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20 地球で一人ぼっち

 アレックスはホテルに戻った。リビングには誰もいない。ベッドルームの扉の向こうから、少女の泣き声が聞こえる。


「入るよ」


 返事を待たず、アレックスは扉を開けた。

 キングサイズのベッドに腰を降ろし、泣き伏せる少女の背中をさする。


「やめて!」


 ひみこはバサッと跳ね起き、男を睨みつける。


「もう、意味ないんでしょ! あたしはバカで、チップを着けられないから、有名人になれないんでしょ!」


 アレックスの耳のスピーカーが少女の言葉を通訳する。


「有名になれないからと言って、意味がないことはないよ」


「じゃ、アレックスが育てた女の子、あたしみたいな子、ウシャスのチップが着けられない子はいたの?」


 男は悲し気に首を振り、ゲストルームのモニターを向いて、瞬きをする。


「これを見てごらん」


 壁面の大きなモニターをアレックスはじっと見つめる。

 と、モニターには、世界中の少数民族が映し出された。畑を耕すヒマラヤのアジア人、祭りで踊る南アメリカ人、アザラシを狩る北極圏の人……。


「どの世界にもたくさんの言葉が生まれて……消えていったんだ……」


 はっとひみこは息をのむ。

 これまで考えないようにしていた。考えたくなかった。

 少女は、自分がこの日本で珍しい人種であること、かつては一億人以上の人間がこの言語を話していたのに急速にいなくなったこと、もうこの国では自分と両親しか日本語を話せないことは、知っていた。

 が、それ以上、そのことについて考えたくなかった。


 子供の時、唐突に「死」とは自身が消滅することとわかり、恐ろしくなり眠れなくなった。

 今、もう一つの「死」を唐突に理解したひみこは、身体を震わせる。

 親とこれから会えるかはわからない。会いたいとも思わない。しかし、どうであれ、親はいずれいなくなる。

 誰もいなくなる。ひみこと話せる人間は──。

 十三歳の少女は、あまりに重い事実を突きつけられ圧迫された。


「あたしも、もうすぐ消えちゃうんだ……」


 アレックスは、少女の肩を抱きよせた。


「なんで、どうして! こんなの見せるの? あたし、わからないよ!」


 泣きじゃくる少女の肩を、アレックスはさすり続ける。


「残酷だけど君は最後の日本語族となった。その事実から逃げないでほしい。君は唯一の人間であることを、誇りに思うべきなんだよ」


 唯一の人間としての誇り?

 一年前まで話していた「日本語」の会話を、ひみこは思い出す。



──どうせ、あんたは嫁に行けない

──母ちゃんみたいになるなら、嫁なんかいかねーよ!

──生意気に育ちやがって

──父ちゃんが、バカすぎなんだよ



 最後に残った日本語族は、自分たちでしかわからない言葉を、愛も尊敬もなく互いを罵りあうためだけに使う。

 そんな娘の罵詈雑言に耐え切れず、出ていった親二人。

 今からでも謝れば、許してくれるのだろうか?


「アレックスは……うちの親と話せるんだよね? どこにいるか知ってるよね?」


「何を言うんだひみこ。僕は、モニター越しに一度話しただけだ。どこにいるかは保護局が把握している。僕は知らない」


「じゃ、保護局にあたしを連れてって」


 ひみこは、アレックスのガウンの袖に縋りつき、青い虹彩を覗き込んだ。

 が、男は少女の腕を振り払い、ベッドから腰を上げる。

 最後の日本語族の娘は、大きな背中にすり寄る


「あたしと話せるのは、親たちだけなんだよ」


 アレックスは硬直する。


「話? 今、僕と君は話してるじゃないか!」


「アレックスは機械がないと、あたしの話わからないよね? 地球であたしと話せるの、あいつらだけなんだよ!」


「いい加減にしないか! 言葉が何だ? 彼らは君をひとかけらも愛してないんだぞ?」


 ひみこはわかっていた。両親が結婚したのは、愛のためではないことを。何もできない彼らは、ただの日本語族として生きるために愛せないパートナーを選んだ。

 ひみこを産んだのも彼らが生きるためだけ。自分が愛されていないことはわかっている。


「愛なんかいらない! あたしは、ただ話がしたいだけなんだ!」


「やめてくれ! そのカタカタした原始人みたいな言葉、僕は好きじゃない!」


 高級ホテルのゲストルームは静寂に包まれた。男は口をハッと押えるが、もう元に戻すことはできない。


「……やっぱり、アレックスもあたしを原始人って思ってるんだ」


 ゆっくりと彼は振り返り、ベッドの上に座り込む少女の腕を取った。


「すまなかった……つい苛々して……そんなつもりではなかった……」


 が、ひみこは保護者の手を振り払う。


「悪かったな! あたしは原始人だよ! あたしと話せる人間はみんな死んじゃって、あたしも一人ぼっちで死んじゃうんだよ!」


 枕をアレックスの顔にぶつけた。彼はそれを避けることなく受け止める。


「わからないよね! あたしが何言ってるか、あんたわかんないよね! あたしが何で怒ってるかわからないよね! みんなみんな大っ嫌いだよ! こんなところ来たくなかった!」


 ポスン。ポスン。哀しい音がベッドルームでリズムを刻む。何度も何度もひみこは枕を男にぶつけた。


「何で消えないんだよ! ロボットだったらすぐ消えちゃうのに! なんであんた、ロボットじゃないの!」


 疲れ果てた少女は、ベッドのカバーに顔をうずめ泣きじゃくる。


「僕は君の家族だ。誰一人君を愛さなくても、君の両親が君を見捨てても、僕だけは君をずっと愛するよ。君が大人になるまで……いや、大人になってもずっと僕は君を守るよ」


 アレックスはひみこの小さな身体を抱き起し、その腕の中に閉じ込め、背中をさすった。


「なんで親は無理矢理結婚して、あたしを産んだの! あたしなんか、いなくていいじゃん! 日本語はもう死んじゃうんだよ! みんな、忘れちゃう! 一人ぼっちになるなら、最初からいない方がよかったよお!」


 最後に残された日本語族の少女は、保護者の腕の中でもがき続けた。

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