15 リベンジスタート
章の初めに、鈴木ひみこが、アレックス・ダヤルからどのような教育を受けてきたかを語る。
ひみこは、タマを探さなくなった。ロボットに物を投げることもなくなった。アレックスの部下、フィッシャー・エルンストの分身AIの教育「国際共通語」の授業を大人しく受け入れた。
語学だけではなく、基本的な数学、地球の歴史、現代社会の仕組みなど、義務教育に即した授業だ。
アレックスは「これからは『共通語』を使うんだよ」と告げ、ひみこの左手を広げシートデバイスの親指の付け根あたりをタッチする。
「通訳機能を切ったよ。どうしてもわからない時は、ここを押すんだ。僕も同じようにするから」
彼も外耳スピーカーの日本語通訳ツールを切り、彼女の共通語学習を促進させることとした。
アレックスの関心は、日本語という地球で三人しか話せない言語から、哀れな少女を普通の地球人に育てることへ移っていった。
ホテルに完備されたジムで、トレーナーがひみこに効果的なエクササイズを指導した。
彼女は、ほとんどホテルで過ごす。しかしモニターやロボットの案内で、世界や宇宙のどこにでもいける時代だ。
人類は、土星の衛星タイタンを開発し居住区を作っている。
前世紀のドラマが全てのひみこにとって、人類が、太陽系の外惑星まで広がっていることは、ワクワクする事実だった。
が、国際共通語は、なかなか覚えられない。
食事は薄味の大豆ミートにサラダ。父の釣ったティラピアが恋しくなるたびに「あんな奴、父ちゃんじゃない!」と言い聞かせる。
会う人は、アレックスとフィッシャーのロボット、そしてホテルの従業員にジムのトレーナーと大人ばかり。
一月が経ち、暦の上では秋に変わっても、単調な日々は変わらなかった。
「アレックス、どうしたら、私は、両親を見返せる?」
しびれを切らしたひみこは、いつもの夕食でアレックスに聞いた。
東京でドラマをダラダラ見て愚かな親たちと罵倒しあう日々に比べて充実はしていたが、ストイックな生活に変わった。
「今、君は学んでいるだろ? 世界を理解し、正しい日本人、地球人になることが、君の両親を見返すことになるんだ」
それは日々繰り返し聞かされた。
「でも、私は……日本語でいい?」
ひみこがアレックスの顔色を窺うと、彼は重々しく頷いた。少女は親指の付け根を強く押して、通訳機能を起動した。
「勉強なんかやってられないんだよ! あたし、あいつらが悔しがる姿、見たいんだよ!」
アレックスが目を細めて首を振る。
「日本語はいいけど、きれいな日本語ではないね」
「あ……ごめんなさい……で、でも、あたし、やっぱり……このままでは……辛いんです」
「僕はね、これまでも、君のような恵まれない子を育ててきた」
「あたしは、恵まれない可哀相な子供じゃない!」
「悪かった。どうか聞いてほしい。僕が知っているのは、親に虐待された子とか、政情不安定な国から亡命した子とか……でも彼女たちは、逆境にめげず勝利したんだ」
アレックスはモニターのある壁に顔を向け、瞬きを送った。
と、ひみこの目の前に、3Dの映像が現れた。
生き生きと働く何人もの女たちがフワフワ浮かび、文字スーパーが取り囲む。
火星の火山を調査する緑色の目の科学者、砂漠の遺跡を発掘する赤毛の考古学者……。
「これ……アレックスが育てた? カッコいいね」
ピラミッドの前でポーズを決める黒い肌の女優が、現れた。
「彼女はね、僕がプロデュースした映画で主役デビューし、一流女優となったんだ」
少女は首を振り続ける。
「女優なんて絶対、無理だよ。不細工だもん……」
男は少女の黒い眼をじっと見つめ、艶やかな黒髪の一筋を指に取った。
「君は美しいよ。今までアジア人を育てたことはなかったが、本当にきれいだ」
ひみこはプルプルと首を震わせる。
「無理なんだって! あたし、共通語、全然話せるようになれない」
男は泣きじゃくる少女によりそい、そっと肩を抱き寄せる。
「それは大丈夫だよ。ウシャスの力を使えば、はるかに学習が楽になる」
「ウシャス?」
「母が……君にはまたマザコンと言われるだろうが、ラニカ・ダヤルが発明した心と心をつなぐシステムだ。脳に特殊なチップを埋め、人の心と心を直接つなぐんだ。近いうちに、君の脳にもウシャスのチップを装着しよう」
脳にチップ? ひみこはそれがひどく恐ろしいことに思えた。
「やだ! そんなわけのわからない機械、気持ち悪いよ!」
ひみこは、頭を押さえて顔をしかめた。
アレックスは苦笑する。
「そうだね。前世紀の文化で生きてきた君には、怖いだけだ。いずれ必要性はわかるだろうが……今日は、目標を定めよう」
男が、壁のモニターに顔を向ける。と、働く女たちの映像が切り替わった。
「これは、ダヤル財団が関係するティーンエージャー向けのコンテストだ。どれも札幌で開催されている」
歌・踊りといったパフォーマンスの大会、そして、マラソン・サッカーといった試合の場面が映し出される。
「君も、コンテストに出てみないか?」
コンテストに出る? 思ってもみなかった提案が、ひみこの涙を止めた。流れる映像を追いかける。
「うーん……どれも難しそうだなあ、あたし、音楽も踊りも運動も多分微妙……あ……」
映像が切り替わる。どこかのホールの映像だ。ステージにポツンと一人立っている。映像は壇上の人のアップに変わった。ひみこと同年代のアジア系少女が、身振り手振りを交え、何かを訴えている。
「これもコンテスト?」
「プレゼンテーション・コンテストだ。ティーンエージャーがエントリーできる」
ひみこは食い入るように、眼前の空間で話す少年少女を見つめた。
少女の胸に希望の光が差し込む。歌も踊りも運動も難しそうだが、話すことなら、何とかなるのではないか?
「アレックス、あたし、この、プレゼンテーションだっけ? 出てみたい!」
少女は顔を輝かせはっきりと希望を告げた。男は満足げに頷く。
「いいね。コンテストは毎年十一月に開かれる。今年は無理だろうから、来年エントリーしよう」
「本当? そしたら、あたし有名人になれる? 女優じゃなくても、とにかく有名になって、父ちゃんと母ちゃんを見返したいんだ」
「優勝すれば全国、そして国際大会に出場できる。そこまでいけば、ビジネスのオファーが来るだろう。嫌でも君の両親の目に留まるだろうね」
アレックスは微笑み、ひみこの手を取って親指の付け根を押し、通訳機能を切った。
「では、そろそろ勉強の時間だよ」
日本語の時間はもうおしまい。ひみこも笑顔を返した。
「はい。私は言葉の勉強を始めます」
「いいこだ」
アレックスが頬にキスを送る。
いつも、彼のキスに顔をしかめる少女は、珍しく笑った。
「アレックス、あなたは女の子が好きなんですか?」
「なっ! 何を言うんだ、ひみこ!」
男の小麦色の肌に赤みがさした。瞼を瞬かせている
「あなたの子は、みんな女の子です。男の子はいません」
「それは偶然だ! ほら、日本人は『ごちそうさまでした』と手を合わせるんだろう」
ダヤルのプリンスは、無邪気な少女の素朴な疑問に応えることなく、ダイニングテーブルから立ち去った。




