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50 三度目のプレゼンテーション・コンテスト

 走る。走る。大通公園を抜けて、白い時計台まで走る。

 十五分も走れば時計台に着く。ひみこは息を整え、白い壁の歴史的建造物を眺めた。


 ひみこの名が知れ渡るようになって三年近く経った。

 その間、日本語がかつての地位を取り戻し、全国民が日本語を不自由なく話し、公用語が日本語に置き換わる……という奇跡は起きなかった。

 が、趣味としての『日本語』はそれなりに広がった。全国各地に日本語サークルが結成される。

 ひみこ自身が『日本語講座』の講師として、彼女の分身ロボットと共に活躍した。


 ひみこはもう、自分と同じ言葉を話す人間が、絶縁している両親以外いないことを、嘆いたりはしない。少しずつ『日本語』を話す人が増えてきたのだ。

 それはひみこが望むようなレベルではないが、一言の挨拶でも日本語で話してくれるのは本当に嬉しい。

 以前は、自分の母語が消滅する恐怖におびえていた。が、今、ひみこは希望を抱いている。一部の人間の趣味としての『日本語』は、残るのではないか、と。


「がっかりちゃん、聞いて! あたしね、またコンテストに出ることになったんだよ!」


 ひみこは笑顔で時計台の壁をなで、頬ずりをした。



「ひみこ、プレゼンテーション・コンテストに出てみないか?」


 それはアレックスからの思わぬ提案だった。

 二年前のコンテストで三位を取った日、彼にエントリーを禁止された。アイドルであるひみこが参加すると審査に疑義を生じるから、と。


「え? アレックス、あの日、最後にしよう、って言ったじゃない」


 男はいたずらっぽく笑った。


「プレゼンターとしてではないよ。ゲストとしてだ。君はコンテストの開会式、参加者を励ますスピーチを贈るんだよ」


「ええええ! いいの? 私は優勝したことがないのよ。最高が三位入賞なのに」


 アレックスはひみこの頭を胸に寄せ、髪に指を滑らせた。


「臆することはない。君は彼らよりずっと大きな舞台を踏んでいる。プレゼンターの大先輩としての心得を、彼らに説くんだ」


「で、でも……私はウシャスが使えないし、プレゼンのコツなんてわからない……いいのかな……」


 国際会議のような大きな場では、外耳のスピーカーに届くアレックスの指示に従っているだけだ。そんな自分にできるのだろうか?


「逆だよ。地区大会レベルで、君のようなスペシャルゲストのスピーチが聞けるんだよ。その日のオーディエンスほど、幸せな者はいないだろう」


 保護者に励まされたひみこは、最初はためらいがちに、そのうち力強く頷いた。



 三度目の札幌特別区民ホール。三度目のプレゼンテーション・コンテスト。しかし今回は、プレゼンターとしてではなく、ゲストとして参加する。

 初めてひみこがエントリーしたときは、文化大臣が挨拶をした。

 今回、そのポジションは、北海道知事が担当する。

 何人かの教育関係者の挨拶がすむと、いよいよ、ひみこの出番だ。

 割れんばかりの拍手や歓声で迎えられる。


 ひみこは舞台に出るとき、必ず左手首にタマの眠る腕時計を着ける。猫はもう四年間も眠りっぱなし。

 タマの目覚めは半ば諦めているが、一緒にいるだけで心強い。スピーチをする前は、キュッと握りしめる。


 話す前にゴーグルを掛けるのも変わらない……三年前、ひみこを助けてくれた彼がいないか探す。もう彼がどんな顔かどんな声か、記憶はあやふやになってきた……もしかしてウシャスが使えれば、いつまでも彼のことを鮮明に思い出せるのかもしれないが……。

 やはり彼はいない。彼だけから感じた温かなメッセージは伝わってこない。わかっている。中国地方の高校生だ。札幌には簡単に来られない。長距離移動を制限されているから。


 彼はいないが、ひみこは、オーディエンスから熱狂的に歓迎されていることがわかり、安堵する。

 三年前、野蛮な原住民と軽蔑されていたのとは大違いだ。

 いや、歓迎の中から、不平不満が漏れ聞こえてくる。

 ──ずるくない? 一度も優勝していないのにゲストだって。

 ──まあ、みんなのアイドルだし?

 ──でもさ、アイドルって、単に日本語族ってだけだよね?

 ──そう、歌なんかネット断絶レベルの気持ち悪さ。


 ひみこは、ウシャスのグラスを外した。


「こんにちは、みなさん。私は、このプレゼンテーション・コンテストに二回出場しました。今回、エントリーはしなかったのですが、みなさんのプレゼンテーションを楽しみにしています」


 ひみこは笑顔をキープしたまま、事前にアレックスに言われた通りに語る。


「私は最初、失敗しました。二回目は審査員の先生に指摘されたところを直し、三位になりました。その時、先生に、調べた事実を述べるだけではなく、自分で感じたことを話しなさい、と言われました」


 自分で感じたことを話す──何か閊えるような気持ちになり、ひみこは瞼をパチパチさせ、気を静めた。


「私は、ほかの人のプレゼンを聞いて、先生の言うことがわかりました。みなさん、自分自身の体験を感情を、言葉や音、映像だけではない感覚として伝えてるんですね」


 でも、ウシャスが使えないひみこにとって、感覚をダイレクトに伝えることは難しい。彼女は、あくまでも言葉・音・映像だけで勝負しなければならない。


「これからどんなプレゼンテーションが発表されるのか、楽しみです」


 ううん、それは嘘。だって、何言ってるか……わからないもの。花の香りも、雨の感触も、猫の毛並みも……あたしには伝わらない。ちゃんと、言葉にしてくれないとわからない。


「私の歌は、みなさん知っている通り、すごいでしょ? あれでもがんばってボイストレーニングを受けてるんですよ」


 会場から、乾いた笑い声が漏れる。

 相変わらずひみこの歌は、どれほど優れた機材で音程を調整しても、お世辞にも上手とは言えないデキだった。

 音楽のように感性が大切な分野では、ウシャスを使ったレッスンが一般的なため、ひみこの能力に合せてくれるトレーナーがいないせいかもしれない。


「でも、このプレゼンテーション・コンテストに参加したのは、話すことなら私でもできるかなって思ったんです」


 スポットライトが眩しい。この眩しさには慣れたはずなのに、初めて立った舞台にいるためか、三年前の大失敗したプレゼンテーションの記憶が蘇ってくる。

 あの時、混乱して共通語を忘れ、日本語で押し通した。


 プレゼンテーション・コンテストは、がんばっても地方大会で三位。

 自分自身が注目されるのは、単に日本語族だから。

 ここまで来たのは、自分を捨てた親を見返すためだった。

 相変わらず、親から何も連絡はない。きっと、今の自分を見て悔しがっているに違いない。だから、会いたくないのだろう。


 今の自分は、本当に自分が望んでいた姿なのだろうか?

 この三年間、ちょっとした日本語ブームとなり、ひみこはファンと、日本語の会話を楽しむまでになった。

 ──今日はいい天気ですね。

 ──ロボット・パーラは賢いですね。

 が、それは、本当に話したいことなのだろうか?

 話している、と言えるのだろうか?


 ──プレゼンテーションでは、まず自分が感じたことを話しなさい──


 本当に、話したいこと?

 この国の歴史? 隣の中国の歴史?

 自分と同じ名前を持つ邪馬台国の女王のこと?

 名前……親が付けた名前……そんなの自慢にならないってわかっても……日本語族が子供に名前を付けるって、すごいことなの……。


「あのね! あたしの名前、父ちゃんと母ちゃんが付けてくれたんだよ!」


 ひみこは、日本語で叫んだ。

 会場が騒めきだした。

 みんなのアイドル鈴木ひみこの両目から、涙が流れていた。



「父ちゃん、母ちゃん。ごめんね! あたし、すごい生意気だった。偉そうだった。全然、親孝行じゃなかった。ひどい子供だった。本当にごめんなさい」


 ひみこは泣きながら、何度も頭を下げる。

 外耳のスピーカーからアレックスが「やめろ!」といつになく厳しく怒鳴る。

 しかし、彼女には止められない。

 四年間、蓄積された思いは、もうコントロールできない。


「ジャンケン、全部父ちゃんの勝ちでいいよ。母ちゃん、レトルトおかずでも文句言わない。あたし魚釣る。血抜きしてウロコ取るよ。東京へ帰ろうよ。暑くても我慢するから」


 舞台にひときわ目立つ大きな男が躍り出て、ひみこを演台から引き離した。


「失礼しました。鈴木ひみこは連日の活動で疲労がたまっていました。申し訳ございません。これで失礼します」


 アレックスは会場に詫びて、泣きじゃくるひみこを抱きかかえて舞台から降りた。

 会場のどよめきはしばらく収まらず、中にはひみこに釣られて泣き出すものもいた。

 彼女の日本語は、三年前のプレゼンとは違い、咄嗟のことでもあり共通語に翻訳されなかった。

 しかし三年前と違って、日本語通訳アプリが普及したため、ひみこの言葉を半数が理解した。


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