5 取り残された少女
ひみこは、アレックスとチャンに何度も「父と母は消えた」を繰り返す。
二人の男も、いつ、どういう状況で、両親がいなくなったか尋ねるが、ひみこはかたくなに「消えた」というばかり。
やりとりは相変わらず、腕時計の「タマ」を介している。通訳モードになるとタマは猫語ではなく標準語で答える。
「日本語族は監視してると、君は言ったよね?」
アレックスは文化財局長を問い詰めた。
「悪いがダヤルさん、彼らの保護は私の管轄じゃないんですよ。今回だって、大統領府の日本語族保護局長にむりむり言って実現できた面会なんですよ~」
チャン局長は、何で自分がこんな仕事せにゃあかん、と思いながら、左の 掌を広げ顔の前にかざす。掌に張り付けたスキン状のデバイスがキラキラ光る。デバイスを操作し警察を呼び出した。目の高さの空間に、警察担当の顔が立体映像となって浮かび上がる。チャンが担当者に事態を伝えいくつかやり取りした後、担当の顔は消えた。
アレックスは腕くみをしたまま気だるそうにチャンを眺めているが、ひみこは食い入るように見つめる。ありふれた通話方法が、ひみこには不思議でならない。
通報してから十分後、警察ではなく日本語族保護局の担当者から連絡が入った。先ほどまで警察担当の顔があった空間に、保護局担当の顔が表示された。
「鈴木太郎と花子の捜索は不要です」
担当者の答えは、まったく抑揚がない。
「どーいうことなんだよ保護局さん! こっちは、あんたらの仕事を代わりにやってやってんだ。この日本語族の子供が、親は消えたって言い張るんだよ。なんとかしてくれよ」
「チャン局長、お待ちください。今から日本語族保護局の担当がそちらに行って、鈴木ひみこを預かります」
アレックスは、彼らの国際共通語によるやり取りを聞き、頭を巡らせた。
鈴木夫妻の居場所や生死を曖昧にして、ただ捜索不要ということは……夫妻が保護局にとって都合の悪い存在になり、監禁されているのだろうか? 最悪、保護局が殺害した可能性もある!
文化財局長のシュウも管轄は違うとはいえ、日本政府の側だ。この様子からすると、鈴木夫妻の生死に関与はしてなさそうだが、彼は日本語族保護局側につくだろう。
「ひみこ! 今すぐここを出るんだ!」
アレックスは、か細いアジアの娘の手を引っ張った。
少女は抵抗したが大きな男に引っ張られてはどうにもならない。
「ちょっとダヤルさん! 今から保護局の担当が来るから待ってよぉ!」
チャンは、飛び出した二人を追う。が、すでに遅かった。
アレックスは、空に両手を掲げ「ヘイ! スーリヤ!」と叫ぶ。
南の空から、プロペラを着けた小型エアカーがホバリングして現れ、二人を連れ去っていった。
ひみこは、この男とチャンという役人の顔を知っていた。両親が、いつもはドロドロドラマを流しているモニターに、彼らの顔を映し来訪を伝えたから。
その後ひどい喧嘩となり、罵りあって決別にいたる。
だが、なぜこの男と二人きりで空を飛んでいるのか、わからない。
わからないなりに、タマが今まで見せたドラマの知識から、一つの結論に到達する。
「私を誘拐してもお金は取れない。私の両親は消えたから」
腕時計の猫を介して、ひみこはアレックスに訴えた。
「違う! でも悪かった。何も説明しないで強引に連れてきてしまって」
彼は、ひみこに辛抱強く説明した。
彼女の両親の生死が不明。あの家が安全とは言えない。チャンを置いてきたのは、彼も両親に害をなした側に近いから。
それらの説明は、十三歳の少女には通訳を介しても難しかったに違いない。
アレックスが苦労して状況を説明している最中、エアカー正面の大きなモニターにチャン・シュウイン日本文化財局長の顔が大きく映し出された。
「ダヤルさん、日本語族の子供を連れて、どーするんです?」
チャンはいつもと変わらない調子で尋ねる。
「シュウ、僕は保護局を信用できない。僕は、この気の毒なアジアの少女の命を守りたいだけだ」
数秒の沈黙の後、チャンが依頼する。
「……鈴木ひみこと代わってくれませんかね」
ひみこはアレックスに言われるがまま、モニターに向いた。通訳は腕時計が担当する。
「なあ、あんたは、東京に戻りたいかい?」
「戻るもんか! どーせ、あいつら今ごろ死んでるに決まってる! あいつらが生きてたって、二度と会いたくない。いなくなってせーせーしたよ!」
通訳アプリはひみこの言葉のニュアンスまで通訳できなかったが、その表情と口調から、チャンもアレックスも、彼女と両親の間に何かあったことを理解した。
「何があったか知らんが、何かあったんだな。さてダヤルさん」
チャンが呼びかけると、アレックスはサングラスを外して青い眼をモニターに向けた。
彼の浅黒い額に汗が流れる。
衝動的に哀れな少女を連れてきてしまったが、未成年を誘拐した罪で逮捕されてもおかしくないのだ。本当に逮捕されたらどうする? この少女のために、そこまで犠牲を払う価値があるのか?
「日本語」を話せる人間が世界で三人しかいない、という軽い好奇心から始まったが、事態はそれで収まらなくなってきた。
このまま東京の保護区に戻ろうか? アレックスは逡巡する。
エアカーは空中でホバリングして止まった。アレックスが迷いだしたから。
エアカーは乗客の脳情報を読み取ってその目的地に向かって動く。客の心に迷いが生じれば、空中だろうが停止するしかない。これも彼の母が設計したシステムだ。
その時。
ひみこの幼い声が、車内に響き渡った。
「うわあ! あたしが知ってる東京と全然違う! 時代劇みたいなお城ばっかりだ。ビルとかタワーとかないんだあ。タマが言ってるのと違うじゃん!」
釣られてアレックスも眼下の風景に意識を傾ける。
灼熱の古都、東京は、サムライやニンジャ、ゲイシャガールがひしめくノスタルジックな観光都市として有名だ。
少女は初めて見る景色に心を奪われ、腕時計を窓にかざしている。彼女にとって、腕時計はただの通訳アプリ以上の何からしい。
アジアの子供は無表情と思っていたが、そんなことないんだな……アレックスは来日して初めて、少女の無邪気な笑顔を見つけた。
心は定まった。
エアカーは動き出す、札幌へ。
アレックスは、モニターのチャン・シュウイン局長に言い放つ。
「僕を逮捕するならすればいい。ダヤルの弁護団がいくつもの訴訟を日本政府に起こす。君たちはそういうことが嫌いだよね? ダヤルは日本政府が公にしたくない情報を持っている。わかっているよね?」
「ま、待ってください、ダヤルさん。日本語族保護局からの伝言です」
チャン局長は、一呼吸を置いてから告げた。
「鈴木ひみこの今後の養育は、ダヤルさんにお任せする、そーです」
「何だって!?」
チャンの思わぬ答えに、アレックスは脱力してシートに沈み込んだ。