16 プレゼンコンテスト見学
小さな丘にサラサラと雪が降る──雪? もう、長いこと、僕は雪を見ていない──
ああ、ここはトロントの家。裏庭の丘で、いつもそりを滑らせていたんだ。
あ! パパとマンマが僕を呼んでいる──え、パパ? パパが帰ってきたんだ! パパ、聞いて聞いて! 学校のプログラミングコンテスト、優勝したんだ! それでね、バネッサをダンスパーティーに誘って……
「アレックス、またお休みですか」
「うわああ!」
アジア文化研究センター日本支部長、アレッサンドロ・ダヤル・パレオロゴは、秘書、フィッシャー・エルンストの声で、夢から引き戻された。
「ははは、アーン。君は本当に優秀な秘書だ。実に的確なタイミングで、僕を目覚めさせてくれる」
ゴーグルを着けた秘書は、支部長室のミニキッチンでエスプレッソを入れた。
ソファで眠りこけている上司なら、何度も目撃している。
「いい夢でしたか?」
口を一直線に結んだまま、フィッシャーはカップを置いた。
「最高さ。君がもう少し遅く起こしてくれたら、今ごろ僕は美女に絞め殺されただろうね」
秘書は、この微妙な冗談に笑っていいものか迷い、曖昧な微笑を返す。
アレックスは、部下の入れたエスプレッソの香気を堪能しつつ、亡き父を思い出した。
彼の父は、イタリア貴族フィリッポ・パレオロゴ。遡ればビザンツ帝国皇帝につながる家柄だ。
フィリッポは、アレックスが二十歳の時、出ていった。その後、息子が父に会えたのは、数年前、パレオロゴ本家が執り行った葬儀の場。母ラニカは参列しなかった。
「はは、僕は本当に幸せだな……だから、可哀相な子には何とかしてあげたい」
アレックスの意識は、今ごろホテルで秘書のアバターロボットの授業に苦しんでいるであろう少女に向けられた。
「ひみこさんは、ウシャスの脳チップがないにも関わらず、よく学んでいます」
秘書に励まされた男は、カップをテーブルに置いてため息を着く。
今、鈴木ひみこは、ティーンエージャーのプレゼンコンテストに向け、張り切っている。
何度もコンテストの動画を再生し、共通語の発音やプレゼンテーションのポーズを真似しアレックスに「どうかな?」と評価を求める。
ひみこが努力すれば努力するほど、アレックスには哀れに思えてならない。
「彼女はわかっていない。プレゼンで勝ち残るにはウシャスの力が必要なのに『頭に変な機械は嫌だ』と言って聞いてくれないんだ」
フィッシャーはゴーグルの縁を抑えた。
「そのプレゼンのコンテストがもうすぐ始まります。まず、ご覧になってはいかがですか?」
「そうだな。できればひみこに、脳チップを装着させてから、と思ってたが……いや、そうだ! そうしよう」
アレックスは、秘書の入れたエスプレッソをすすった。
「アーン、君は素晴らしい秘書だよ」
男は弾けそうな笑顔を部下に向けた。部下は上司に無言で静かに微笑んだ。
「君が来年エントリーするコンテストだ」
ひみこは、アレックスに伴われて、ティーンエージャーのプレゼンコンテスト会場に出かけた。
ホテルから会場となるホールまで歩くと男が主張する。
「アレックス、タクシーは? バスは? メトロは?」
少女は、何てケチな金持ちなんだ、と念を入れ、黒い目で保護者を軽く睨む。
「僕のオフィスと同じぐらいだ。三十分ほどで着くよ」
少女の肩をポンと叩く。
「ほら、いい天気だ。それに、君とたくさん話せるじゃないか」
いや、あたしは別に話すことないけど、日本語ダメだし……と、ひみこは空を仰いだ。ほどよく昇ってきた太陽が眩しい。
と、空には、エアカーやら、宅配ドローンが飛び交う。
一方、地上に顔を降ろせば、だぶついたワンピースの女性や、フード付きパーカーの男性が、歩道を歩いている。
(みんな魔法使いみたい)
ひみこ自身も、流行りの草色のワンピースに身を包んでいる。
歩くのは人間だけではない。
前方、十メートル先の歩道を、車輪を着けたスーツケース状の箱がゴロゴロと移動している。速さは、ひみこたちと変わらない。
スーツケースが停止した。と、勝手にふたが開き、中から飛び出たゴム膜が膨れ上がり、人間の形を取った。
「うわあ!」
箱が人間になった! 少女は思わず保護者の腕にしがみ付く。
「大丈夫だよ。君が毎日会っているロボット・パーラじゃないか」
ゴム膜のロボットは、歩道で立ち往生している二人組に、何か話しかけている。
「どうやら彼らは道に迷ったようだ。ロボットが案内しているんだよ」
ロボット・パーラに導かれ、二人の若い女がこちらに向かってくる。
「私が迷ったら、ロボットが助けてくれるんですか?」
アレックスは、ひみこの黒髪を手に取った。
「僕が助ける。君が札幌で迷うことはないよ」
何と答えたらいいのかひみこはわからず、曖昧に微笑んだ。
三十分ほど進み、「がっかりスポット」の時計台が見えてきた。
超高層ビルに埋もれるように立つ時計台は変わらない。ひみこは、脚を止め顔をほころばせた。
札幌へ移った初日、彼女はアレックスに頼み連れてってもらった。
と、ひみこは、隣の彼を見上げた。サングラスと目が合う。
「あ……」
思わず口を押え、顔を覆った。あの日、彼のサングラスを通して時計台を見たら、具合が悪くなった。
その不快感が蘇ってくる。
「どうしたんだ?」
アレックスが屈み、サングラスを外し、ひみこの顔を覗き込んだ。
「君が初めてここに来た日のことを、思い出したよ。大丈夫かい? 具合が悪いなら、タクシーを呼んで帰ろう」
「大丈夫です。私はコンテストを知りたい」
ひみこは、心配する保護者の手を振り切って、歩き出した。
プレゼンコンテストの会場、札幌特別区民ホールは、時計台のすぐ近くにあった。
ホールは十階建ての古い建物で、上半分が、二千人収容のコンサートホールになっている。下半分は、百人収容のイベントスペースなど、多目的スペースだ。
ひみこたちは、メインのコンサートホールに向かった。
ホワイエでの受付の様子を、ひみこは異様に思った。
彼女がドラマで知っているように、紙のチケットを取るのでもなく、スマートフォンと呼ばれた二十一世紀の端末をスキャンするのでもない。係員は入場者の額に手を数秒かざし、それから案内するのだ。
ひみこは、原始的なおまじないのように、恐ろしく思えた。
「アレックス、あの人は何をしているのですか?」
保護者は少女の左手を取って親指に付け根を押した。日本語通訳アプリのスイッチを入れる。
「受付だよ。普通はそんな必要はないけど、これはプレゼンテーション・コンテストだからね。参加者も観客も、全員、脳チップの送受信を一時的に標準モードにセットするんだ」
昔の世界で生きてきたひみこには、アレックスの説明は、日本語に変換されても納得ができない。
「プレゼンテーションでは、脳のチップを使って、観客の脳チップに情報を直接送るだろ? もちろん、基本はスピーチだが、スピーチだけでは伝わらない微妙なニュアンスや感情を伝えるには、脳情報の伝達が一番だ」
プレゼンテーションのことなら、ドラマで見たから知っている。
ヒロインが会社の会議室で、偉い人たちの前でグラフとかびゅいびゅい動かしながら熱弁すると、あっという間に大逆転! っていうアレだ。
で、イケメンライバルが「フっ、今回はお前に負けたな」って握手し、その後ラブラブになるんだ……でも、このプレゼンテーション・コンテストは、中学生高校生だから、違うのかな? と、ボヤボヤ考える。
「だけど、脳チップの性能は様々だからね、参加者のプレゼンがチップの性能に左右されては可哀相だ。だから、一時的に受付で、一番ベーシックな機能に抑える。観客の場合はもっと抑える。基本、脳情報の送信は禁止、受信も感度を抑えないとね」
ひみこは、アレックスに何度か「ウシャスの脳チップの装着」を勧められたが、断ってきた。そんな気持ち悪い機械を頭の中に入れたくない。が、彼の説明はよくわからないが、どうも、関係あるらしい。
少女は男に手を引かれて、受付係の前に立つ。
「あ、あれ? あなたは脳チップ着けてませんね」
日本語族の少女、そして隣の大男は頷く。
アレックスの番が回ってきた。
事務的に手を、黒髪に覆われた額に近づけた係は「ひっ!」と言葉にならない音声を発する。
「あわあああ、一体、これは……」
「すまない。君たちの装置では僕のチップは制御できないね」
アレックスは受付ににっこり微笑んだ。
「どうだい? これで僕は一切、プレゼンターにもオーディエンスにも干渉できない」
「ど、どうぞ、お通りください」
受付係はアレックスの額に伸ばした手を硬直させたまま、震えている。
ひみこは、よくわからないやり取りに首を捻るしかなかった。
指定されたホール中ほどの席に着いた。
これからティーンエージャーたちのプレゼンテーションが、披露される。
札幌特別区大会、北海道大会、全国大会と勝ち上れば、国際コンテストに出場できる。
近くの中学生も参加し、見学しているという。見渡すと、確かにひみこと同年代の子が多い。
彼女は生まれた時から、そして今も、大人に囲まれて暮らしてきた。だからなのか、中学生たちがいることで、ひみこはウキウキした気持ちになってきた。
共通語の聞き取りは自信ないので、親指の付け根を押しての通訳アプリを立ち上げる。
ホールの照明が落とされる。司会がステージに現れ、コンテストの始まりを告げた。




