間輪 DebutBlue
まずいまずいまずいまずい。
不安過ぎて胃が痛い、吐き気がする頭が痛い。外の空気を吸えば少しはマシになるかと思ったがダメね。
借りているスタジオの入口横で仕事着を汚すまいと吐き気と格闘する。
なにが『早瀬、任せた』だ。会社の命運をこんなその場で思いついたようなアイドルプロジェクトにかけちゃうのよ。
こんなことなら倒産の危機からくる絶望感で狂ってしまったプレゼンの空気に流されてアイドルプロジェクトなんて出すんじゃなかった。
採用されたからってプロデューサーまで押し付けてくるなんて……。
「早瀬プロデューサー、大丈夫ですか?」
「あ、佐藤か。大丈夫よ。私は大丈夫」
「大丈夫そうには見えないんですけど」
声をかけてきたのは私のアイドルプロジェクトのセンター、佐藤。彼女の芯の強さを感じさせる黒く流れるようなロングヘアー。見る物を吸い込んでしまうような美しい黒髪。
一般人の中で見つけてくるのだからあのおっさんどもは大したものよ。なんでうちの会社にいたのかしら? うちの会社、貿易会社よね? これなら最初からタレント事務所でもやってればいいのに。
「名前はえっとふわもふなんとか、かんとかポン助……覚えてないですけどマスコットのぬいぐるみの試作、出来たんですね!」
「『もふもふ もふもふ 可愛いの権化 ふわふわきらきらの可愛いやつ 小悪魔的 天使的 食う寝るところがチャーミング 間抜けなお顔も可愛いの ヤバいバイヤー ヤバいのこのもふもふ感 もふもふ感の暴力 暴力的な可愛さが津波のように押し寄せる 超かわいいポン助』よ」
「よく覚えられますね……」
佐藤は私が何気なくいじっていたとぐろを巻いた長い茶トラ猫を指さす。これも絶望的プレゼンで出来てしまった『黒歴史的なもの』。『もふもふ もふもふ 可愛いの権化────』、縮めてポン助は私がプレゼン資料の横に描いた落書きが上層部の目に留まってしまったせいでアイドルプロジェクトのマスコットになってしまった。
体だけではなく名前も長い。名前はおっさんどもによって古典落語的な名前になってしまい、会社内は名前を覚えるためにぶつぶつとポン助のフルネームを呟く人間が出たため、会社員なら嫌でも覚えてしまっている。
ぬいぐるみは無駄にハイクオリティ。貿易会社なのに。いや、貿易会社だからなのかもしれないわね。これに関しては。
「今度のデビューライブの物販に並ぶらしいわ。あとはあなた達のアクリルキーホルダーくらいよ」
ぬいぐるみに比べたら安っぽい作りだが、予算的にこれしか用意できない、というのが現状。
なのにこんなふざけたプロジェクトに会社は本気で命運をかけている。
「プロデューサー、ありがとうございます」
「なにがよ。私はあなた達に何もしてないわ」
「いいえ、『のーまるん。』があるのはプロデューサーが一生懸命プロジェクトを考えてくださったからですよね?」
「あれは一時の迷いよ。悪いけど、私にはあなた達を輝かせられるような腕はないわ」
平々凡々でブラックらしいブラックでもなければホワイトらしいホワイトな企業でもない貿易会社の平社員だ。それ以上でもそれ以下でもない。
特にいい大学を出たわけでもないし、アイドルのプロデュースなんてやるとは夢にも思っていなかった。
「でも鈴木ちゃんも高橋ちゃんも田中ちゃんも伊藤ちゃんもみんな感謝してると思います」
「大人の一時の迷いにつき合わせて申し訳ないわ」
「聞きたいのはそういう言葉じゃないです」
「そうね。今はまだ『ありがとう』と言うべきね」
カッコでもつけてたばこの1本でもふかしたいような場面だが、私にはそんな余裕はないし今までそういうものに手を出したことがない。
会社のみんなはどうしてるんだろ。まだ、変な空気の中、現実逃避しているのかな。
「また暗い顔してますよ! 笑顔が一番ってプロデューサーが言ったじゃないですか」
「そんなことも言ったわね」
まだ会社のめちゃくちゃな空気に毒されてた時、メンバー全員に言ったけ。
我ながら恥ずかしい限りだわ。思わず小さく笑みがこぼれる。
「振り付けも歌もいい感じです。あとはみんなと細かい部分を合わせたりするだけです」
「そうね。素人が見てもなかなかだと思うわ」
曲もなかなかいいものだし、衣装も彼女らに似合っていて可愛らしい。これも貿易会社だからこその強みだったのかもしれないわね。
ただ残念なのはデビューライブの場所ね。地方というほど地方ではないが観光資源が豊富、悪く言えば観光以外ではなかなか人が訪れない場所。辛うじて首都圏なのが救いだ。
「ここまで完璧だったのに牧場って……」
思わず心の声が漏れる。せめて都内でやればもう少しだけ結果が変わったかもしれない。
「でも、良いところですし運よく高校の校外学習の日と被ってるって言ってませんでした?」
「ええ、聞いた限りだとそうだわ」
重役の孫が通っている高校の校外学習らしい、としか聞いてない。確かに若者の間で話題になれば少しだけでもこの状況をひっくり返せるかもしれない。
しかし、それは校外学習の時間内であればの話。ライブ開始予定時刻は夕方辺り。私の記憶が確かであれば校外学習で解散になるかならないかの微妙な時間。
「高校生の時間は有限だわ、だから彼らを私達の命運の一部を預けるのはどうなのかしらね」
「そうですね。少し無責任かもしれないです。でも彼らが私達に夢中になれるように頑張れば」
それは理想論よ。と切り捨てるのは容易い、しかし今の私達にはそれにすがる他ない。情けない話だわ。
「ええ、そうね。私もあなた達を全力でサポートするわ」
「はい! お願いしますね!」
そう言って佐藤は太陽のような笑顔を私に向ける。彼女は普通の女の子だった。なのにいきなり大人に声をかけられ、紆余曲折あってアイドルグループのリーダーにされた。
佐藤が一番不安なのでろう。なのにこんないい笑顔を向けてくれる。
だから私は、いや私達は失敗するわけにはいかない。
場所は最悪だが、『のーまるん。』のメンバーの仕上がりもいい。衣装も曲もグッズも最高のものを用意できた。
自棄になってるとは言え、私のプロジェクトにみんな全力で協力してくれている。なのに言い出しっぺの私が後ろ向きじゃカッコつかない。やるしかないんだ。
覚悟を決めていると佐藤が私の手を強く握る。やはりというべきかその手は少し震えていた。いや、これは佐藤だけの震えではない。私の手も震えているのだ。
「プロデューサー。私達、何があっても成功させるので」
「ええ、私も何が何でもやって見せるわ」
佐藤の力強い言葉に応えるように握り返すとお互いに大きく頷いた。
すると不意に佐藤がハッとした表情になる。
「そろそろ休憩終わるので、レッスン行ってきますね!」
「後で見に行くわ」
「はい! ありがとうございます」
そう言ってかけるようにスタジオの中へと姿を消す。
缶コーヒーの1本でも飲んだら様子でも見に行こう。
「みんなの分の水でも買ってあげないと」
これがプロデューサーらしい思考なのか分からないけど、そう思ってしまった自分に少し笑ってしまう。
スタジオに入って閑散としたロビーで自動販売機の前に立つ。
「コーヒー、売り切れじゃない」
小さく呟き、水を6本購入して彼女らの待つ練習場所へ向かう。




