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60 川の流れ

「アレックス、ひみこさんを両親に会わせるべきです。私のロボットから、結婚を拒否してどうにもならない、と知らせが入りました」


 フィッシャーは、支部長室のソファで寝そべる上司に、いつものエスプレッソを差し出した。窓ガラスには、北海道開拓時代の牧場が映っている。支部長室の窓ガラスには大抵この景色が設定されている。


「そうか……でも僕は彼女と結婚するし、あの愚かな親と彼女を関わらせたくない」


「どんなに愚かでも親は親ですよ。ひみこさんは何度も親に会いたいと──失礼ですがあなたと結婚するのも、それが大きいのではありませんか?」


 アレックスはカップに鼻をよせ、漂うアロマを優雅に堪能する。


「アーン、なぜ君は、親子の愛をかたくなに信じるんだい?」


 上司はゆっくり秘書に顔を向けて微笑んだ。

 彼の微笑に呼応するかのよう、支部長室の窓ガラスに映る北海道開拓時代の牧場がドロドロに融けて、シュールで不気味な抽象画が主張を始める。

 が、シュールは混じり気のない世界に消されてしまった。支部長室の大きな窓が白一色に覆い尽くされる。

 清浄になったキャンバスに、新しい絵が描かれた。じわじわと、キャンパスのあちこちで黒や紫の染みが広がり形を作る。


「な、ま、まさか」


 フィッシャーは狼狽えた。染みは文字に、花に、星に変わり、彼が良く知っている位置に移動した。中央で「ニルヴァーナ」の文字が輝き始めた。

 窓ガラスの景色は、北海道の牧場から死者との交流サイト『ニルヴァーナ』のトップページに変わった。


「あ、アレックス! わ、私は……」


 秘書は体を震わせた。『ニルヴァーナ』では、幼い時に自分を庇って死んだ両親に会える。フィッシャーがこよなく愛し訪れる場所。


「確かに君は、両親の愛を一心に受けて育った。そして今も愛されているんだね……君が作り上げた理想の親に」


「アレックス! プライバシーの侵害だ!」


 ソファから大男がゆっくり立ち上がった。


「部下のメンタル管理も上司の仕事さ。『ニルヴァーナ』はいいサービスだが、どれほど厳密に管理しても、理想の死者との交流に埋没し、現実と向き合わない顧客が出てくる。困ったものだ」


「私はちゃんと規定を守ってます! 月に一度、ほんの一時間、親と話すだけだ! あなたに命じられた仕事、ちゃんとやってるではありませんか!」


「もちろん、よく知ってるよ」


 アレックスはフィッシャーに笑いかけたまま、窓辺に立ち、右腕をゆったりと掲げた。長い指で、窓ガラスの中央「ニルヴァーナ」のロゴを、ツンと弾く。

 と、画面がトップページから、サイト運営者の管理画面に切り替わった。一会員に過ぎないフィッシャーは見たことがない画面だ。会員のリストがズラズラ表示されている。


「違法なハッキングは止めろ!」


「違法? 『ニルヴァーナ』もダヤルの管理だ。僕はダヤルのコンテンツなら何でもアクセスできる」


 アレックスが窓ガラスを撫でると、会員『フィッシャー・エルンスト』の文字が拡大された。会員管理メニューの『削除』コマンドが点滅を開始する。


「フィッシャー・エルンスト、君は優秀な秘書だ。だから、これからも僕のために働いてほしい」


 大きな男の青い眼が、慈悲深く輝く。

 秘書は上司の足元に縋りついた。


「やめてくれ! 私はあなたのために何でもする! だからパパとママを奪わないでくれ!」


「ありがとう、アーン。僕は君が大好きだよ」


 アレックスはにっこりと笑ってしゃがみ、床に沈み込んだフィッシャーの背中を優しくなでた。

 窓ガラスの景色は、北海道開拓時代の牧場に戻った。




 石狩川の支流、豊平川が、札幌の街をゆっくり蛇行している。

 ひみこは橋の上で、川の流れを追っていった。

 結婚式の準備は、アレックスと彼の部下が取り仕切っている。彼らはひみこにいろいろ希望を聞いてくるが、「お任せします」と答えている。


 お前なんか結婚できるわけない、と両親から散々聞かされてきた。タマが勧めるままドラマを見まくっていた。

 自分は醜いから、頭悪いから、共通語が話せないから、最後に残った純日本語族だから、結婚できないと思っていた。

 結婚しても両親のように罵り合うだけなら、独りでいい、と言い聞かせていた。


 が、自分の意図とは別に、結婚することとなった。自分の保護者と。

 ひみことアレックスは罵り合うような結婚生活を送ることはないだろう。今のような生活が続けられるなら、それもいいかと思った。

 しかし、アレックスは、真の結婚を求めている。東京で見たドラマの男女のような関係を、彼は望んでいる。


 少女は川の欄干にもたれかかった。懐かしのドラマを思い出す。


 途中までしか見なかったけど、あの二人、結ばれた後どうなるんだろう?

 お姉さん、弟を忘れようと当て馬上司と結婚式するんだけど、結局、弟がお姉さんを連れ出すんだ。


 ──そうだ。当て馬上司、お姉さんと結婚できず落ち込んでビルから飛び降りるんだ……ああ! そう、その続きが知りたいのに、札幌来てタマも眠っちゃったから見られないんだよ!


 ひみこが子供の時は、そのような展開のドラマをキャアキャア言いながら楽しんでいた。

 愛する花嫁に逃げられ絶望のあまり、死を選んだ男。

 勝手は違うが、この欄干から落ちれば終われるかな? と、ひみこは身を乗り出す。


「危ない!」


 腕を掴まれた。よく知ってる顔だ。


「……ダヤルさんから言われています。あなたを守るようにと」


 ひみこは腕を掴んだロボットを見つめた。フィッシャーの監視の元では、橋から飛び降りることも許されない。


 そのままホテルに走って帰った。まだアレックスは戻っていない。


 ひみこには誰もいなかった。両親に捨てられ、タマは消えた。

 三年前のプレゼンテーション・コンテストが懐かしい。

 保護局のグエン局長、自分に何をしたいのか、聞いてくれた。学校に誘ってくれたリー先生。

 友達になれそうだった赤い髪の少女、モーガン・ベス。アレックスとの結婚で彼女には嫌われたけど、仕方ない。

 コンテストで助けてくれた高校生のお兄さん……もう大学生かな? それとも働いてるのだろうか? 自分が有名人になったから、懐かしく思い出してくれたりしないだろうか?

 結婚するなら彼がいいのに。彼が結婚式で自分を連れ出してくれればいいのに!



 両親に会うためには、アレックスとの結婚を受け入れなければならない。

 自分を捨てた親たち。猫キャラのタマ。

 灼熱の東京の日々は、バカバカしい毎日だった。でも……自分の言葉で何でも言えた。日本語で罵りあうあの日々は、もう訪れない。

 三年間、ひみこの活動の効果が現れ、あいさつ程度の日本語は、一種の流行語のようになってきた。それは、正しく美しくきれいな日本語。


「ざけんじゃねーよ! 結婚なんてやってられねーよ! 金だけ寄越せよ!」


 彼女の叫びを聞き取る者はいない。理解できるものはいない。

 札幌に来てから動かなくなった腕時計を、充電器から取り出して見つめた。


「なんでみんないなくなっちゃったんだよ! ひどいよ。タマ、なんで消えちゃったんだよ」


 その時。腕時計がピカピカと激しく点滅した。


「にゃあ、呼んだ?」


 猫のキャラクタが、時計のモニターで光っていた。四年半ぶりの再会だった。

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