32 プレゼンテーションデビュー
プレゼンを日本語で押し通すと、ひみこは宣言した。
その場で見守っていたリーが、口をはさんだ。
「日本語だと誰もわからないよ」
少女は、教師に自分の通訳事情を説明した。
「ここを押すと、私の言葉が共通語になって……」
親指の付け根を押せば、日本語でも通じる、アレックスが相手なら。彼の外耳のスピーカーが、スキンデバイスが通訳したことばを受け取るから。アレックスだけではなく、フィッシャーをはじめアジア文化研究センター日本支部のスタッフにも通じる。
試しにひみこは親指の付け根を押して、リーに話しかけた。
「イマ、ニホンゴナンダケド、センセー、ワカル?」
リーが首を振った。
言葉が通じないやり取りを繰り返しているうちに、少年が割って入り、ひみこにはよくわからない話を、リーと始めた。
「わかった。鈴木さんの方は君に任せるよ。僕は事務局に掛け合ってくる」
教師は舞台の袖に消えた。また、ひみこは、少年と二人になる。
「コレガ、デバイス、デスネ」
そういって、少年はひみこの左手を取った。
「ちょっ! 何するの!」
反射的にひみこは手を振りほどく。手が熱い。ウシャスのゴーグルは外したのに、脳の中が熱い。
「ごめん、僕の言うことわかる? 鈴木さんが使っている通訳アプリを見せてほしいんだ」
おずおずとひみこは左手を開いて少年に預ける。と、彼はひみこの掌を人差し指でなぞり押し出す。
(や、やだ……な、なんで……)
こそばゆい感触で、ますます手が、脳が、全身が熱くなってくる。
「当たり前か。他人が操作できるわけない」
少年は、あっさりとひみこに左手を返した。思わず少女は手を握りしめ俯く。
「アプリの設定を変えれば、ホールのスピーカーで通訳を出力できると思う。やってみて」
目の前に、少年の左手が広げられる。彼は、自分の小指の付け根を押した。同じようにやれ、ということらしい。
ひみこが操作すると左手に貼り付けられたスキンデバイスがキラッと光った。
「やっぱり! じゃ、僕の真似をしてみて」
言われるがまま、ひみこは少年の言うとおりに、指の付け根や掌のくぼみを押したりなぞったりした。
少女にはよくわからない文字が浮かび上がってくるが、少年はうん、うん、と頷いている。
「……外部チャンネル、一時的に開放、プレゼンが終わるころに閉じるように設定……あ! チャンネルサーチした。リー先生が事務局に掛け合ってくれたんだ! じゃ、サッポロホール・プレゼンマイクを選択して……そう……日本語、話してみて」
「あ、えー、日本語?」
遅れてホール内に、共通語に通訳されたひみこの声がこだました。
「ヨカッタ。ダイジョーブダヨ。ボク、ココニイルカラ」
「やめて! 一人でできる!」
ひみこは少年を追い払うように、腕を振り回した。
「ゴメンナサイ」
少年は寂しげな顔をひみこに見せ、舞台を降りた。彼は一足先に戻ったリーと顔を見合わせ頷き席に着く。
が、ひみこは、名前も知らない少年のことを思う余裕はなかった。
左手首をぎゅっと握りしめた。機能しない腕時計──タマの寝床を握りしめた。
「日本語でいきます。あたし、日本語も間違ってるみたいなんだけど、今日はゴメンなさい。このアプリが通訳してくれるから」
ひみこは左手を掲げた。変換された自身の話が終わるのを待つ。
「えーと、魚を獲ってた話はしました。あたしたち、日本語族は大丈夫なの。そういう法律なんです。文句があるなら、法律を決めた人に言ってください」
多分、目の前の生徒達は腹を立てているのだろう。が、どう思われても関係ない。
「あたしの両親は、みんなの両親と違って、働いてない。あたしたちは、昔の日本人と同じ言葉しかわからないから、国が守ってくれます。ずるいかどうか、あたしにはわかりません」
ひみこは憮然とした生徒達に目を配る。ますます腹を立てているに違いない。
「あたしは小さい時から、昔の古い日本語のドラマを見てました。男と女がイチャイチャするドラマばっかりです」
日本語族の少女には、もう、彼らの顔を見る余裕はなかった。
「あたし、言葉話せないし、みんなみたいに勉強もできない。でもね、今から話すことは、知ってる人、少ないかも」
左手をぐっと握りしめ、掌のシートに登録してあるプレゼン用のアプリを起動した。
空中のスクリーンに、漢文の書物が表示される。
「これ、昔の中国の本。先祖が中国の人、多いって聞いたから、どう? 読める人いるかな?」
あまり反応がない。しかし、ひみこはまたアプリを操作した。
「この本は『魏志倭人伝』って言うんだ。昔の中国の歴史が書かれてるんだけど、そこに日本の女王のことが書いてあるんだ」
もう一度左手を握る。ずらずら並んだ漢字のうち三文字がピカっと光った。
「女王の名前は、卑弥呼っていうんだ。あたしの名前と一緒なんだよ」
ひみこは得意満面に語った。自分の名は、最初に知られた女王と同じなんだ、と。
「あたしの親はね、東京ではなくて、別の県に産まれた従姉弟同士だった。従姉弟の結婚は、大丈夫なんだよね?」
確認を求めると、ごく一部の観客が頷いている。
「あたしが産まれてすぐ、女王卑弥呼の墓が見つかったんだって。それ親が産まれた県だった」
頷いた数少ない観客は、舞台の日本語族の少女を注目しだした。
「親たちはね、すごく喜んで、あたしが最後の日本語族だからって、女王の名前を付けたんだ」
ひみこに観客の様子を伺う余裕はない。そもそもちゃんと聞いてくれているのか、早く終わってくれと、ドラマの続きのことでも考えているのか、心もとない……去年、アレックスに連れられたクリスマスミサを思い出す。立派な神父の長々しい説教を。
「あ、あのさあ、みんな、親が名前を付けるのって当たり前って思ってるのかな? えーとね、でもさ、日本語族はバカだから、子供に名前も付けられなかったんだ。タマっていう、えーと、そうアプリ、アプリが勝手に名前を決めるの」
あれ? 何でこんなことを話しているんだろう? ちゃんと準備したのに。
魏志倭人伝に書いてある卑弥呼について説明して終わるつもりだったのに。
「だけど、うちの親はそうじゃなくって、自分たちで考えた名前を、あたしにくれたんだ」
やだ! 自分は、何を言ってるんだろう?
自分の親は、他の日本語族と違って、ちゃんと子供に名前を付けたんだよって、自慢したいの?
そんなの普通の親なら当たり前にすること。自慢になんかならないのに。
「だ、だから……」
言葉が止まってしまった。少女の両眼から涙が落ちる。
時間は無情にすぎる。
と、小さな3D映像がひみこの目の前に現れた。プレゼンターにしか見えない映像が、残り時間をカウントする。
涙をこらえて少女は、「ちゃんと話せなくてごめんなさい。聞いてくれてありがとう」と頭を下げた。




