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29 ひみこデビュー作戦

 日本語族保護局のトップは大学病院を訪ね、ひみこの両親に娘の発言『マグロもステーキも食べ放題』を伝えた。

 それを聞いた両親の反応を、グエンは自分の脳チップに保存した。


「ひみこさんに、お父さんお母さんの返事を伝えていいですか?」


 しかし鈴木夫妻は断固として「あたしらは絶対にあの子に会わない。だから伝えるな」と拒絶する。


「ひみこさんは、あなたたちしか話せる相手がいないんですよ」


「どーせ日本語なんて俺たちで終りだ。忘れちまえばいーんだ」


 グエンの説得もむなしく、鈴木夫妻は一人娘との対面はおろか、夫妻からの返信を伝えることも拒絶した。

 保護局トップの女は、これまでの鈴木家の記録を見直す。

 一人娘は両親に不満を持っていたらしいが、思春期の娘ならよくあることだ。

 両親も普通の日本人とは違うが、彼らなりに娘を可愛がっていたようだ。


 なぜ彼らは娘を拒むのだろう?


 彼らは『日本語なんて俺たちで終り』と言っていた。

 もしかすると、この先、覚えても意味のない『日本語』を捨てさせるため、彼らは娘の養育を放棄したのだろうか?


 どうであれ、脳にチップを入れていない人々の考えは読めない。

 グエンは、鈴木夫妻について考えることを中断し、文化大臣の説得方法を練ることにした。



「ホア、君は美しいだけではなく素晴らしい局長だ。本当に文化大臣を呼ぶとは」


 アレックスはモニターの高官に、満面の笑みを向けた。


「コンテストの最初、大臣に挨拶をお願いします。その後、別会場にダヤルさんと共に移動していただき、他の有識者を含めて、日本語族や世界の少数民族の現状についてミーティングを開きます」


「コンテストはどうなる? 僕はひみこについてやりたい」


「それは、私どもが責任をもって見守りますから」


 モニターを通じて緊張が交差する。グエンは、何とかこの王者に承諾してもらいたかった。


「……わかった。では彼女に、部下のフィッシャーをつけよう」


「ありがとうございます」


 グエンは、最難関ポイントを通過した、と胸をなでおろした。



 十一月、プレゼンテーション・コンテスト当日の朝。

 アレックスはひみこにゴーグルを渡す。


「プレゼンの時は、このグラスをかけるんだ」


 それは、ひみこを古代エジプトに連れて行ったゴーグルと同じ形をしていた。


「ひっ!」


 少女は無残にも戦車に引かれた恐怖を思い出す。


「怯えなくていい。これは、ウシャスの力を極力抑えた装置だ。受信感度は最小に、送信強度は最大に設定してある。脳チップがない君を少しでも助けたい。送信強度は受付でカットされる可能性はあるが、相手の心を受信するだけでも違うはずだ」


 そういってアレックスは、ゴーグルをひみこに被せる。


「どうかな?」


「これを着けるとアレックスが何を考えているか、わかるんですか? ……何もわかりません」


「ああ、それでいいんだ……もっとも僕のことは、君だけではなく誰も読めないはずだ……僕のウシャスは、ラニカの特性だからね」


「……アレックスは今、私が何を考えているか、わかりますか?」


「もちろん! 君は、コンテストへの不安でいっぱいなんだろ?」


 ひみこは口を尖らせた。


「それもあるけど、私は着物を着ないといけないんですか?」


 振袖を窮屈そうに身に着けた少女は、保護者に訴える。


「当然だ。君が貴重な日本語族であることを、視覚から主張しなければ」


 男もひみこに合せたように、インドの民族衣装、白いクルタパジャマを着けた。

 ひざ丈ほどもあるゆったりとした上衣を、彼は優雅に着こなしている。


「あなたは、王様みたいです」


 少女は思ったことを素直に告げた。


「ありがとう。ある意味当たっているよ。父はビザンツ皇帝の末裔だからね」


 アレックスは、母についてはよく語る。しかし父について語るのは、ご先祖様がひみこの知らない偉い人、というだけ。

 彼の父の先祖話は、偉大な母の話と同じく何度も聞かされた。ひみこはいささか食傷気味だったが、愛想笑いを浮かべる。

 一方、自分はどうなのだろう? 最後の日本語族というのは貴重かもしれないが、先祖に貴族や大名がいたとは思えない。

 また、自分を捨てた腹立たしい両親を思い出した。



『俺たち絶対、卑弥呼様の子孫だよな』


『そーに決まってるよ。あの墓、うちの近所だもん』


 仲の悪い両親が、この話をするときだけは仲が良かった。


『ひみこ、お前は、邪馬台国の女王なんだからな』


 そうやってひみこの頭をポンポンと撫でた。父はその話の時だけ、頭を撫でてくれた。

 ……思い出すな! あんな奴ら、見返してやるんだ! ねえ、タマ?


 最後の日本語族は、左手首に巻いた黒い腕時計を握りしめた。

 三毛猫姿のアニメキャラ、タマは、故郷にいたとき、ひみこの先生をしていた。教えたのは、ドロドロドラマの鑑賞方法だったが。

 タマは、大きなモニターと今着けている腕時計を行ったり来たりしていた……札幌に来るまでは。

 ここに移って一年以上経ったが、タマはずっと眠ったままだ。いつ目覚めるのか? そもそも目覚める時が来るのだろうか?

 今、タマに代わって左の掌に貼り付けられたスキンデバイスが通訳をし、フィッシャー先生がちゃんとした知識を教えてくれる。


「ひみこ、そのリストバンドは、日本の衣装にマッチしてないが、いいのかい?」


 アレックスの指摘に、少女は大きく頷く。

 今日は、タマと一緒にいたかった。タマは生きている。時計の中で眠っているだけ。


「わかっているよ。君にとってその猫は、大切な家族だからね」

 アレックスは「コンテストになったら、これを着けるんだよ」と、ひみこの顔からゴーグルを外した。



 ホテルの部屋を後にする。草履に慣れないひみこは、足元がふらついて仕方ない。

 よろけるたびにアレックスに手を取られる。

 ホテルのロビーに、グエン・ホア局長が迎えに来ていた。

 振袖姿の少女が現れ、彼女は目を丸くする。


「大丈夫なんですか? 彼女、窮屈じゃない?」


 アレックスは堂々と胸を張る。


「彼女は特別な少女だ。日本に三人しかいない日本語族だ。その彼女が顔を見せるのだから、特別な装いをしなければ」


 丸顔のグエンがため息をつく。


「えー、ひみこさんはいいの?」


 ひみこは、分厚い唇の女にじっと見つめられ、戸惑う。

 自分の気持ちを聞かれることに、慣れていない。


「あ、あの……」


「ひみこ、君によく似合っているよ」


 アレックスの青い眼が、じっと注がれている。何もかも支配しようとする王者の目。

 肩にそっと添えられた大きな手。力はこもっていないのに、その感触で彼女は動けなくなった。

 VRエジプトの砂漠にいたときのように。


「は、はい。私はこのままがいいです」


 それしかひみこは言えなかった。

 政府高官の女は、ひみことアレックスを見比べ「ま、行きましょうか」と、ロビーを後にした。

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