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64 新婦の希望、新郎の願い

 四月の雪は、今世紀の札幌で初めての気象現象。

 伝統的な教会で、世界的富豪の息子と最後の日本語族との結婚式。

 それだけでも盛り上がるのに、新婦はロボットを身代わりにして逃げ出した。

 平和で退屈する大衆の飢えを満たすスキャンダルとして、これほど完璧なものはあるだろうか。



 新郎の秘書フィッシャーは、これを予測していた。新婦は頻繁に研究センターを訪れ、スタッフに自分の行動をロボットに転送する方法を質問していた。

 アレックスには警告をしていたが、浮かれた彼の耳には入らない。きつく咎めれば、亡くなった父母に会えるサイト『ニルヴァーナ』の会員権をはく奪すると脅かされる。

 何の思い入れもない上司が恥をかくだけ、と放置したくなったが、フィッシャーは考えを改めた。

 アレックス自身はどうでもいい。が、彼はダヤルの御曹司。ダヤル社を守るためには彼を守らなければならない。つまり……鈴木ひみこと結婚させるのは、アレックスのためではなくダヤル社のためなのだ。そして、フィッシャー自身のささやかな望みのためにも、アレックス・ダヤルを結婚させるべきなのだ。


 教会で支度をしていたはずの鈴木ひみこが逃走したことを、フィッシャーは知っていた。彼女の左手に貼り付けたスキンは居場所を教えてくれる。

 それを伝えようとしたが、女優アイーダに阻まれた。大女優に腕を取られたフィッシャーは、硬直するしかなかった。

 が、彼はこの事態で自分を取り戻す。


 教会の通信環境、参列者の録画装置やウシャスを、一時的に機能を制限させたのは正解だった。

 フィッシャーは、部下に『教会の出入り口を全て閉じろ』と、スタッフ限定のチャンネルで指示をした。彼と部下たちのウシャスの機能は解放してある。

『大型エアカーをこちらに待機させろ』

 教会の外に待機した部下に指示をした。参列者送迎用のバスを、教会の上空にホバリングさせる。


「みなさま、どうかそのままでお待ちください」


 研究センターのスタッフが、騒めく参列者を押しとどめた。

 ひみこの希望通り、参列者はアレックスの親族、ダヤル社幹部、研究センター関係者の一部に留めてある。

 軽率にこの件を面白おかしく話す者はいない、とフィッシャーは心を落ち着かせるが教会の外は違う。


 と、隣で腕を組んでいた女優が立ち上がった。


「私を捨てたからよ。いい気味だわ!」


 アイーダは呆気に取られている参列者に妖艶な笑みを見せつけ、ゴム風船に戻ったロボットの前で、呆然と立ち尽くす新郎に駆け寄った。

 モーニングに身を包んだ大きな男を、女優がギュッと抱きしめる。


「ア、アイーダ……君は……」


 女はアレックスの耳元に囁いた。


「いつものことでしょ? 若い子に逃げられるのは。ジタバタしないの」


 女は参列者を向いた。


「みなさん聞いて! すべて私がやったの。アレクの結婚なんて許せないもの」


「アイーダ! 君はそういう人ではない。ひみこはどこだ!?」


「さあ? 脅したらどこかへ逃げちゃった」


 アイーダは男の耳元に「いいから私に任せるのよ」と囁く。

 騒めきの嵐が教会に巻き起こる。

 その時。


「違います! 私がアイーダさんにお願いしたんです!」


 花嫁衣裳をかぶったゴム風船から、鈴木ひみこの声が響いた。



「アレックス、アイーダ、結婚式に来てくれたみなさん、ごめんなさい!」


 形を崩したロボットの声が、聖堂を満たす。


「バカ、ひみこ! 私はどうとでもなるけど、あなた違うでしょ! やめなさい!」


 アイーダはアレックスに縋りついたまま、叫ぶ。


「私、アレックスに感謝しています。それに彼は寂しそうでした。だから一緒にいようと思いました。でも……結婚ってそれだけじゃダメだってわかりました」


「ひみこ、もう黙って!」


 アイーダは新郎に取りすがったまま叫ぶ。センターのスタッフもアレックスを取り囲む。


「私、結婚をやめたいって言ったけど……アレックスを説得できませんでした。だから、こんなバカなことを考えて、アイーダさんに手伝ってもらったんです」


 ゴム風船が花嫁のベールを揺らす。アイーダもいつしか、ただ少女の言葉に耳を傾けた。


「私は大事なプレゼン・コンテストで泣き出してから、ずっと逃げていました。今も逃げています。本当にごめんなさい。近いうちにちゃんとみなさんの前に出て、話します」


 騒めきの嵐は収まり凪となった教会に、日本トップアイドルの声が響く。


「私はこれからも、邪馬台国のこと、昔の日本や中国、アジアのことを調べたい。日本語話す人増えてほしい」


 大女優の目に涙が光った。


「結婚式をこんな卑怯な方法で逃げる人間ですが、戻ったらどんな仕事もやります。お願いします」


 ひみこの言葉が終わると共に、花嫁ベールをかぶったゴム風船のランプが消えた。


 新郎と同じように呆然と立ち尽くした司祭が、ようやく我に返り咳払いをした。


「鈴木ひみこはまだ幼く、結婚の尊さに気がつかなかっただけです。それゆえ、私は、これからの彼女の人生が祝福に満たされることを祈ります。そして、アレックス・ダヤル」


 威厳を取り戻した司祭は、相変わらず呆然とする新郎に向き直る。


「あなたにとっては残念でしたが、愛は与えるもの。奪うものではありません。あなたも共に鈴木ひみこさんの幸せを祈りましょう」


 心ここにあらずのアレックスの青い眼に、光が戻った。


「幸せを祈る? もちろんです。司祭様」


 ゆっくりと新郎は、参列者に向き直った。


「みなさんの中には月のステーションから駆け付けてくれた方もいる。本当に申し訳ありませんでした。すべて僕のせいです。僕とひみこの話し合いが足りず、彼女を不安にさせてしまいました。彼女は全く悪くない。それだけはわかってほしい」


 アイーダはゆっくりとアレックスから離れる。


「これからも僕は、ダヤル財団は、鈴木ひみこを支援したい。どうか彼女が戻ってきた時、みなさん温かく迎えてやってほしい」


 参列者は立ち上がって拍手で迎えた。

 聖堂で笑顔を向けながら、アレックスは脳内チャンネルで秘書に指示をする。


『アーン、彼らをホテルまで』


『バスは待機してます』


 扉が開かれ、スタッフが次々と参列者を送り出す。

 聖堂には教会関係者と研究センターのスタッフ、そしてアイーダが残された。


『マスコミには、僕が言った通り発表だ』


『はい……ですが、ロボットを身代わりにして逃げられたとなると……』


『僕とひみこは結婚式当日に話し合って、延期しただけだ』


『しかし、参列者は目撃しています』


『大丈夫だ。彼らは覚えていない。司祭もね……そこのロボットは片付けておくように』


 覚えていない? フィッシャーに意味はわからないが、交信を続ける。


『鈴木ひみこさんに貼り付けたスキンデバイスで、場所はわかります。彼女のハネムーン用エアカーは私が手配したので、操作はこちらでできます』


『さすがだアーン。ひみこは幼いからわかってない。だから僕が教えてあげないと……眠いな……』


 そこまで告げるとアレックスは崩れ落ちた。アイーダが慌てて支える。


「やっぱり! アレクはウシャスを使って、今度は記憶操作したのね!」


 アイーダの腕の中で、男は笑った。


「さすが君にはわかるか……なにせ五十人もいるからね。ダヤル幹部のウシャスは特別製だから、ガードが堅くて大変だったな……みっともないだろ? この僕が花嫁に無様に逃げられたなんて……ウシャスの残りは僅か……それまでに、ひみこを……」


 そのままアレックスは、女優の腕の中で眠りに落ちた。

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