57 ひみこ成人になる
ひみこは十八歳を迎えた。
アレックスとひみこは、二人そろって、官公庁街にある日本語族保護局を訪ねた。ひみこははじめて、首都札幌の省庁に入る。
「今日で、アレックス・ダヤルさんの日本語族養育委託契約は終了となります。長い間お疲れさまでした」
保護局長チャンが事務的にアレックスと握手を交わす。
三人は、小さな会議室のテーブルを囲んだ。
「さて鈴木ひみこさん、あなたはこれから大人だ。まあ、日本語族には特別手当が支給されるけどね。鈴木さんの口座は?」
「ひみこ、左掌をシュウに」
言われるがまま、ひみこはチャンに左掌のスキンデバイスを見せた。
「うーん、ウシャスのチップがあれば、もっと手続き楽なんですけどね」
「シュウ! それを言ってはいけない!」
「ああ、すいませんね、つい……はい、ではこれで支給手続き完了……ところで、ひみこさんの連絡先は?」
「知ってるだろう? ひみこの公式サイトに載っている」
「……あそこに連絡を入れても返事が……わ、わかりました。それでいいです」
チャンはその続きを言おうとしたが、アレックスの青い眼に睨まれると、その先が言えなくなる。
「では、鈴木ひみこさん。あなたはアレックス・ダヤルと結婚されるそうですが、間違いないですか?」
唐突な局長からの質問で、ひみこは考え込んでしまった。ひみこが結婚を決めたのは、親が会うと言ったからだ。
「あの……私の親はどうしていますか?」
「そ、そうだな。そのことなんだけど……あ、……いや……元気にしている……」
アレックスの視線に怯えるチャンの口から、次の言葉がなかなか出てこない。
「……そう、マスコミがあんたの親がいる大学病院の前をうろついている。あんたがプレゼンで親に会いたいって泣き出したから、探してるんだ。だから、そう簡単に会わせるわけにいかないんだよ」
「えっ」
ひみこの頬に赤みがさした。
「では、会いたくないのではなくて、会えないということですか? それなら、もう一度、モニターで会えませんか?」
「ひみこ!」
アレックスに一括される。
「今は僕らの結婚を進めるべきだ。結婚したら会う、というのだから、それでいいだろ?」
大人になったばかりの若い女は小さく頷いた。チャンも「そうそう」と愛想笑いを浮かべるだけだった。
「スタッフがね、僕らの結婚を祝ってくれるんだ。楽しみだよ」
保護局からアレックスの勤務先までは五分程度だ。
温暖化が進んだとはいえ、一月の札幌は肌寒い。大通公園を渡り駅の方へ向かう。
「寒いね」
アレックスはひみこの肩を抱き寄せた。
「この方が婚約者同士らしいだろ?」
肩を寄せ合えば身体は温まる。が、ひみこの心は温まらない。
「親、本当に会ってくれるのかな?」
公園の中央で脚を止め、アレックスはひみこを抱き寄せた。
「約束するよ。僕らが結婚式を終えてハネムーンから戻ったら、君の親を説得する」
正式に婚約した男の言葉で、ひみこは目を見開いた。ハネムーンから戻ったら説得!?
「え? ま、待って。親は結婚式には出るよね? だって教会の結婚式は、父親が花嫁と腕を組んで入場するよ」
ひみこはすがるようにフィアンセの青い瞳を覗き込んだ。が、アレックスは首を振るばかり。
「うそ! まさか結婚式にも出ないって言ったの?」
成人になったばかりの娘の眼には、たちまち涙があふれ出る。
「落ち着いてひみこ。シュウが言っただろ? マスコミ対策だよ。僕らの結婚は多くのリポーターに囲まれる。そこで君の親が現れたら……格好の餌食になるだけだろ?」
男の腕の中、ひみこはコクンと頷いた。
研究センターの職員が見守る中、アレックスは片膝を折れて指輪をひみこに差し出す。アレックスの父の生家、イタリア貴族の家に伝わる大きなルビー。百年前まで、ヨーロッパの王のティアラを飾っていた由緒あるジュエル。
イエローゴールドのリングと大きな赤い石の組み合わせは、彼の先祖であるビザンツ帝国の国旗を連想させる。ルビーの周りをいくつもの小さなダイヤが縁取りする。
ひみこがイメージする普通のダイヤ一粒の婚約指輪とは全く違うが、恐る恐る受け取った。
アレックスはひみこの細い左手薬指に赤い指輪をはめた。サイズは当然ピッタリだ。
精一杯ひみこは愛想笑いを浮かべ、婚約指輪をスタッフに見せる。彼女の細い指と同じぐらい大きな赤い石に、スタッフは息を呑む。
ジュエルの由来がアレックス自身から語られると、どよめきが沸き起こった。
そのまま婚約パーティーとなり、婚約者たちそっちのけで踊る者、歌う者が現れる。アレックスとひみこも合わせてワルツを踊る。ステップはフィッシャー先生の指導で学習済みだ。
誰もが盛り上がる中、一番肝心な未来の花嫁は、虚ろなまま婚約者の力強い腕にただ身を任せた。
ホテルに戻ったアレックスは、ひみこの左腕を取る。
正式に婚約者となった女の細い手首から、黒いリストバンドを外した。
このところひみこは常に、タマの眠る腕時計と一緒だった。
「やだ。どうしてタマを外すの?」
「その指輪とこの時計は合わないよ」
アレックスが寂しげに告げた。
人の爪ほどの大きさもあるルビー。ヨーロッパ王家に代々伝わってきたルビー。カジュアルな黒い腕時計とはミスマッチだ。
「君の腕に相応しいブレスレットを用意するよ。ビザンツカラーの金の鎖にしよう」
「やめて! 何もいらない! ここには何もいらない! でも……タマは返して。手首には着けたりしないから」
ひみこは左手首を握りしめ、婚約者に訴えた。
「わかったよ……これは、君の大切な家族だ」
少女は男から取り返した時計──猫の住処をギュッと握りしめた。




