51 日本語族保護局の提案
ホテルに連れ戻されたひみこは、ずっとアレックスの腕の中で泣きじゃくる。
「あたし、東京に帰る! 親のこと待ってる! 死ぬまで親が会ってくれなくてもいいよ! 毎日、多摩川で魚釣って、父ちゃんと母ちゃん待ってる! もう、アイドルなんて無理!」
「ひみこ、悪かった。君は疲れているだけだ。これからの活動は、ロボット・パーラにすべて任せ、ゆっくり休むんだ。ほら、ハウスキーパーがバスルームに特別なミストを用意してくれたよ」
アレックスは泣きじゃくる少女をなだめすかし、スタッフに預けた。
いつも以上にバスルームのミストの睡眠効果が聞いたのか、フラフラとひみこは、ホテルスタッフに支えられ、そのままベッドに倒れこんだ。
翌日から、鈴木ひみこ本人が出演するイベントは全てロボットが代行することとなった。プログラムを調整することで、より本人に近づけることができる。発音に癖のある崩れた共通語にするなど、お手の物だ。
アレックスは出勤せず、ひみこのそばにいた。懐かしい音楽をかけたりオールドムービーを流したり。
ホテル内の庭園を散策し、ジムのフィットネスも一緒に行う。
何度も優しく頭をなぜ、頬や額にキスをする。
が、ひみこは顔を背けた。
「いいよ。君の気が休まるまで、好きにすればいいから」
が、彼女は悲し気に首を振る。
「私、アレックスには感謝している。私が可哀相だから大事にしてくれるの、すごくわかる。でも……私に愛はいらない。キスもいらない。ただ話がしたいの」
ひみこがアレックスに引き取られたころ、同じような話をした。その時彼女は、日本語で泣き叫んでいた。
いま彼女は、共通語で、静かに伝えた。
愛もキスもいらない、ただ話がしたい。
「……僕は今、君と話している。君の共通語はこの四年間で、飛躍的に上達した。ウシャスがないのにすごい努力した。日本語も、広まってきたじゃないか。いつか、君と何不自由なく話せる人間が現れるよ」
少女は寂しげに微笑んだ。
「私が話したいことは、違うの」
たった三人しか話者がいないこの言語。
そんな貴重な言葉とは知らず、お互いをいたわることも尊敬することもせず、ただ罵りあってた日々──。
その日々は、今のひみこにとって、何よりも大切な宝物に思えた。
何も気兼ねすることなく、互いに言いたい放題で、笑いあうこともなかったわけじゃない。
もう一度……あのバカバカしく愚かだった日を、過ごしたい。
「ああ、わかるよ! どんなにひどい親でも子供にとっては親なんだ」
どれほどアレックスに抱きしめられても、何度も「家族だ」と言われても……やはり彼は家族ではないのだ。彼のキスは……どうしても抵抗がある。
「ごめんなさい。アレックス」
ひみこは泣きながら、男の腕の中で詫びる。
「謝るな! 僕は君にただ、笑顔でいてほしいだけだ」
二人はなすすべもなくただ抱き合ったが、モニターの点滅とチャイムで、我に返った。
「やあ、ダヤルさん。久しぶりですねえ」
モニターに丸顔の中年男が現れた。
男は、アレックスが日本で一番懇意にしている政府高官、文化財局長チャン・シュウインだった。
彼は、三年前、グエン・ホアの後を受け、日本語族保護局長に兼務で就任した。
「その。鈴木ひみこさんは大丈夫なんかな?」
「ありがとう、シュウ。君にも迷惑かけるが、しばらく休ませることにした」
最後の日本語族は、政府主催のイベントにもゲストとしてよく呼ばれる。
「ああ、そのことで……実は、今、おたくのホテルまで来てんですよ」
二人が暮らすホテルのリビングで、アレックスとひみこは、テーブルを囲んで文化財局長チャン・シュウインと向かい合った。
ひみこは、日本茶を三客淹れ、まずチャンの前に置いた。
「いや~、鈴木さん。配信ではよく見てますが、本当にあの時会った子供とは思えないですねえ」
ひみこはとチャン局長が顔をリアルに合わせるのは四年ぶりだ。四年間の間にひみこは十センチ身長が伸び、子供から女性らしい柔らかな体つきに成長した。
十七歳の日本女子としては小柄でほっそりしているが、以前のようなみすぼらしい子供ではなくなった。
「ありがとうございます」
少女は型通り静かに頭を垂れ、自分のソファに座った。
チャンがおずおずと切り出す。
「実はな、あんたのお父さんお母さんから、ビデオメッセージを預かっている……あそこまであんたが訴えたことで、少し考え直したらしい」
「えっ! じゃあ、あたし東京帰れるの!?」
ひみこの口から日本語がこぼれる。
「いや、そんなんじゃないよ。悪いが、あんたが期待するような話じゃないんだ……じゃ、これがメッセージだ」
チャンが、さっきまで自身が映っていたリビングのモニターに瞬きを送った。
そこには、鈴木太郎と花子の顔が映っていた。二人とも真一文字に口を結び、まっすぐ睨みつけている。
「父ちゃん! 母ちゃん!」
ひみこはモニターに縋りつく。
「へへ、ちょっと痩せたかな? ますますジジババじゃん」
二人がひみこを捨てて、四年以上経った。目元はたるみ、口元の皺もくっきりし、頬もたるんでいる。
鈴木太郎は三十八歳、鈴木花子は四十二歳となった。
太郎が口を開く。
『ひみこ。そんなに会いたいと言うなら会ってやってもいい』
「な、なんだよ、えらそーに!」
モニターにひみこは反発するが、固定されたビデオの彼らは反応しない。
花子が付け加えた。
『でもな、結婚しない限りダメだ。会う時は、あんたの婿を連れてくるんだね』
ビデオはそれだけで終わった。
ひみこは「はぁ?」と叫び、その後硬直する。
硬直するひみこの代わりに、アレックスが怒った。
「シュウ! こんなビデオを見せたら、ひみこの具合がますます悪くなるだけだ!」
そういってアレックスは、茫然自失としているひみこの肩を抱き寄せる。
「まあ、待ってくださいよ、ダヤルさん。実は……鈴木さんと結婚してもいいって男がいるんですよ」
「当たり前だ! 日本中の男が僕のひみこを欲しがるに決まっている!」
「落ち着いてくださいよダヤルさん」
チャンがタブレットをテーブルに置いた。
「鈴木さん、気楽に考えてほしいが……この人と、会ってみてはどうかなあ?」
チャンの丸っこい指がタブレットをタップすると、テキストの羅列が表示された。
氏名:カン・シフ
年齢:二十歳
性別:男性
性自認:男性
性的指向:女性
出身:鳥取県
居住地:鳥取県
母語:朝鮮語
父:朝鮮語族
※父方の祖母は日本語族
母:朝鮮語族
職業:大学生 情報工学専攻
人の属性だけが示され、人間性が全く伝わらない文字情報。
しかし、ひみこは、冷たい文字情報の中に、希望を見つけた。
彼女の目を引いたのは「日本語族」という文字列。
結婚すれば親が会うと言った。しかも具体的な候補がいるのだ。
「この人、日本語がわかるんですか?」
「鈴木さんほどじゃあないが、父方の祖母が日本語族だ。私よりはわかるだろうね。とりあえず、プロフィール映像を再生……な、なんです!」
アレックスは恐ろしい形相でチャンの手首をつかんだ。
「ふざけるな! 彼女を何だと思ってるんだ!」
「ダヤルさん、落ち着いてくださいよ。この男は祖母が日本語族ですよ。朝鮮語族は他の民族に比べて日本語族に近い。いい話と思うんだがねえ」
「うん。あ、でも……」
戸惑うひみこの代わりに、アレックスの怒りが爆発した。
「ひみこは繁殖生物ではない! 日本語族を産むための道具ではない! 人間だぞ。結婚しないと親が会わない? そんな親なら会わなければいい!」
繁殖生物! ひみこの全身がカっと赤く燃え上がる。
「もういいよ!」
少女は立ち上がり、ベッドルームに籠った。
残された男たちは顔を見合わせる。
アレックスは勝ち誇ったように宣言した。
「シュウ、もう用はないだろ? そろそろ、君の美しい妻が、素晴らしいディナーを用意して待ってるころじゃないか?」




