞台を台無しにしやがって!」
「授業なんでね」
少しあざ笑うように言って攻撃に回る。
俺がはじいたボールは無事にチームメイトに渡り、素早くドリブルして進む。
油元をアシストするために全員がこちらのゴール付近に移動してたので反応が遅れる。そのままチームメイトはゴールを決めた。
そのまま、試合終了を知らせるホイッスルが鳴る。
「お前ら役に立たなさすぎるぞ! せっかく美雪ちゃんに良いところ見せたかったのに」
油元は怒り狂った子供のように地団太を踏む。罵倒を浴びせられたチームメイトはやれやれと言った態度をとる。
今日に限り、男子は活躍をしたいだろう。
なぜなら、網越しの隣のコートで女子が体育をしているからだ。
次の試合をするチームのためにコートからはけて壁に寄りかかりながら座る。
件の白守さんは今まさに試合中だ。つまり油元が活躍しようがしまいが白守さんの目に入ることはない。
ボールを持った白守さんは流れるような動きで、妨害を回避してゴール下へ行く。
3人が白守さんを止めようと群がる。3人の手が白守さんの持つボールに触れそうになった瞬間、白守さんはバスケ部のチームメイトにパスをした。
そのまま綺麗な3ポイントシュートを決める。
興奮した様子でゴールを決めたバスケ部員が白守さんに声をかける。
「白守さん。すごいよ! 女バス来ない?」
興奮した様子が伝わるほど熱烈なスカウトだが、白守さんはそれを首を横に振って断る。その瞬間、白守さんの脇を相手チームのパスが通ろうとする。
試合中に会話しているのだから反応できるはずがない。普通は。
しかし、白守さんはそれをたやすく取ってドリブルをする。手振り的にゴールの方に行くように言ったのかバスケ部の女子はゴールの方へ走った。
そしてまた先程と同じような動きだ。
前から思っていたが白守さんはこういう時、不思議な動きをする。
変、という意味ではない。言葉にできないくらいすごいのだ。漫画で例えるなら武術家の動きみたい。もちろん素人目なのでそれっぽく見えるだけだ。
入学式以来、白守さんを触ろうとする男子はいなくなった。しかし、それでもぶつかりそうになる場面や、事情の知らない他クラスや先輩が触れようとした時が少なからずあった。
白守さんはそれらを全て回避して見せた。
じゃあ、なんで入学式は簡単に触られてしまったのか。それは本人のみぞ知る謎だ。
いつ見てもすごい動きをする白守さんなのだが、今日はどこか違うような気がする。
まるで何かを振り切るためにがむしゃらに動いてる感じ。といっても少しの違いだ。気のせいだろう。
白守さんのチームの圧勝で試合が終わると俺の試合の番が回ってきた。
小さく息を吐いて立ち上がり、コートの中に入る。
***
今日も無事に学校が終わり、晩御飯まで暇なのでボケっと考え事をしていた。
昼休み、林田が言っていたことだ。
──俺が慣れないことをしている?
────俺が今日逃げなかった理由?
──────この間の油元との言い争いで一体、白守さん達は何を感じたんだろうか?
──慣れないことなんて高校生活くらいだろうか。
────逃げなかったのは……なんでだろ? 面倒くさかったから?
──────俺がうるさいとか油元がめちゃくちゃなことを言っていたことか?
「自分と向き合う、か」
ボソリと林田が昼休みの最後に言ったことを呟く。
一体、どうすればいいんだろう。鏡でも見てりゃいいのか? いや、それは逆に良くないって聞いたことあるな……。
「お兄ちゃん、晩御飯はシャトーブリアンだよ!」
「マジで!?」
「嘘だよ」
そんなわけないじゃん。と部屋に乱入してきた舞がいたずらっぽく笑う。
俺は騙されてないぞ? 舞のノリに合わせてやったんだ。残念だなんて思ってないぞ……。
「私の言った通り、面白くなってる?」
「むしろ気持ち悪い。舞の予想、珍しく外れたな」
「そう? まだ楽しくなる途中……だね」
何を知った風に。と口に出すのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
乱入してきた時と変わって舞はジッと俺を見つめる。
「ふむふむ。青春ですな~」
「急におじさんみたいなこと言うな」
「おじさんじゃないですぅ~。可愛い可愛い妹ちゃんですぅ~」
「例えだよ例え」
自分で可愛いとか言い始めたんだがこの妹。大丈夫か?
笑いが込み上げてきた。
「ハハハ。くっだらねぇ」
「でも、お兄ちゃん。こういうの嫌いじゃないでしょ?」
「ちげぇねーや」
舞も一緒になって笑う。
笑いとともにモヤモヤが少し出て言った気がする。すっきりした。
「お兄ちゃん。いい顔して笑うのにもったいない」
「何がだ?」
舞の一言に首を傾げてしまう。
俺のベッドに腰をかけて隣に座るように叩く。その通りに舞との間隔を拳1個分開けて座った。
「お兄ちゃんにはね、不思議な力があるの」
「んな馬鹿な。そんなわけがない」
俺の目を見て舞が真剣な顔になる。舞は恐ろしいほど勘がいい(自称)のだがオカルトはあまり信じないタイプだ。
だからこそ、発言の意図が分からない。
速攻で否定すると舞はそのまま続ける。
「なんていうのかな? お兄ちゃんは人を惹きつける何かがあるの」
「その心は?」
そう返すと舞はジッと見つめて首を横に振る。
今のは一体、どういう意味だ? と考えてると舞は人差し指を何度か振り下ろすように動かす。
「少なからず、今もそういう人がいるの」
「舞の言うことが正しいなら、そうだな」
思い当たる節が無いわけではない。恐らく白守さん達のことを言ってるのだろう。
「例えばね、たくさんの種類の食べ物をいっぱい持ってる人がいる。その人はいい人だから親しい人に分け与えるの。みんな喜んでくれる。その姿を見るのがその人の生きがいなの」
「うん」
「でも、ある日それが原因で自分も親しい人たちも不幸になってしまうことがあることに気付いてしまうの」
「んで?」
急に流れが悪くなったな。確かにそういうものには何かしらのトラブルはつきものだろう。食べ物の好き嫌いや分けられなかった人達からの不満が出てきたり色々あるだろう。
「その人はそれが嫌になったから、みんなに平等に分けることにしたの。対価、つまりお金を払ったら食べ物をあげるとか全員に同じもの同じ量を分けることにしたとかそこは想像に任せるね」
「分かった」
「本当はその人はそれが嫌。でもトラブルが起こってみんなが不幸になるのはもっと嫌。だから自分はそういう役割だと自分に言い聞かせることにしたの」
本当の語っているかのように舞は少し悲しそうな顔をする。
なぜか聞き入ってしまった。
「でもそれは自分自身を蝕んでいってるの。それに気付いた人が手を差し伸べようとするんだけど、その人にはその手が怖いものに見えてしまう」
「それで?」
「だから差し伸べられてる手を見えないふりをするの」
そう言うと舞は俺の腕を軽くぺちぺち叩く。
「本当は助けて欲しいのに。その手を取りたいのに。それを無視して自分の作った役割に囚われ続けるの」
舞の手は次第に慰めるように、俺の太ももを軽く叩くようになった。
「傷つけるのが、傷つくのが怖いから。だからお互いが大切な存在にならないように盲目的に役割を全うしようとするの」
そして優しく優しく俺のふとももを撫でるのだった。
しばらくそうすると舞は立ち上がる。
「それってどういう意────」
「ほら、そろそろご飯できるよ」
俺が疑問を口にしようとすると舞が遮るようにそう言う。それに連動したかのように晩御飯の完成を伝える母親の声が響いてきた。