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80 選ばれた花婿

 カン・シフ。日本語族の祖母を持つ朝鮮語族の青年。チャン・シュウイン日本語族局長が勧めたひみこの夫候補。

 彼こそプレゼンコンテストで助けてくれた少年だった。三年と半年の間、少年は大人に成長した。


『鈴木さん。僕は、カン・シフです。覚えていますか? 僕は、鈴木さんが初めてコンテストに参加したとき、お節介をした人間です。あれから僕は鈴木さんのファンになり、配信は欠かさず聞いています。鈴木さんと会って話をしたいです』


 コンテストではたどたどしい発音の片言を話していたが、メッセージの彼の声は、ひみこが聞きなれた日本語に近い。いや、両親譲りの崩れたひみこの日本語とは違い、お手本のような発音だった。


 急いでひみこはシフのプロフィールをチェックする。年は二十歳。鳥取の大学生だ。あの人は中国地方の高校生だった。ちゃんとプロフィールを見れば、あの高校生だと気がついたかもしれない。

 メッセージ群を時系列ごとにチェックした。

 ひみこがアイドルとして有名になってから、ことあるごとに、ひみこの公式サイトへメッセージを送っている。最初は、今と同じビデオメッセージだが、後の方は文字だけになっている。

 いずれもひみこの配信への感想だ。『AIの鈴木さんも勉強になるけど、本物の鈴木さんの方がいいですね』と言ってくれる。

『僕のことは覚えてないと思いますが、一度、会ってるんですよ』


 学校の先生に託したお礼のメッセージは届いていないようだ。アレックスの差し金に違いない。

 ここまで熱心にメッセージを送ってくれる人だ。もしお礼が届いていたら、そこに触れるはずだ。


 が、それらの熱心なメッセージは、お見合い話の直後で終わった。


「ご結婚、おめでとうございます。お二人のご多幸をお祈り申し上げます。」


 ラストメッセージは、正しい……ビジネス用の日本語で締めくくられていた。ひみこにもそのニュアンスは伝わった。

 シフはひみこに、何度も好意的なメッセージを送ってきた。が、ひみこはそれをずっと無視してきた。お見合いの話も断り、アレックスとの結婚を選んだのだ。


 少女の眼から静かな涙が流れた。

 ふと、最初に公式サイトで見たひみこへの非難メッセージを思い出した。

 その時は、漠然と落ち込んだだけだったが、それがシフの言葉のような気がして、胸がえぐられる。

 公式サイトには応援メッセージもあったが……この真面目な人は、許してくれないだろう。

 自分を養った金持ちの年寄りとの結婚を選んだ女。しかも結婚式当日、卑怯な手段で逃げ出した女。

 ……どう考えても、彼が会ってくれるとは思えない。


 ずっと心に引っかかっていた。漠然と、いつか会えたらちゃんとお礼を言いたい、と思っていた。

 それはもう叶わない。


 ひみこはもう一度、お見合い紹介の立体映像のシフを呼び出した。胸元から上しか表示されない彼を、何度も何度も再生する。


「あたしもカンさんに会いたいです」


 叶わない望みだけど、本人に言った気持ちになれる。


「ありがとう。僕も会いたいです」


 えっ! 一瞬ひみこはぎょっとする。その場で映像が答えたのだ。

 が、ひみこはこの世紀がどういう時代でどういう文化か、五年近く学習した。

 アレックスが三十年以上前の母の映像とちゃんと話していたのと同じ原理だ。

 つまり……シフのAIが反応したのだ。今の彼ではない、結婚を決める前の彼の名残りだ。

 それでもひみこは嬉しくて、偽者の彼だとわかっても、いや、偽者の彼だから遠慮なく話しかける。


「あたし、ひどいこと言ってごめんね。ずっとありがとうって本当は言いたかったんだ」


「僕こそありがとう」


 どうも、アレックスの母のAIほど賢くなさそうだ。仕方ない。あちらは三十年前とは言え、伝説の技術者が愛する息子のために作ったプログラム。

 こちらはよくわからないが、一種の既製品プログラムなのだろう。

 それでも彼が好意的に笑顔を向けて返事してくれるだけで、嬉しかった。


「へへ、カンさんに会ったら、チョコレートあげるね」


「……楽しみです」


 シフ、いやシフのAIは数秒遅れて返事する。


「女の子は男の子にチョコレートをあげるの。で、男の子は三倍のチョコレートを返すんだよ」


「……三倍……ですか」


「へへ、こっちの世界のルールは知らないけど、あたしが知ってるドラマはそうだった。楽しみだなあ」


 ひみこは、AIの青年に意地悪な気持ちが湧いてきた。彼にチョコレートをあげても食べられないし「三倍返し」なんてできるわけない。できないことをワザと言って、困らせたい気分になってきた。

 呼び方も、カンさんからシフに変わる。


「シフとお見合いしたかったなあ」


「……お見合いしましょう」


 反応が鈍い。やはりラニカのAIと比べると性能が数段落ちる。


「ふふふ、タマと同じ、ポンコツさんだあ」


 ゆっくりとオウム返ししかできない。それなりに考えた回答ができるタマよりも性能が落ちるようだ。百年前のプログラムより劣るってどうよ? と思わないでもないが、今は「彼」のポンコツぶりが愛おしい。


「……ポンコツ、ですか?」


「うん。でもいいよ。あたし、ポンコツさん、好きだから」


 偽者相手ならいくらでも大胆なことが言える。


「お嫁さんになりたかったよ」


「…………お嫁さんになってください」


 ひみこは、このプロポーズが何の意味もないとわかっていた。それでも彼女の人生の中で一番喜ばしいできごとだ。偽者による偽の言葉がもたらす偽の幸せでも。


「嬉しい! じゃあ、今すぐお嫁さんにして」


 ひみこは泣くのをやめ、弾けんばかりの笑顔をAIに向けた。


「・・・・・・ど、どうやって?」


 シフのAIは無理難題を突きつけられ、遅延が悪化している。ひみこは、ただの3D映像が何もできないことを知りながら、意地悪な気持ちが抑えられない。


「あのね、結婚式するの!」


「……結婚式、ですか」


「うん、じゃ、目を閉じてね」


 シフ、いやシフのAIが目を閉じたか確認する前に、ひみこは目を閉じた。

 そっと唇を、彼の唇があるあたりに重ねた。彼が偽者だと知っているからこそ、奔放に振舞える。


「へへ、誓いのキスをしたら夫婦になるんだよ」


「・・・・・・・・・・・・僕たちは夫婦になったんですね」


 AIの遅延はひどくなる一方だ。


「そうだよ。だってシフ、お嫁さんになってって言ったよ」


 偽者のAI夫に新婚の妻は蠱惑的な微笑みを見せる。

 十三歳の女の子は、十八歳の大人の女性に成長した。

 この五年近く、タマが見せる萌え要素満載のドラマとは無縁の、実に清らかな生活だった。清らかな暮らしの反動か、ひみこは明らかにいつものひみこではなかった。

 十三歳のひみこは「覗く」ぐらいで満足していたが、十八歳のひみこはそれだけでは物足りない。

 相手が生身の男性なら羞恥を見せるが、AIという人形なら遠慮はいらない。


「あたしたち新婚さんだから、いっぱい仲良くしようね」


 ひみこは空中に浮かぶシフの額に、鼻の頭に、頬に、瞼に、唇にキスを繰り返す。

 シフのAIは、処理能力がオーバーしたのか、完全にフリーズした。


「固まっちゃった。仕方ないなポンコツさんだもん。ごめんね、意地悪しちゃって。じゃ、また仲良くしようね……タマ、もういいや。これ以上はかわいそう」


 ひみこは、フリーズした画像をチョンとつついてクスッと笑う。

 タマが映像を消去する直前「……三倍返し……」とシフ、いやシフのAIはボソッと呟いた。



 腕時計の三毛猫が告げた。


「ひみこ、今、お前は性欲が高まっているにゃ」


「……ウザイよ、タマ」


「お前は、男とセックスしたいはずにゃ」


「……キモイよ、タマ」


 少女は机に臥せ頭を抱えた……何やってんだよ自分! 偉い人たちが働く場所で、いくら退屈で暇だからって、相手がイケメンだからって!

 タマの突っ込みが完全に正解だと、彼女は身をもって体験した。

 が、ひみこはパッと顔を上げる。


「でもドラマの女の子たちだって、モニターの推しにチューとかしてた。だから、あたしは変態じゃない、うん」


 自分を納得させようと昔見たドラマを思い出すうちに、ひみこはガバっと立ち上がる。


「タマ、やったよ! これで正々堂々とあいつらに会える、会ってやる! だって結婚したもん!」


 ひみこが喜び勇む中、タイミングよく日本語族保護局の役人が入ってきた。


「鈴木ひみこさん、ご両親がお待ちです」


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