67 結婚の理由
アイーダの手助けで教会から逃げ出したひみこは、近くのショッピングセンターのトイレに籠った。ハネムーン用に契約したエアカーが、ここの立体駐車場に停めてある。
彼女になりすましたロボットが送る結婚式の映像を、左手のスキンデバイスから空中に表示させた。
新婦を演じたロボットが結婚を拒否し騒ぎになったところ、女優アイーダが庇ってくれた。
ひみこはいたたまれなくなり、ロボットを通じて自分の気持ちを吐き出した。
その後、アレックスが参列者に説明してくれたところで、通信が途切れた。
彼は自分の行動を理解してくれたようだ。しかも、今後も助けてくれると言ってくれる。
脅迫までされて押し付けられた結婚だったが、無事に逃れられたようだ。
これからひみこは、自分が設定したハネムーンを一人で実現するつもりだ。
東京の我が家に戻って親を待つのだ。
待っても来なかったら、教会で話したように、ロボットに任せないで自分の口からみんなの前でお詫びして、仕事を見つけたい。
トイレから出て契約したエアカーに向かう途中、ひみこはこれまでのことを振り返った。
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「なんでみんないなくなっちゃったんだよ! ひどいよ。タマ、なんで消えちゃったんだよ」
「にゃあ、呼んだ?」
ひみこがホテルで、ただただ絶望するしかないと諦め叫んだ時、タマが腕時計のモニターに現れた。
四年半ぶりに現れたタマは、以前と変わらないゆるキャラの三毛猫だ。
「タマ!? 生きてたんだ!」
ひみこの涙が、絶望のそれから歓喜の涙に変わった。
「私の元は二十一世紀生まれだにゃ。こっちの情報を分析してパワーアップするのに五年近くかかったんにゃ」
互いに気を遣わなくても日本語が通じる、久しぶりの体験。
「お前、それポンコツすぎない!?」
だから「正しくない」日本語をポンポン口にできる。
タマは生きていた。アレックスが消去したわけではなく、ポンコツすぎるタマは、状況を理解するためフリーズするしかなかった。
アレックスは確かにそう言ってた……といっても、今更、結婚する気にはなれないが。
「呼ばれたが、にゃに、すればいいにゃ?」
ひみこはがっくりと肩を落とす。
タマの復活は喜ばしいが、コイツはエロビデオを流すしか能がないポンコツだ。
「あんたは何もできないよね。あたし、お先真っ暗! あのエロじいさんと結婚するしかないんだよ~!!」
ここまで崩れた日本語をしゃべるのは何年ぶりだろうか。が、何も解決しないことには変わらない。
「駅前の交番に駆け込めばいいにゃ」
駅前? 交番? そういえばこの時代、駅前はあるが交番ってあったっけ? と、ひみこは札幌の街並みを思い浮かべる。
「交番なんてないよ。あたしには監視がついてる」
何か行動を起こせば、すぐさまフィッシャー配下のロボットがどこからともなく現れる。ロボットは路地裏やオフィスビルなどにスーツケース状態で格納され、ひみこの不信行動をキャッチするとすぐ起動する。
ひみこが若者に絡まれたときも、ロボットが助けてくれた。
「書類にサインしにゃければ、結婚は成立しにゃい」
前世紀のAIは、ありきたりのアドバイスしかできない。
「しないと、変態VRやらされる」
「ひみこが嫌がるとは、相当変態だにゃあ」
「いろんな親父に胸とか触られるの! キショイでしょ!」
「お前はもっとすごいのを見て喜んでたにゃ」
思い出すとひみこは顔を赤くする。この五年近く、その手の危ないコンテンツには縁がない。
「だって、あれはイケメンだったもん! あー、絶対いやだいやだいやだ!」
東京の実家で見入っていた、姉と弟の禁断愛を描いたロマンス。あれは美男美女だから成り立つのだ。
「ま、私も反対だにゃ。お前の夫の候補は二人いるにゃ。どちらもアレックスよりはずっとお勧めだにゃ」
「え? 二人も? じゃ、じゃあ……」
一人は、保護局長が持ってきたお見合い相手のカン・シフだろう。するともう一人は……三年前にコンテストで助けてくれた高校生だろうか?
結婚するなら若いイケメンであることに越したことはない。
「そういえば、あのアレックスは、おじいちゃんじゃなかったなあ」
謎のキスを仕掛けた時も含めて、アレックスのロボットは本人よりずっと若かった。三十歳ぐらいに見えた。
「いっそ、ロボットのアレックスなら我慢……できないできない!……あ、ロボット……そうか!」
閃いた。この難局から脱出する方法を。
花嫁衣裳は、ロボットがつぶれないよう軽いものにしてもらう。
事前に式のリハーサルを行い、自分の動きをロボットに転送して記憶させる。ロボットに転送する操作は、以前、研究センターのスタッフから教えてもらった。記者からの想定問答を記憶させることに比べれば、教会のバージンロードを歩くなんて、どうということはない。
逃走用にハネムーンのエアカーをフィッシャーに頼み、アレックスへのサプライズとした。
しかし式の直前、教会の控室でアイーダの誘導尋問にひっかかる。
「……やっぱり、あなたはアレクを愛してないのね」
「あ、えーと……その……」
「でも四年前、アレク、私と会うとひみこが嫉妬するから大変だって、惚気てたわ」
途端にひみこの顔が赤くなる。
四年前、アレックスから恋人の存在を聞かされた時、確かに腹が立った。許せなかった。しかし、それは嫉妬とは別の感情だ。
「違います! だって、私の親だってもう一緒に寝たりしてないのに、あんなおじいちゃんが女の人と何かしてるって……気持ち悪いじゃありませんか!」
アイーダは腕くみしてため息をつく。
「老人にもセックスって大切だけど、十八歳の女の子にはわからないわよね」
少女は嫌悪感をむき出しにして首を振った。
「どうしてプロポーズを受けたの?」
女優の大きな黒い瞳の迫力に観念して、ひみこは告白することにした。
「アレックスのお母さんは、亡くなってるんでしょ? なのに、昔のビデオのお母さんを、本物のお母さんと思って話しているの。すごく可哀相だった……」
自分と同年代の母親に甘える老人。母の死が信じられず生きていると思い込む男を、ひみこは心の底から哀れに思った。
「そんな理由でプロポーズを受けたの?」
アイーダは再びため息をついた。少女の健気で愚かな選択に呆れた。
「彼の母は、生きてるわ……もうすぐ百歳になるの」
「え! だって、あのお母さん、アレックスやアイーダさんと同じぐらいだった」
「あなたが見たのは、三十四年前にラニカが残した、最後の発明よ」
ぼんやりとひみこは事情を理解した。百歳近いラニカは、アレックスを満足させる母ではないのだろう。
「やっぱり可哀相だ」
女はドレッドヘアを揺らして苦い顔を見せ、
「でもあなたは、彼とキスしたくないんでしょ?」
少女は顔を歪ませプルプルと震えた。
「無理! 絶対無理!」
少女の口から日本語がこぼれる。女は、ひみこの態度から意味を察した。
アイーダはゴム膜ロボットに掛けられたベールを手に取る。
「バカね。だから結局こんな手段で逃げるしかなくなるんじゃない」
女優は自分のバッグから一つ衣装を取り出して、ひみこに見せつけた。
「これ、今度のドラマの衣装。メイド役なの」
「女優さんて、何でもやるんですね」
「何のんきなこと言ってるのよ。すぐ着替えなさい」
「え?」
ひみこの目が見開いた。
「ヘアスタイルも変えないと、あなたのロングヘアは目立つから」
アイーダは、手荷物のポーチからヘアピンとゴムを取り出し、ひみこの髪を瞬く間にアップにまとめる。
いつの間にかひみこは、時代遅れのメイドに変身させられた。
「すぐ逃げなさい」
「え? あ?」
ようやく女優の意図を理解したひみこは、当然の疑問を発する。
「どうして私を助けくれるんですか?」
「あなたのためじゃないわ。アレクにプロポーズされたのはあなただけだもの。彼の妻が存在するなんて許せないの」
アイーダは少し意地悪そうに微笑んだが、脳チップがないひみこでも、女優に悪意がないことはわかる。
二人の年の離れた女は見つめあう。
が、それが許されたのは、束の間のこと。
「失礼しまーす。メーキャップ始めますね」
扉の外から、声がする。
ひみこは、控室に入ってしまえば何とかなると思っていた。メーキャップ係のことなど考えてもいなかった。
「まっ! まって! 今着替えてるの!」
「衣装の着替えも私たちがやるから大丈夫ですよー」
泣きそうなひみこを押しのけ、女優は扉を開ける。
「きゃあ、アイーダさんだ!」
「サインください!」
「写真撮らせて!」
花嫁を着飾らせる若者たちが、騒ぎ出す。
「今回は特別ね。その代わり協力してほしいの」
若いメーキャップ係を説得し、ひみこの逃走を手伝わせることなど、ベテラン女優にとっては、朝飯前のことだった。
ホテルのスタッフに紛れて、レトロな衣装をつけた家政婦が立ち去った。
アイーダは、ひみこが準備したロボットに衣装をつける。
「手袋は分厚い生地の方がいいわね」
女優はテキパキと指示した。
「ねえ、プリンセスラインの衣装、すぐ調達してきて。パニエで膨らませないとね。ベールもふわっと広がるように。大きなティアラあるでしょ?」
アイーダお手製の花嫁が、アレックスに託される。可愛らしい花嫁に夢中の花婿は、何も気がつかない。
が、駆け付けてきた秘書の顔を見て、アイーダはギョッとする。この男は、ひみこが遠くへ移動したことに気がついた。彼女の居場所は把握されているのだろう。
アレックスはどうでもいい。しかし秘書の動きは封じ込めなくてはならない。アイーダは、フィッシャーの腕を取った。
結婚式が始まった。




