55 いつでも会える父と母
その日の夕方、札幌のフィッシャーは、イタリアにいる朝食を終えたばかりの上司にコンタクトを入れた。
「やあ、アーン。君の姿を見るとホっとするよ」
モニターのアレックスはいつもと変わらない。
「パレオロゴの本家は滅多に行かないからね。トロント育ちの僕には、貴族社会は堅苦しくて叶わない……ああ、ジュエルは手に入れたよ」
「アレックス、申し訳ありません。ひみこさんに指輪のことを話してしまいました」
「あはははは、アーンは気が利かないなあ。で、彼女はどうだった?」
サプライズを台無しにした部下を、アレックスは快く許す。
「その……やめてほしい、とのことです」
「そうなのか? てっきり彼女は泣いて喜ぶと思ったんだが……ああ、ダイヤモンドではなくルビーだから落ち込んでいるのか。彼女が望むならダイヤの指輪も別にあげるさ。でも、これはただのルビーではないからね」
フィッシャーは頭を抱えた。
この上司、人の頭の中を散々のぞき見しているのに、四年間も一緒に暮らした婚約者の性格、そして知性をわかってないのだろうか?
「アーン、困った顔をするな。わかっているよ。ひみこはそういう子だ」
再び秘書は頭を抱える。こっちの知性を試すのはやめてほしい。
「冗談はほどほどにしてください。ところで婚約について、ひみこさん自身による想定問答は、ご覧になりましたか?」
「ああ、彼女らしいよ。本当に可愛いな」
「私は、これを公開するのは反対です。ロボット・パーラに完全に任せた方が、好感度があがります」
アレックスは首を振った。
「ファンは愚かではない。ロボット・パーラの答えが作りものだとすぐわかる……あれは、およそ彼女らしくないよ」
「……わかりました。ロボットのプログラムを修正します。それと、日本語族保護局の反応はいかがです?」
「心配しなくていいよ。シュウは、以前の可愛い保護局長とは違う」
「ともかく、これで、ようやくひみこさんは、両親に会えるわけですね」
フィッシャーの声が和らぐ。上司の婚約者に対して特別な思い入れはない。しかし彼にとって、親子が仲違いするのはどうにも耐えられない。
「本当に、そう思うか?」
アレックスの声が一段と低く響く。
「いいか? 彼らはなぜ結婚を条件にしたか? それは不可能だと思ったんだよ。無理難題を押し付けて、自分の使命から逃げた卑怯者だ」
「私も条件が結婚と言うのは疑問ですが……それは日本語族の習慣かもしれません。昔は日本語族に限らず、結婚して一人前、という風潮がありましたし」
「君は、何かと彼らを庇い立てする……君は本当に親に愛されて育ったんだね」
秘書は大きく頷いた。彼は親の愛を疑ったことはなかった。
フィッシャーは、トンネルの入り口に立っていた。大人一人が通れるほどの穴だ。入り口は格子の門で塞がれている。
白衣の男がどこからともなく現れ、フィッシャーに近づいてきた。
「フィッシャー・エルンストさん。あなたが前回こちらに来たのは、十月……一か月前ですね」
「はい。私は、一月に一度、ここに来ています。私にはそれが許されてます」
「では、確認します」
白衣の男は、フィッシャーの顔に右手をかざした。
「状態に問題はありません。一時間経つと合図を送りますので、五分以内に別れを告げてください」
フィッシャーが頷くと、格子の門が開いた。
薄暗いトンネルを、フィッシャーは歩く。もう何年も繰り返す、月に一度の儀式。こんなトンネルなどカットしてほしいが、運営側がいうには、この暗いトンネルは必要らしい。
一分ほど歩くと、出口の明かりが見えてきた。徐々に眩しさに目が慣れてくる。
不思議な感覚だ。視力を失った彼にとって、ウシャスのゴーグルが彼の目だ。眩しさに目が痛む、という感覚を忘れて久しい。
なのにこのトンネルでは、その感覚を思い出す……まだ肉体の目を持っていた幼い頃の感覚。
トンネルから出ると、そこは、ただの白い空間。
しかし徐々に色づいてきた……ブランコに砂場とジャングルジム……周りは小さな児童公園に変わった。フィッシャー・エルンストが幼い時に出かけた公園と同じだ。
左手奥に公衆トイレが見える。
トイレの物陰から、一組の男女が現れ「アーン、元気にしていたか?」「アーン、また来てくれたのね」と、声をかけた。
フィッシャーは二人に笑った。
「パパ、ママ。トイレから出てくるのは止めてほしいな」
「それなら、お前、もっといいステージを用意してくれよ」
「そうよ。ここだと他に出るところないの」
この会話も、いつもの儀式だ。が、フィッシャーには両親と自分をつなぐ思い出の場所が他に思いつかない。思い出せない。
目の前の両親は、三十歳を超えたばかりだ。今のフィッシャー・エルンストより若い。
彼の両親は、フィッシャーが五歳の時に亡くなった。
五歳の時、両親と三人で、どこかの街中を歩いていた。
と、突然、空から唸るような轟音が響いてきた。
「アーン、逃げろ!」
幼いフィッシャーは突き飛ばされ、地面にしたたか頭を打った。
「パパ!」
振り返った瞬間、熱い金属の塊が彼の両の目を襲い、彼は視力を失った。が、失ったのは幸いだったかもしれない。
落下したエアカーに押しつぶされた、無残な両親の姿を見なくて済んだのだから。
フィッシャーは、五歳の時、エアカー落下事故のため両親を失った。泣きたくても彼は泣けなかった。涙腺も破壊されたから。
親戚の間や児童養護施設を点々とする。視覚障害のハンディを乗り越え働いて貯めた金でウシャスのゴーグルを手に入れた。
彼は泣けなかったが泣きたいほど感動し、その技術を提供したダヤル社に転職した。
会社への忠誠心とは、前世紀ですら遺物となった概念だったが、彼の魂は古き日本人に近かった。
児童公園で親子は戯れる。
「パパ、親が子供を捨てるって信じられないよ」
いつのまにか五歳児になったフィッシャーは、父親の膝に乗って甘えた。
「そういう親もいるさ」
「そういう人たちは、貧しいか心が弱いだけ。本当は捨てたくないの。なにか事情があるのよ」
「うちはビンボーだったけど、パパとママは一緒だったよ」
「だって、こんな可愛いアーンがいるのよ!」
今度は母親の膝の上に移る。母が抱きしめてきた。
「ママ、ブランコやって」
「大きいんだから自分でやりなさい」
そういって母は幼いフィッシャーをブランコに乗せ押してやった。
親子は、小さな公園でひとしきり遊ぶ。
が、あっという間に楽しい時は終わってしまう。
『フィッシャーさん、そろそろお別れの時です』
天空から女の声が静かに響く。
両親と抱き合い「また来るね」と別れを告げた。
児童公園は消え、また何もない白い空間に戻る。来た時と同じようにトンネルをくぐる。彼は、四十代の中年男に戻っていた。
出たところで白衣の男がフィッシャーに手を翳し「特に変わりはありませんね。次は一月以上開けてから、来てください」と見送る。
フィッシャーは、死者の住む『ニルヴァーナ』に別れを告げた。
『ニルヴァーナ』は、ダヤルの関連会社が提供するVRサービスだ。「会えない人と、もう一度」をキャッチコピーにして、会員を集めている。
もちろん死者の魂を呼び戻すわけではない。死者の生前データ、ビデオや音声、ウシャスの記録、死者と関わりあった人の証言などを元に、VRで故人の姿を再現する。
サービス利用回数と時間は厳しく制限され、決して安くはない。過剰に利用すると、理想化された死者との対話に耽溺し、リアル社会に適合できなくなるからだ。利用前と利用後に簡単なメンタルチェックも受ける。
フィッシャーは、『ニルヴァーナ』の会員になって十年になる。両親はエアカー落下という痛ましい事故の犠牲者だった。無名の貧しい夫婦のデータは少なく、二人のウシャスの記録はとっくに破棄されていた。両親の姿は、一人息子であるフィッシャー自身の証言をベースにしている。
彼は、毎月、両親を訪れていた。とっくに彼らの享年を超えた今も。
親の自己犠牲で生き長らえた自分。親はそうまでして子供を愛する。親が子を捨てるのは、何か理由があるはずだ……。
現実には、どの時代にも、子供を愛さない、愛せない親は存在する。歴史年表では、殺しあう親子も珍しくない。が、フィッシャー・エルンストにとって、それらは存在しないのだ。




