56 寂しい再会
アレックスはイタリアから帰国し、三日ぶりに札幌のホテルに戻った。
ドアを開けた途端、ひみこが飛び掛かってきた。
「指輪なんていらない! どうしてもいるなら普段使える指輪にして」
男は十七歳の婚約者を大げさに抱きしめる。
「もちろん、君が希望する指輪も別に用意しよう。でも僕はダヤルとパレオロゴの息子に相応しいものをフィアンセに渡したい」
「だって、私たちの結婚ってそういうのじゃないよ。アレックス知ってる? 私たちの結婚がもう知られて、私のロボットが出たイベントに記者が質問してきたの」
「そうか。でも隠すことはないし悪いことでもないだろ?」
アレックスはにこやかに答えたので、ひみこは安心した。
もちろん彼はリークされたことを知っていた。彼自身が情報発信元だから。
「よかった。だからフィッシャーさんにお願いして、記者の質問への答え、私が考えてロボットに入れたの」
ひみこは、男の腕の中で顔を上げた。
「そうだ! 私、元気になったから、ロボット任せではなくて、自分でイベントに出るよ。ちゃんと結婚について答えるから」
アレックスはひみこの身を離し、悲しそうに首を振った。
「いや、当分の間、君の外出は控えた方がいい。ダヤル・パレオロゴの妻は、今まで以上に危険な存在になるからね」
「危険? 私はアレックスが言われた通り、スーツを着て出かけているよ。たまに変な人に会うけど、フィッシャーさんのロボットが助けてくれるもの」
「ダヤルの妻である君は誘拐されるかもしれない。誘拐犯の要求がただの金銭なら構わないが、ウシャスに関する脅迫をされたら……いいかい? 地球そのものが危うくなるんだ」
「や、やだ……そんな……」
地球の危機と聞いてひみこはガクガクと震えた。
「ああ、怖がらなくていいよ。僕は君を守るためなら、全財産を失っても構わないから」
アレックスは震える小さな少女を、再び抱きしめた。
──外出は控えるように──
アレックスに警告されたが、ひみこは時計台にもう一度会いたかった。
この四年間、ずっと励まされてきた。高層ビルに囲まれて縮こまっている姿が、可哀相に思えてきた。
外出用にウィザード・ローブを着けサングラスを掛ける。このスタイルのランニングも大分慣れ、十分ほどで目的地に着く
「あ」
ひみこはグラスの奥で思わず微笑んだ。二年ぶりだった。あの女子中学生、モーガン・ベスだった。赤い髪が眩しく輝いている。
「もしかして待っててくれたとか?」
ひみこはグラスとローブを外し、顔を見せた。
「だって、あなたすごく偉くなって、こうしないと会えないから」
脳チップがなくてもわかる。彼女は怒っている。
「ごめんね。でも……」
私もベスからの連絡を待っていた……と言いかけるが、遮られた。
「あたし、ひみこに何度メッセージ出しても全然返事来なくても、タレントだから仕方ないなって思ってたよ」
メッセージ? 公式サイトに入るメッセージは、研究センターのスタッフが管理している。
以前ひみこは、ベス、グエン・ホア保護局長、リー・ジミー先生など、ひみこに気を掛けてくれた人々からメッセージが届いているか尋ねた。が、何度聞いても『来てない』と返されるだけだった。
この一年、ひみこはスタッフにその質問をしたことはない。
「私、ベスからのメッセージ来たって知らなかった。ごめんなさい」
「それはもういいよ! でもさ、ひみこ、あの高校生好きだったんでしょ?」
あの高校生……プレゼンで助けてくれた名前も知らない人……リー先生にお礼メッセージを託したが、その後何もない。
「で、でも、前にも言ったけど、連絡ないから……」
あの高校生から返事が来ないのは、ベスと同じだろうか?
「そうか、それなら仕方ないか……仕方ないから、ひみこはお金目当てで結婚するんだね」
「え?」
「あ、いいや、とにかく結婚おめでとうね。それ言いたかっただけ。じゃ、さよなら」
モーガン・ベスは、長い髪をたなびかせて去っていった。
──あたしってお金目当ての結婚を選んだ人間? そう思われるんだ……当たり前だ……だって、アレックスはすごいお金持ちだから。
もう一度、ひみこは超高層ビルに囲まれた時計台を見つめた。
周りの景色がどう変わろうが、この時計台はそこに三百年間あり続けた──今までひみこは時計台を可哀相に思ってたが、はじめて羨ましく思えた。
──鈴木ひみこの結婚は財産目当て。
その噂は皮肉にも、ひみこが自分の考えをロボットに託したために広まった。
俯き加減で、シドロモドロに答える少女。
彼女は、結婚前の女性なのに、幸せいっぱいの笑顔ではなく、後ろめたいことを追及され困っている罪人の顔をしていた。
鈴木ひみこは、プレゼンコンテストで取り乱して以来、一度も表に出ていない。最後に残った日本語族の少女は、心身不調が懸念された。彼女を非難する声もあったが、多くのファンは彼女に同情した。
その可哀相なはずの少女が、プロデューサーの富豪と結婚──多くのファンが、ひみこに失望した。
支部長室のモニターに、日本語族保護局長の丸い顔が映し出されている。
「やあ、シュウ。君も僕らを祝福してくれたのかい?」
「ダヤルさん、恥ずかしいと思わないんですか? 自分が育てた娘と結婚するなんて!」
「恥ずかしい? 僕は君たちからひみこの養育を委託されただけだ。法的にも親子でもなんでもない。教師が生徒の卒業後、結婚するようなものだろう?」
「保護局にもクレーム散々なんだよ。あんたとの結婚のせいでね。あたしは、朝鮮語族の男の子に会わせたい。あんたよりは、彼の方がひみこの相手に相応しい」
「血筋の近いものが結ばれるべき? シュウ、ひみこは競走馬ではないんだ。意志を持った地球人だよ」
「ダヤルさん、彼、カン・シフはそれだけじゃな……あ……あ……」
モニター越しの局長は、口をただパクパクさせている。
「どうしたシュウ? 何か言いたいんだろう? ないのかな。では、結婚式を楽しみにしてくれたまえ。君には招待状を送るよ……と、疲れたから切るよ」
チャンから次の言葉は出ることなく、話は終了した。
「さすがに疲れたな」
アレックスはどさっと、ソファに沈み込み、目をつぶる。
……モニター越しの脳チップを通して、言語中枢を一時的とはいえ混乱させるのは疲れるな……まあ、しばらくチャンは大人しくなるだろう……アーンに叱られるが、ウシャスの力を使った後は、眠らないと大変なことになる……そして……もうここまでの力を使えるのは、あと一、二回というところか。どうか……彼女が花嫁になるまでは、この力を残しておきたい……。
一日中、アレックスは事務所で眠りこけていたが、フィッシャーをはじめスタッフは慣れていたため、それぞれの業務に勤しんだ。
アレックスとひみこの結婚に問い合わせが殺到し、誰もが対策に追われていた。
世間一般が彼らの結婚に失望したのに対し、スタッフは彼らの結婚を歓迎していたので、それらの業務を苦痛に感じることはなかった。




