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1 ひみこ十三歳

この章は、十三歳の鈴木ひみこが、東京から札幌に移るまでを語る。

「姉さん、もう僕は我慢できない! 姉さんをあんな奴に渡すもんか!」

 青年は彼女の身体を壁に押し付けた。

「だ、だめよ! あたしたち姉弟(きょうだい)なのよ。こんなこと許されないわ」

 姉は、口では抵抗しつつも、陶酔の表情を浮かべ、弟に身をまかせる。

 二十世紀末、東京六本木のマンションを舞台に繰り広げられる、禁断のラブロマンス。



 十三歳の少女、鈴木ひみこは膝を抱え、横幅一メートルほどの黒枠モニターを食い入るように見つめていた。

「ひみこは今、性欲が高まっているはずにゃあ」

 ドロドロドラマを表示している画面の隅っこで、漫画的でシンプルなラインで描かれた三毛猫の口がパクパクと動き、ぎこちない機械音声を発する。


「ウザイよ、タマ」

 鈴木ひみこは、モニター隅の三毛猫にボソッと返した。

 同じモニターの中央では、美男美女が「ああ」「だめ」などと繰り返し激しく抱き合ってる。


「このドラマは、二十世紀末、ヒットしたにゃあ」

 猫キャラのタマがご丁寧にモニターの男女の行動について解説してくれるが、『ヒット』がどういうものか、ひみこにはよくわからない。


「姉弟でエッチするのはダメ。ダメだとわかってるのに止められないところが『萌え』なんだよね?」

 ひみこは猫のタマに、クイズチャンネルの答えを確認するかのように尋ねる。

「にゃあ正解。その『萌え』でドラマはヒットしたにゃあ」


 正解したからといって、学校の成績が上がるわけではない。ひみこは学校に通っていなかった。この国に彼女のための学校はなかった。

 だが、ひみこは幼い時からこの手のドラマを見ていたため、第一話から『萌えポイント』がわかる。


 タマは、余計な解説を加える。

「『萌え』とは性欲だにゃ。ひみこは、今、男とセックスしたいはずにゃんだ」

「したいなんて思わないよ、あたしにはカンケーないし」


 ひみこは十三歳の少女だった。

 美男美女が激しく抱き合う姿を見せられれば、気まずくなり見ちゃいけないと思うけど、やっぱり本当は見たいなあ、でも、それを堂々と言うのは恥ずかしいなあ、あー、それでも続き気になるなあ、と、グルグルが止まらない。

 実践したいとまでは思わないが、覗いてみたいとは思う、普通の十三歳だった。


「関係あるにゃ。ひみこは、鈴木太郎と花子のセックスによって産まれたんにゃ」

 ドロドロドラマの男女の行為が妊娠・出産に直結することは、とっくに理解していた。タマに言われるまでもなく、自分が両親のそのような行為の結果、誕生したことも知っている。腹立たしいことに。


 モニターの猫キャラに、ひみこは冷たく返す。

「キモいよ。うるさい」

 両親がドラマの男女みたいなことをして、自分が産まれた──何と気持ち悪い!

 タマはまだ何か言いたそうにモニターで光っていたが、玄関の扉が開く音でひみこは立ち上がる。


 全身を白い特殊ポリエステルで覆った男が、帰ってきた。

「今日は一匹だ。ったく、暑くてたまんねーな。このウェア、全然、涼しくならねー」


 ひみこの父、太郎は、水がたっぷり入ったバケツをドンと置き、つなぎのクールウェアを脱ぎ散らかす。

 彼は気が向くと、川で釣りをする。

 今日の釣果(ちょうか)は、体長二十センチほどの川魚。(たい)に似ているが、熱帯魚のティラピア一匹。


「いつもの奴じゃん」

 ひみこはがっかりした。大きさも普通だ。


 母の花子がやれやれと欠伸(あくび)をしながら、魚の尾をむんずと掴む。

「……父ちゃん、釣ったらすぐ魚の下処理してくれ。血抜きしないからいつも生臭くて、あーあ、服、ちゃんとたたんで」

「うるせー! そんならお前、自分で釣ってこい!」

「うるさいのはあんただろ。漁船買ってマグロ獲ってくりゃいーのに……やっぱ海の男っていーよね~」

 花子は、染みだらけの木のまな板をキッチンに置き、魚を(さば)き始める。


「ひみこ、ほら手伝って」

「え~、嫌だなあ」

 魚を食べるのはいいが、(はらわた)(うろこ)を取るのが面倒くさい。

「父ちゃん、魚じゃなくて、肉はないの?」

「お前、母ちゃんソックリになってきたな。支給品の米と野菜と虫の佃煮だけじゃかわいそーだから、俺が多摩川まで歩いて釣ってやってんのに、それかよ」


 ひみこは「肉」を食べたことがない。両親が子供の時はまだあったと聞いている。ドラマに出てくる焼肉やステーキは、本当に美味しそうだ。母の言う「マグロ」にも憧れる。


 花子は下処理を済ませると、クールウェアを着こみ、七輪を外に持ち出した。

 ひみこは母につられて、そのまま魚を運ぶ。

「うっ! あづい~!!」

「バカだねこの子、白い服着ないで外に出るなんて」

「母ちゃんにバカって言われた~」


 ひみこは本気で悔しがった。親に「バカ」と言われることは腹が立つ。

 が、この灼熱の古都、東京で「白い服」をかぶらないで外に出るのは自殺行為だ。

 花子がやれやれと魚を七輪に乗せ、火をおこす

「何でこんな原始人みたいなこと、あたしら、しなきゃいけないんだろうねえ……」


 それは、彼らが日本語族だからだった。

 二十二世紀後半、少子高齢化を克服した日本は、前世紀と同様の人口を維持していた。

 しかし、その代償というわけではないが、日本語を母語として話せる者は急速に減った。今や日本語族は、東京で昔ながらの暮らしを営む、鈴木一家三人だけ。


 太郎が気まぐれに釣った魚のせいで、花子はかえって面倒なことになった。

 ともあれ何とか一匹の塩焼きが完成し、キッチンに戻る。


「まったく、こんなちっこいの一匹なんて、どーやって分ければいーんだか……」

 花子は顔をしかめるが、太郎は胸を張った。

「分けるこたねーよ、俺が全部食う」

 太郎は、魚が盛られた皿を奪い、テーブルについた。


 が、ひみこが噛みつく。

「父ちゃん、ずるい! ふつー、そーいうのは、子供にゆずるのが親なんだよ!!」


 病に苦しむ子供を助けるため、母親が長い美しい髪の毛を切ってお金を 工面(くめん)する、というドラマにひみこは感動した。

 だから父親が釣った魚は、当然子供に権利があるのだ。


「俺が獲った魚、俺が食って何が悪い? が、そこまで言うなら、勝負だ!」

 父がグフフと笑い出した。

 ひみこも、にやり、と笑う。父が「勝負」と言えば、もうこっちのもの。


「最初はグー! ジャンケンポーン!」

 太郎は勢いよくパーを出した。ひみこはチョキを出す。


「きゃはははは、あたしの勝ち! 父ちゃん、ジャンケンであたしに勝ったことないのに、なーんで、勝負するのぉ?」

 娘は父からティラピアの塩焼きが盛られた皿を奪い取り、高く掲げた。ひみこは知っていた。父は必ず「パー」を出すことを。

「お前なあ! 娘なんだから、少しはおとーさんを尊敬しろ!」


 父と娘のバトルに、母が割り込む。

「待ちなよ、あんたたち! 食べれるようにしてやったのは、あたしだよ!」

「え~、母ちゃん、いっつも塩焼きばっかり! テレビみたいに、フライとかムニエルとかやって~」

「だったら、あんたが作るんだね……ま、料理を覚えても無駄か……あんたを嫁にもらう男はいないからね」


 ──嫁にもらう男はいない──花子は禁句を告げる。

 ひみこの怒りの導火線に点火した。すぐさま爆発だ。

「あたし、父ちゃんや母ちゃんみたいになりたくない! 独身のバリキャリになってやる!」

「日本語しかできないあんたがバリキャリ? どんな仕事できるのさ?」


 今度は母と娘のバトルに、父が割り込む。

「その辺にしときな。ひみこ、心配すんな。俺たち日本語族には、ちゃんと手当て入るんだ。働くこたーない」


 が、仲裁は失敗だった。今度は花子の顔が赤くなる。

「情けないよ。怠け者のあんたが旦那ってーのがね。あたしが日本語族じゃなけりゃ、海の男を捕まえて、マグロ食えたのにぃ」

「お前、そんなに漁船ほしーなら、共通語覚えて外で働け」


 鈴木家で、日々繰り返される口論。十三歳の少女は、決意する。


――こんなバカすぎな親、いつか絶対、捨ててやる!!


 いつまでも止まない諍いの果て、太郎が苦労して得た釣果は、冷めてしまう。



 ひみこはまだ知らない。

 この喧嘩が、最後の親子三人の魚バトルになったことを。

 間もなく彼女が、この家、そして灼熱の古都東京を出て、二十二世紀の日本へ旅立つことを。



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