68 白い札幌
ひみこは、エアカーが停まっているショッピングセンター屋上の駐車場へ向かった。
フィッシャーに教えてもらった通り、左手を広げ、車のドアのマークにかざす。これで契約者を認識してエアカーが動く……はずだった。
「あ、あれ?」
何度も言われたが、ウシャスがあれば自動的に脳情報をキャッチしてドアが勝手に開くらしい。
が、そうでない場合は、操作が必要と聞いている。
「困ったなあ。あたし、操作間違えちゃったかも。タマ、車の会社の連絡先とかわからない?」
「知らにゃい。知っても連絡できにゃい。がんばるんだにゃ~」
「ホントに使えないやつ! フィッシャーさんに教えてもらったけど、今更、聞けないよなあ。あ!」
屋上の階段から、そのフィッシャーの指令で動くロボットが二体、現れた。
「もしかして、あたしが困ってるの見て、助けてくれるとか?」
ロボットはひみこの腕を掴んだ。エアカーのドアが開き、体が押し込まれる。
「あ、ありがとう。でももう少し優しくしてほしいなあ」
駐車場からエアカーが飛び立つ。屋上で顔をこちらに向ける二体のロボットは、あっという間に小さくなった。
「行先は登録されてるってフィッシャーさん言ってた。エアカーは、北海道を出て津軽海峡を渡って青森の駅に行くんだよね」
青森の駅からは、ハイパーメトロで東京に向かう。ひみこ一人で乗れるか自信はないが、フィッシャーから、左手のスキンが全て案内する、と聞いている。
「へへ、海、見えるかな?」
エアカーの窓からは、白い雪に覆われた札幌の街並みが見渡せる。
「良かったなあ。雪、ようやく見られたよ」
アレックスが雪の装置を呼び出して降らせてくれた時も感動したが、本物には敵わない。
結婚式を行うはずだった教会が見えてきた。赤かった屋根に白い雪が降り積もる。プレゼンコンテストのホール、ひみこの大好きな時計台、左手の向こう、市街地の隙間から豊平川が見渡せる。
「あたし、札幌来てよかった。また来るからね、がっかりちゃん」
馴染みの景色ともうすぐお別れ。札幌の雪景色に、ひみこは手を振った。
彼女は全く気がつかなかった。来た道を戻っていることに。いつまで経っても海が見えないことに。
気がついた時は遅すぎた。
「うそ! なんで!」
ひみこの叫びなど聞こえないエアカーは、アレックスと暮らすホテルの屋上に到着した。
少女は、車の中で訳も分からず喚いた。
「タマ、何とかして! ねえ動いて! 空飛んで!」
「わからにゃい、がんばれ、ひみこ」
「もう、このポンコツポンコツ! あ……」
窓の向こうにフィッシャー・エルンストが現れた。エアカーのドアが開く。
ひみこはそそくさと車を降りて、元婚約者の部下に助けを求める。
「フィッシャーさん……あ、あの……車が変なんですけど……」
あそこまで派手なことをして結婚式から逃げた自分が恥ずかしく、つい俯く。
秘書は、ロボットよりロボットらしく告げた。
「車は正常です。管理者である私の指示通りに着地しました」
「ど、どういうこと」
ゴーグルで顔を覆った男の表情は読み取れないが、ひみこは今更ながら、フィッシャーが自分の味方ではないと理解した。
「鈴木ひみこさん、あなたは婚約していたにもかかわらず、結婚式を逃げ出した。重大な契約違反です。違約金がいくらになると思ってるんですか?」
「払います! 一生かけても払う! でも結婚はできないの!」
「困るんですよ。あなたにはアレックスの妻になっていただかないと」
「私とアレックスじゃ合わないよ! フィッシャーさんだって、本当はそう思ってるでしょ?」
「そうじゃない! あなたにはアレックスのおもちゃをやってもらわないと、ダヤル社が困るんだ!」
フィッシャーの発言にひみこは硬直するしかなかった。
「おもちゃ?」
「あの人は、若い少女を育てて自分の物にするのが趣味なんですよ」
ひみこは身震いを抑えられない。が、アレックスのその趣味は意外でもなんでもなかった。彼が育ててきた女性たちは、みな魅力的だった。
「ダヤル社としては、ラニカの一人息子には趣味に没頭してもらえるのが、一番ありがたいんです。本社の経営には口出ししてほしくありませんからね」
十八歳の乙女の顔が、朱塗りのように染まった。
「ふ、ふざけんなよ! そのため女の子たちがどーなってもいーっていうの!」
すっかり日本語丸出しだが、フィッシャーのゴーグルに搭載されたアプリが共通語に通訳する。
「たかだか数人の女性が少し我慢すればいいだけです。ダヤル社が誤れば社員だけではない、地球の運命が危うくなります!」
「あたしだって地球人だよ! じーさんとは結婚したくないの!」
「いーから来るんだ!」
フィッシャーに囚われ、ひみこは身動きできないまま叫ぶ。
「いやだあ! 助けてええ!」
その時だった。
「フィッシャー・エルンスト、手を離せ」
雪に覆われたホテルの屋上に響く男の声。
声の元をたどると、今、一番、会いたくない男、ひみこが五年近く傍にいた男、アレッサンドロ・ダヤル・パレオロゴが、屋上入り口の前に立っていた。
「いやあああああ! あたし、絶対結婚したくない! 東京に行って、父ちゃん、母ちゃんを待つの!」
『父ちゃん、母ちゃんを待つ』
その叫びにフィッシャーはつい、手を緩めてしまった。
緩んだすきにひみこは元フィアンセの秘書を思い切り突き飛ばし、エアカーの入り口を目掛けて走り出す。
非力な少女の思わぬ反撃に、ゴーグルの男は尻餅をついた。
見上げると、ガウンに身を包む巨大な上司がそびえている。
「い、いた! つ……あっ、すみません!」
アレックスはしゃがみ込み、秘書の背中を撫でた。
「アーン、よくやってくれた。僕は、もう一度ひみこに会いたかったんだ」
フィッシャーはコクンと頷いた。
「安心してください。エアカーは、私のコントロールにあります」
「そうか」
逃げられた新郎は、乗用機と格闘する新婦を見やる。
「やだ! 何で車、動かないの?」
男は、愛を誓うはずだった少女のもとへツカツカと足を運ぶ。
「やあ、ひみこ。すまなかったね」
アレックスは、車のドアを開けようと格闘する少女の腕を取った。
「離して離して! あたしは東京に帰るの!」
暴れる少女をものともせず、男は耳元で囁いた。
「ひみこ、アリガトウ。アイシテイルヨ」
囁きがひみこの動きを止めた。
少女は、五年近く一緒に暮らした老人の日本語を、初めて聞いた。




