第12輪 シャッチョサン
大きな門をくぐり、少し進んでから停車する。
限られた敷地を最大限生かすためなのか、門の先にはよくイメージされる家までの長い道はなく、少しした広場のようなスペースが広がっていた。
その数メートル先には『豪邸』というには物足りない雰囲気はあるが、どっしりと構えられた白い建造物はどこか安心感を覚える。
「では私は車を泊めてきますので」
大きな家に見惚れていると須原さんがそう言って車に乗り込む。
車は手慣れた様子で地下駐車場への入口へ消えていった。
「ではここからは私がご案内しますぞ」
「ちょっと待ってください」
俺達を案内しようとする瀬田さんを止める。
疑問符を浮かべながらも瀬田さんが振り向く。
「どうなさいましたかね?」
「俺達の自転車は?」
俺の言葉に美雪がハッとする。もしかして忘れてたのか……。
すると須原さんが車を居れた地下駐車場から最近、聞いたような声が聞こえてきた。
「今日も引き分けでしたね」
「絶対私が一番でした。ワイ」
「もうどうでもいいんじゃないかな?」
例の3姉妹が俺達の自転車を引っ張りながら出てきた。俺の自転車のカゴには工具箱らしきものが入れられている。
「もしかして俺達の自転車を整備しててくれたんですか?」
「当たり前です。運ぶという名目がありましたが使わしていただいたのですから」
「借りたものは綺麗に返すのが私達のポリシーです。ジー」
「可愛いねー……お嬢様の親友さんのが一番苦労したわ」
「そうなんですか? ご苦労かけました」
よく見るといつも乗っている自転車とは思えないほど綺麗になっている。
下手すると買った時以上に綺麗になっているのではないか?
「……この子達はここら辺では少し困った子でね」
「もしかしてお嬢、3年前に消えたと言われてる『困った3姉妹』って」
「……ええ、彼女らよ。そこら辺の自転車を勝手に借りて3人でレースをしてたわ」
そりゃ迷惑な話だ。しかし、俺はそんな話聞いたことないけどな……。
翔太は知ってるから有名な話なのか?
「……レースが安全運転で行われてたのと綺麗に整備してから返すから怒るに怒れないかったのよ」
「なんというか微妙な感じだな」
「私も怒れないかな」
そりゃ地元の俺でも知らないわけだ。
釖木の家は近くに少しずつ錆びれている商店街がある。恐らく、そこの利用客やお店の店員さんの自転車を使っていたのだろう。
でもよく大事にならなかったな……。
「お嬢様。ご学友の方々はいつお帰りになられる予定でしょうか?」
「……そうね。明日の夕方くらいかしら」
「ではもう少し整備してもいいってことです? エル」
「……みんないいかしら?」
俺達は顔を見合わせる。現状、特に変なことをされてるわけでもないし、任せても変なことをしそうな訳でもなさそうだ。
頷くと美雪も翔太もつられるように首を縦に振る。
「そうだね。お願いするよ」
「お願いします」
「責任もって直しておくわね」
ロンさんがサムズアップでニカっと笑う。この様子なら本当に任せても問題なさそうだ。
「……一応言っておくわね」
釖木の一言に3姉妹に緊張が走る。
壊れたロボットのように3姉妹の顔がぎこちなく釖木に向けられた。
「……変なことしたら、分かってるわね」
「「「はい」」」
3人それぞれが柱のように真っ直ぐになりながら答えると工具箱を持って地下駐車場の方へ走り去る。
心なしか俺達の自転車達は立ち尽くしているように見えた。
「……遅くなったわね。そろそろ入りましょう」
「そうだね。暗くなってきたもんね」
「では改めてご案内しますぞ」
瀬田さんが先頭に俺達は後ろについていく。釖木家の扉は一般的な家の扉を一回り大きい両開きタイプのものだ。
建物と同じ白で清潔で柔らかな印象を感じる。
「ささ、ずずいっとお入りくださいませ」
「……ようこそ我が家へ」
ゆっくりと俺達を歓迎するように扉が開いた。
ホテルのような匂いがする。エントランスは赤い絨毯が敷かれてはいるが思っていたより派手ではない。どちらかというとオフィスビルのような印象だ。
『おかえりなさいませお嬢様、未来の旦那様。いらっしゃいませご学友の皆様』
10人越えの使用人さん達が出迎えてくれた。その中には須原さんと花蘭3姉妹もいた。そうなると地下駐車場からここにつながる場所があるのだろう。
「『未来の旦那様』?」
美雪が小首を傾げた。言われてみると確かにそう言ってたような気がする。
『旦那様』なんだから美雪は除外されるだろ。俺はここに始めてきたわけだから……。
「まさか翔太、お前なのか?」
「いや~、彼らが勝手に言ってるだけで僕は」
恥ずかしそうに頭をかく翔太。興奮気味の瀬田さんが割って入るように目の前に現れる。
「我々の中ではお嬢様のお相手は翔太様が有力なのですよ!」
「当の釖木はどう思ってるんですか?」
「それは分かりませんよ。お嬢様のみぞ知る。でございます」
瀬田さんから覗くような形で釖木を見たが、ちょうど背を向けていたのでどういった表情をしているか分からなかった。
横の美雪は嬉しそうに目を輝かせている。
「いいね! 郷華ちゃんも林田君もお似合いだよ!」
俺も美雪の言う通りだと思う。翔太は釖木の良き理解者だと思うし、俺達が知らないエピソードもあるのだろう。だからこそ、こうして使用人さん達も応援してるんだな。
まぁ、勉強が出来なさすぎるけどな。
「……まずは正面が食堂よ」
釖木が指をさすと使用人さん達がはけて後ろにある食堂が見えるようにしてくれた。
重厚感のある両開きの扉が見える。
「……その横にトイレ、そこから見えないけどエレベーターもあるわ」
「すっご……」
思わず感嘆の声が漏れる。外から見た雰囲気だと何フロアかあるっぽいしあり得る話か。
「では今日、皆様がお泊りになるお部屋へとご案内いたします。靴は横の下駄箱の好きなところに入れてください」
瀬田さんと変わった須原さんの言うとおりに適当に靴をしまい、揃えられたスリッパに足を通す。
みんなが揃ったのを確認すると須原さんが先導してすぐ右に進んだ。
そこには下手な小部屋程度の大きさのエレベーターがあった。事前に呼び出しておいたのか須原さんがボタンを押すと扉が開く。
「いや~、恭平氏と白守どんの驚いた顔が見られてよかったよ」
エレベーターに乗り込むと翔太が開口一番いそう言う。確かに驚いたけどさ。
「でも俺がイメージしてるなんというか、見せつける感じがなくて安心した」
「郷華ちゃんの、というか郷華ちゃんのお父さんがそんな感じなのかな?」
「……うちは成りあがってこうなったから。ご先祖様の苦労を忘れないためにこうしてるだけよ」
立派なもんだ。なにかやらかさない限り安泰なのだから少しくらい調子に乗ってしまうものだろう。
俺ならそれっぽい装飾品? やら置いてしまいそうなもんだ。
「これでもお嬢の家にしては派手な方だよ。僕の故郷ではボロい洋館買い取って暮らしてたんだから」
「へ~、そのうち見てみたいもんだな」
「……もう売ったはずよ。それに今更あそこには戻れないわ」
「そうだね」
俺の好奇心が空気を悪くしてしまった。どう声をかけていいか迷っているとちょうど目的地──4階に着いた。
何事もなかったように先導する須原さんと瀬田さんについていく。
「奥の部屋が白守様、手前の部屋が翔太様と寺川様の部屋になります」
須原さんが案内した先には『GuestRoom1』『GuestRoom2』と書かれたプレートが下げられた部屋があった。
俺と翔太が泊る部屋は『GuestRoom1』の方だ。
「にしても客室は思った2部屋なんだな……」
「本当に信用できる方しか招待されませんからね」
そこまでとは俺達のことを、と思ったが翔太との共通の友人であることと今日のプランが釖木の念願が入ってるのも理由の1つだろう。
「皆様の後方にはコワーキングスペースもありますのでご自由にお使いください」
そう言われて振り返ると6人くらいは座れる長机に、少しおしゃれなイスが用意されていた。
近くには自動販売機まで用意されている。
「……私も美雪と一緒の部屋で寝るわ」
「ですがお嬢様にはお嬢様の部屋が……」
「……文句あるの?」
釖木の言葉に須原さんの顔が恐怖で引きつった。なんとなくだが理由が分かる気がする……。
ふと後ろを見ると瀬田さんも小刻みに震えていた。
「あのマフィンだけは、あのマフィンだけは勘弁してください」
「粘々、腐敗臭、天地がひっくり返るような感覚……」
大の大人が子供のように泣き崩れそうだ。そうならないのは大人としてのプライド、客である俺達がいるからだろう。
「ってか俺達の他にも劇物料理食わせてるのか?」
「恭平氏、あの威力と死なない程度の加減は昔からの研鑽の賜物なんだよ……」
「えぇ……」
美味しく作ってくれよ……、と思ったが『当たり』はおいしいからちゃんと作ればまともなんだよなぁ。
もしかして暇つぶしに劇物を作るようになったのか?! 釖木に限ってそんなことないと願う。
「あ、あのぉ、大丈夫ですか?」
1人だけ被害に遭ったことがない美雪は困ったように須原さんと瀬田さんに声をかけるだけだった。
威力は俺と翔太のリアクションで分かっているのだろう。本気で心配している。
「分かりました。分かりましたから白守様と同じ部屋をお使いください」
「……よろしい」
うなだれる大人にどこか満足げな釖木。
釖木の料理が怖い気持ち分かりますよ……。だから元気出してください。
「じゃあ、とりあえず部屋に荷物でもおこうか」
「そうだな。ある意味、色々あり過ぎて少し疲れたしな」
そのまま寝てしまいたいがまだお風呂に入ってない。
しかも本題の翔太の勉強も見れていない。油断しないようにしないとな。
「少し休んだらお風呂にしようか?」
「……そうね。部屋にもあるけど下には大浴場もあるから」
後で案内されるんだろうな。なんて思いながら部屋に行こうとする。
「……覗いたら、分かっているわね?」
「俺ぇ?!」
美雪と翔太が笑いだす。いやいやいや、冗談じゃないんだが。そんなことは微塵も考えてない。
馬鹿馬鹿しいので無視して部屋に入ろうとした。
「気持ちは分かるよ恭平氏。お嬢のわがままボディと白守どんのバランスの取れた体は拝みた……ごふぅ!!」
「……殺すわよ」
翔太が俺の肩に手に置いたまま動かなくなってしまった。
その口には竹串が2本刺さっている。これは明らかに翔太が悪い。反省しろ。
美雪は羞恥からなのか恐怖からなのかうつむいてしまっている。
「安心しろ。そこのバカと違って俺に覗きの趣味はない」
「……そう」
固まった翔太を無視して自分にあてがわれた部屋に入る。
そこはホテルのようだった。しかも並の部屋ではない。
部屋の広さも充分だし、テレビもウチにあるものよりも大きい。少し話題に出たお風呂も家庭によくあるような浴槽ではなく、ジャグジー付きのものだ。
急いで釖木と使用人さん達が手配してくれたのだろう。あとでお礼言わないとな。
「置いていくなんてひどいじゃないか」
廊下で固まっていた翔太が騒がしく部屋に入る。
翔太は投げるようにリュックを部屋の端に投げた。その後すぐに部屋の隅々を見て回って戻ってくる。
「翔太は来たことないのか?」
「あるけどゲストルームは初めてだよ。で、恭平氏気付いてるよね?」
「ああ、これは手配ミスというべきなのか?」
俺達が言っているのはベッドのことだ。3人くらいは平気で寝れる大きさのベッド。大きさは問題ない。問題なのは────
「2人泊るのにベッドが1つしか無いね」
「元々は1人用の客室だったのかもな」
「あり得るね。お嬢もお嬢の両親もなかなか外部の人を泊めないからね。想定から違ってたのかもしれないね」
スペース的には問題視することでもないだろう。充分、2人で寝れるはずだ。
「お互い寝相には気を付けないとね」
「そうだな。気を付けられることでもないだろうが」
「違いないね」
とりあえず寝床事情についてはいいとして、荷物を整理しないとな。
そう思っていると扉をノックする音が聞こえた。
「はーい」
『寺川様、翔太様、旦那様がお呼びなので準備が出来たら部屋から出て来てください』
「うげぇ……」
ドア越しの須原さんの言葉に翔太が嫌そうな顔をした。
それを横目に着替え一式を適当にベッドの上に投げる。
「どうしたんだ? めっちゃ嫌そうじゃんか」
「そりゃ嫌だよ」
「なんでだ?」
「会ってみれば分かるよ」
そういえばこっちに来る時に話してたな。釖木の父さんが翔太にだけ厳しいとかなんとか言ってたっけ。
「さすがに泊めてもらうのに挨拶しないのは失礼だろ?」
「そうだね。気乗りはしないけど行くよ」
***
廊下に出ると美雪と釖木が先に待っていた。
俺に後ろについていく形で翔太が出てくる。それを確認すると須原さんが小さく頷く。
「翔太様が旦那様のお呼び出しに応えるとは珍しいですね」
「本当は嫌だけどね。泊めてもらうんだし挨拶はしとかないとね」
それ、俺がさっき言ったことな。さりげなく自分は礼儀正しいアピールに使うな。
「ではご案内します」
またもや須原さんが先導して瀬田さんが後ろに付く形でエレベーターへ向かう。
よく考えると会社の社長だよな。そう思うと緊張してきたな。
「ねぇねぇ、恭平君。郷華ちゃんのお父さんどんな人なんだろうね」
「ちょうど似たようなこと考えてた。社長ってことに気付いて緊張してきた」
美雪と会話しながらエレベーターに乗り込むと須原さんは5階へのボタンを押し、『閉じる』ボタンを押す。
緊張している俺を慎重に運ぶようにエレベーターは静かに上がった。
たったワンフロアの移動なのですぐに到着する。
「……奥がお父様の部屋よ」
今度は須原さんと並ぶように釖木が前に出て歩く。
気付くと瀬田さんが俺の横に付いていた。瀬田さんが耳打ちするように手を添える。
「旦那様の専属はいや~な奴なので気を付けてくださいね」
「大の大人が俺達学生に変なこと言うんですかね?」
「あいつらはお嬢様と翔太様が一緒になるのを反対する少数派の人間です」
別にそこは俺とは関係ないからどうでもいいんだが。
でもここまで応援されてるなら許してやってもいいような気もするけども。
そんなやり取りをしているうちに他の部屋より少し大きい扉の前に到着する。
「旦那様。お嬢様と客人の皆様をお呼びしてまいりました」
『ありがとう。中にご案内してくれ』
中からかすかにそう聞こえた。すると須原さんがゆっくりと扉を開ける。扉から少しだけ軋んだ音が聞こえた。
The書斎と言った雰囲気だ。
どうやって本を取り出すのか分からないほど高い本棚に付いた傷が味を感じさせる家具の数々。
そして目の前には大きな机に高そうな革製の椅子ではなく、えっとゲーミングチェアだっけか。前にCMで見たものと類似したものがある。
それに腰をかけているのが釖木の父さんだろう。
須原さん達より一回り若い印象だ。少し混ざった白髪はどこか威厳を感じさせる。髭は綺麗に剃っているのか清潔感がある。
しかしその眉間にはしわが寄っていた。
「私が釖木財閥社長、釖木才華である!」
「……お父様ふざけないで」
いきなり大きな声で叫ぶ父にいつものテンションでツッコむ娘。
どうやってこの父親からこの娘が生まれてきたのだろうか。疑問に感じ始めた。