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19 それぞれの親と子

「フィッシャー・エルンスト、ひみこの前で、余計なことを言うな」


 ひみこを先にタクシーで帰らせた後、アレックスは秘書を叱責した。


「それは失礼しました……ただ古い統計によると、日本語族とウシャスの相性は悪く、他の語族に比べて鈴木さんのような症状の割合は多いようです」


 フィッシャーは軽く詫びた後、事務的に答える。


「脳チップに耐えられない日本語族は生活できず、子孫を残せなかったとでも?」


 アレックスの青い目が、キラッと光った。


「日本語族が急速に減少した理由は、未だにわかっておりません。百五十年前から出生率は低下していましたが……二十一世紀後半に流行したウィルスの影響で、不妊症が増えた、また未婚率が上がった、という説があります」


「それは、チャン・シュウイン文化財局長から聞いているよ」


「ウシャスの開発時、世界の主要三十言語の民族についてはテストしたと聞いています。逆に言うと、それ以外の語族については対応が確認されていないかと。日本語族がウシャスの脳チップと相性が悪いのもそこにあるかもしれません……このあたりは、あなたの方が詳しいかと……」


 秘書に問われた男は、しばし目を閉じる──。

 天才ラニカ・ダヤルは、心と心をつなぐシステムの開発に、文字通り心血を注いでいた。息子アレックスには、母が自ら生贄となって神に全てを捧げているように見えた……今、ラニカはCEOから退き、相談役としてダヤル社を支えている。


 アレックスは、ダヤルの慈善事業を担うダヤル財団に属し、本社の命ずるまま世界各国を飛び回る。トロントの本社にいる母とはなかなか会えないが、この時代、母と息子の関係において、物理的距離は障害ではない。

 ウシャスは各国が採用し、世界の安定と平和に大きく寄与している。ダヤル社はひたすら繁栄への道を進む──そう、何もかもうまくいっているのだ。


「どうしました?」


 フィッシャーの声で、アレックスは当面の問題に立ち返った。


「すまないアーン。ひみこには悪いことをした。兆候はあったんだ。彼女が初めて札幌に来て時計台を見た日、僕がウシャスの力を使った風景を見せたら、具合が悪くなった。彼女のベッドルームの壁紙の装飾も同じだ。ホテルのスタッフによると、気持ち悪いからやめて、と言ったらしい」


 秘書は、時計台はともかく、あのジャパネスクな壁紙は悪趣味だから具合が悪くなったのでは? と心の中で突っ込む。目の前の上司に伝わることを承知で。


「ひみこさんの本当の望みは、以前のように家族三人で暮らすことかと思われます」


「だが、彼らは親の能力も自覚もなく、ひみこを捨てた! これを見ろ!」

 アレックスは、支部長室のモニターに向かってクイっと顎を刺す。

 そこに、ひみこの二親の決別宣言が映し出された。


『あたしらは、もう子供なんか育てたくない。ダヤルさん、あんたに任せるよ!』

『ああ、今度会う時は、あいつが嫁に行く時だ』


「ひみこがどれほど愚かな親を愛そうが、彼らには愛がない。残念だが……」

 と、アレックスは、少女を見捨てた親の映像を凝視し、ボソッと尋ねた。


「アーン……日本人の成人年齢は?」


「十八歳です」

 秘書は即答した。生まれながらの日本人なら、フィッシャー・エルンストでなくても答えられる問い。


「そうか……では、ひみこはあと五年か……」

「四年とニか月ですね。鈴木さんは一月生まれです」


 モニターにはひみこのプロフィールが表示されている。

 アレックスは、支部長室の天井より遥か高く遠くを見つめ、恍惚とした表情を浮かべた。


「彼女のバースデーには、素晴らしいプレゼントを用意しよう。ダヤルの財力がなければ与えられない、とっておきのをね」


 まるで神でも降臨したかのように、アレックスは微笑んでいる。

 フィッシャーは、上司がなぜこの期に及んで笑っているのか、わからなくなった。大切に可愛がっていた娘が、絶望の底に突き落とされているのに。

 秘書は、気の毒な娘が少しでも立ち直れるような提案をしてみた。


「アレックス、日本語族保護局に働きかけて、両親がひみこさんを励ますビデオメッセージを作らせましょう」

「フィッシャー・エルンスト!」


 秘書は上司の怒号で硬直した。夏空のような虹彩がギラギラと燃えている。フィッシャーのゴーグルの奥を焼き尽くすかのような青。


「あの二人の親が、そんなことに応じると思うか! もっとひみこを傷つけるだけだ!」

「いえ、親子は些細な行き違いで喧嘩して、引っ込みがつかなくなっているだけかもしれませんし……」


 アレックスは、秘書のゴーグルに顔を近づけ、肩に手を置き、柔らかく囁く。

「アーン、君も僕と同様、恵まれた人間なんだね。だから、親が子供を愛さないなど、あり得ないと思っている。でも、子を愛さない親は確かに存在するんだよ」


 支部長は、満面の笑みを秘書に向けた。

 フィッシャーは思い出した。タスマニアの前任者から、ダヤルの御曹司は好きにさせろ、と散々聞かされていたことを。


「わかりました……今後、ひみこさんの教育プログラムは、メンタル・ケアに重点を起きましょう」


「わかってくれてありがとう、アーン……ニューイヤーの前後は留守にするから、頼むよ。ひみこの誕生日には間に合わせるさ」


「ニューイヤーを、トロントの生家で過ごされるのですか?」


「まさか、無駄な長距離輸送は使わない……ダヤルの人間ならなおさらだろ? 心と心をつなぐのに距離は関係ないんだ、が」


 支部長は黒髪のくせ毛をクシャっと掻き分け、子供のように笑った。

「君も男ならわかるだろ? 心をつなぐだけでは、どうにもならないコトがあるのさ」


 秘書は、極めて事務的に答えた。

「……素晴らしいニューイヤーを過ごされますように」


「日本に来てからアイーダと会っていなかったからね。今から楽しみだよ」


「アイーダと?……いえ、失礼します」

 フィッシャーは僅かに口元を歪ませ、支部長室を後にした。



『子を愛さない親は確かに存在する』


 アレックスの言葉が、フィッシャーには理解できない。理解したくない。どのような親でも、自身が産んだ子、血を分けた子供に、愛のひとかけらはあるはずだ。そうでなければ子供は──

 誰も周囲にいないことを確認して、彼はゴーグルを外した。


「……本当に何も見えないな」


 秘書はまぶたを閉じ、二つの眼窩に埋め込まれた球体にそっと指を這わせた。

 この安い義眼は何の役割も果たさない。ウシャスの力を封じ込めたゴーグルこそ、フィッシャーの目だ。


 闇の中、秘書は、上司が保護する娘、そして彼女の両親を思い浮かべる。

 鈴木夫妻は、ラニカ・ダヤルのような素晴らしい親ではなかったのだろう。十三歳の少女を置いて出ていくのは、決して褒められた行為ではない。

 保護局から聞いた話によると、鈴木家の三人はよく喧嘩をしていたらしい。親子というより、子供同士が言い争っているように見えたとか。


 ──鈴木夫妻は、本当に娘を愛していなかったのだろうか?


「考えても無駄だな……私は私の役割を果たすだけだ」


 フィッシャーはゴーグルを掛け直した。秘書室の机、壁、キャビネットは、いつもと変わらない。

 タスマニアの前任者からの引継ぎを、再び思い出す。


 ダヤルの御曹司に逆らわない。好きにさせること。


 秘書は、それがダヤル社のため、ひいては地球のためになることを、よく理解していた。

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