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81 太陽と月

 ひみこは保護局役人に誘導され長い通路を……ということはなく、隣の打ち合わせ室に案内された。

 役人がドアを開けようとするが「ちょ、ちょっと待って!」と叫び押しとどめる。


「あ、あの、いきなりこんな近くなんて思ってなくて」


 てっきり、長い廊下を渡って隣の建物に移ってエレベーターを使って……と予想していた。それぐらい歩けば覚悟できるのに。

 が、ひみこに考える時間は与えられなかった。

 ドアがバタンと勢いよく開かれる。


「あんた~!! よかった~」


 覚悟をする前に、ひみこは中年の女にしがみ付かれた。



 鈴木花子は、娘の腕、背中、お腹、体中をさすり、両頬を包み込んだ。


「本当にいいもん食べさせてもらったんだね。よかったよかった!」


「か、母ちゃん……」


 母の肩越しに、鈴木太郎と目が合った。


「ごめんよ。父ちゃんが、悪かった」


 父に髪をくしゃくしゃにされた。

 この五年近く、ひみこは自分を捨てた両親を恨んできた。見返したくて戦ってきた。それでもずっと無視されてきた。自分に問題があるから捨てられたのだと悩み続けた。

 耐え切れずプレゼンコンテストで本心を包み隠さず訴えたのに「結婚しなければ会わない」と突っぱねられた。


「う、うう、母ちゃん……父ちゃん……」


 聞きたいこと、言いたいことがあったはずなのに、ひみこはただ喉を詰まらせ泣くだけだった。

 父と母に抱えられるよう、ひみこは打ち合わせ室の奥に移る。

 そこには、小さな男の子が立っていた。


 子どもは指を咥えて、ひみこたち親子三人をじっと見つめている。黒いサラサラの髪をまっすぐおろし、眉毛のところで真っすぐ切りそろえている。


「え、あ、あれ? え、どういうこと?」


 ひみこは全く予想をしていなかったできごとに目をパチパチさせた。子供を指さし、太郎と花子に顔を向ける。

 と、花子が子供に駆け寄った。


「ほら、本物の姉ちゃんだよ」


 花子に手を引かれた男の子が、ひみこに近寄ってきた。


「ねーちゃん?」


 ひみこは子供を指さしたまま、父に救いを求める。


「お前と別れてから産まれたんだ」


 ねーちゃん……ひみこは頭の中で言葉を繰り返す──どうやらこの男の子は、自分の弟らしい。

 おずおずと、ひみこは男の子に近寄りしゃがみ込む。恐る恐る手を伸ばし、小さな頬にそっと指を這わせた。

 太郎が顔を崩して補足した。


「ツクヨミって言うんだ」


 邪馬台国女王卑弥呼には弟がいた。弟の名はいくつか候補があるが、ひみこが一番好きな名前は「ツクヨミ」だった。


「へー、父ちゃん、卑弥呼様の弟の名前、知ってるんだ」


 ひみこと同じ黒くてまっすぐな髪にそっと触れる。


「いや、お前が調べたんだろ?」


 静かに少女は肯定する。ひみこは、二度目のプレゼンコンテストで、卑弥呼の弟について発表した。


「父ちゃん、母ちゃん……聞いてたんだ、あれ」


 母もしゃがみ込んで、小さな息子に語り掛ける。


「そうだよ。だから、この子の名前、変えたんだよ。ねー、ツクヨミ。あんたの名前はね、ひみこ姉ちゃんが一番好きな名前なんだよ」


 男の子は「ねーちゃん? ほんもの?」とひみこに問いかけてきた。

 ひみこは大きく頷いた。


「へへ……初めまして。あたしが、あんたのお姉ちゃんだよ。ひみこって言うんだ」


「テレビみた」


 アイドル活動に勤しむひみこの姿は、小さな弟も見ていたようだ。


「へへ、ありがとう……ツ……ツ……ツクヨミ」


 ひみこはかすれ声で力を振り絞って、初めて存在を知った弟の名を呼びかけた。


「……いくつかな?」


 おずおずと、弟に尋ねてみた。

 と、子供は指を四本真っすぐ立てて、ひみこに見せつけた。


「そうか四歳か……ああ、そういうことか」


 ひみこは、なぜ自分が捨てられたのか、ここにきてようやく理解した。

 この子は四歳。ひみこが捨てられた時、弟はすでに母の胎内にいた。

 この間抜けな親たちに、子供二人は育てられない。だから、成長している方を捨てたのだ。


「なーんだ。それじゃ仕方ないな」


 自分が嫌いだから、という理由で捨てられたなら、親を怨める。

 でも、こんな小さな弟を育てるためなら、仕方ない。ただ悲しくて残念だけど。

 ひみこは、ツクヨミをギュッと抱きしめた。涙がボロボロと溢れた。


「何で言ってくれないんだよ!」


 太郎も座り込み、ひみこの背中を撫でた。


「あ、あたし……弟ができたって知ったら、ちゃんと手伝ったよ! 毎日魚釣りに行くし、洗濯だって掃除だってちゃんとやって……抱っこしたり遊んであげたり……ひどいよ! あたしこの子の姉ちゃん、ちゃんとしたのに!」


 ひみこは、弟の身体を少し離し、じっと見つめる。自分が捨てられる原因となったこの子が恨めしくもある。

 しかし、黄味がかった肌、細く少し吊り気味の目、間違いなくこの子は仲間だ。根を張っていた孤独感が氷解する。

 再びひみこは、弟をギュッと抱きしめる。


「ツクヨミ……あんたがいて良かった……姉ちゃん、一人じゃないんだ。もう最後の日本語族じゃないんだ。あたしにはあんたがいる。大きくなったら、いっぱい話そうね。日本語いっぱい、話そうね」


 姉の呟きがまだわからない弟は「ほんものねーちゃん、ふかふかだあ」とニコニコ顔だ。

 抱き合う姉と弟を目の当たりにして、花子が立ち上がった。


「……あたし、覚悟できたよ」


「お前、なに言ってるんだ?」


 太郎も花子に合わせて立ち上がる。


「やっぱり、この子たちには、もう、お互いしかいないんだよ」


「お前! ま、まさか……やめろ! 俺たちが死ぬほど辛い思いをしてひみこを捨てた意味がないじゃないか!」


「あんたは黙って! ……ひみこ、ツクヨミ!」


 花子が大声で年の離れた姉弟に呼びかける。感傷に浸っていたひみこは、ビクッと顔を上げた。ツクヨミも姉の動作に習う。


「あんたたち、好きにしな。あたしは止めないよ」


 ひみこは、母の言葉に首を傾げる。


「はあ? 母ちゃん、なに言ってんの?」


「そーだよお前、俺たちの五年間の我慢を無駄にするのか!」


 太郎が叫んだ。


「いいからあんたは黙れ!」


 母は、娘の元にしゃがみ込んだ。


「ひみこ、あたしらはね、あんたを嫌いになったことなんか、一度もないよ」


 花子は、五年前にひみこを捨てた理由を語り始めた。


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