37 誓い
話は少しさかのぼる。
それは、ひみこがグエン局長と別れの挨拶をするより前──プレゼンテーション・コンテストが終わって三日後のこと。
アジア文化研究センター日本支部長室で、アレックスは上機嫌だった。
「さすがだねアーン、新都中学校へ見事な働きかけだった」
「あの学校は予算がないので、古いシステムを使っています。アップデートを無償ですると言ったら、校長、喜んで飛びつきましたよ」
「しかも、局長まで異動させるとはね」
「ダヤル社の力をもってすれば、局長クラスならどうとでもなります。それにしても、アレックス、随分早く、ホールに戻りましたね」
「君がそのグラスで、余すことなく伝えてくれたからね」
フィッシャーはゴーグルをクイっと持ち上げる。
「私の……目ですから」
アレックスは立ち上がり、伸びをした。天井に手がぶつかる。
「あの少年は?」
「プロフィールならここに」
モニターにひみこを助けた少年の顔写真が表示された。
「……彼のことも頼むよ」
「頼む、ですか?」
「君は穏やかではないことを考えたね。彼は優秀だ。この国に、ダヤル社に、いや地球に欠かせない人材だ……彼が勉学に専念できるようにしてあげないと……あの年頃は、迷うことが多いからね」
「……了解しました……」
アレックスは大きく瞬きする。モニターが消えた。エキゾチックな小麦色の肌の男は、青い眼を輝かせた。
まもなくリー・ジミーは高校へ異動となり、ひみこの中学校入学は却下され、グエン・ホアは、日本語族保護局長の兼務を外された。
リー・ジミーは、修学旅行で札幌に来た中国地方の高校生に、ひみこからのお礼の伝言を送ったが、それが高校生の元に届くことはなかった。
グエン・ホアがひみこに別れを告げた日、アレックスは菊の花束を買って帰った。日本といえば菊の花に決まっている。いつものようにホテルのスイートルームのドアを開ける。
「やあ、ひみこ、今日はどうしていたかい?」
アレックスは、当然、彼女の今日の行動を把握している。
彼女の返事が来る前に、アレックスは少女の額にキスをして「君にプレゼントだ」と、菊の花束を渡す。
「これは……誰かが死んだのですか?」
「なにを言うんだ!? 日本人はこういう花が好きなんだろう?」
「私が見たドラマでは、お葬式にこの花を飾っていました」
「……昔はそうだったんだね」
ひみこは洗面台に水を貼って、菊の茎を浸した。
男が少女の背後に立ち、長い髪を手に取った。
「ひみこ、悪かった。ただ僕は、君の笑顔が見たかったんだ。学校に通えなくて、本当に可哀相だと思ってるよ」
洗面台の大きな鏡を通して、二人の視線が交錯する。
ひみこは、グエン・ホアの言葉を思い出す。
『成人になれば、ひみこさんの好きにできる……もしダヤルさんではなく……』
好きにできる? でも、自分がやりたいことを主張しても、相手が受け入れなければ同じだ……今回、中学校から拒否されたように。
そして、アレックスではなく? 菊の花を持ってくるとか変わっているが、こんな自分の面倒見てくれる……思い出した。最初会った時、アレックスはあの人にセクハラしてた。だから、グエンさんは嫌っているんだ……女優と宇宙旅行してイチャイチャして……うん、そこは気持ち悪い。
「私、来年こそ、プレゼンテーション・コンテスト、成功させます」
鏡に映る自分に、少女は静かに誓った。今できることはそれしかないのだ。
これにて、第三章を終える。ここでは、鈴木ひみこの初めての表舞台、新たな出会い、そして別れについて語った。
次章は、鈴木ひみこの躍進について語る。




