14 決別と始まり
夕方、アレックスはホテルに戻った。
ひみこが秘書フィッシャーのアバターを転送したロボットを撃退したことは、知っていた。ロボットから送られる映像をチェックしていたから。
当然、アレックスはディナーの席で、ひみこを叱責した。
「君は、まず国際共通語を覚えるべきなんだ。それができなければ何も始められない」
アレックスの言葉が日本語に変換され、ひみこの耳元でうるさく鳴る。
「なんだよそれ! あんた金持ちなんだから、魚ぐらい食わせて!」
山盛りのサラダには、少々のドレッシング。そして大豆ミート。
家で食べた虫の佃煮とは違い、美しく盛り付けられている。
朝食を摂った時、ひみこはタマを失った悲しみと怒りの方が大きく、味まで気が回らなかった。
そして今、朝食と同じメニューを目の当たりにして、ひみこは確信した。
これは……まずい。控えめに言っても美味しくない。どうも物足りない。
ひみこは、父が釣ったティラピアの塩焼きが恋しくてしかたなかった。
軽蔑している父母はどうでもいい。でも、魚が食べられないのは、嫌なのだ。
「社交界には動物を節操なく食い散かす者が多い。でも、僕はただの富豪ではない。ラニカ・ダヤルの息子として節度は守りたい」
ひみこにはこの金持ち男の発言が理解できなかった。
「あんたが勝手にすればいいじゃん。あたしは、魚食べたいんだよ!」
「可哀相に、地球環境について学ぶ機会がなかったんだね。同じカロリーの食料でも、大型動物を生産するには莫大なエネルギーが必要なんだよ」
アレックスはナプキンで口元のドレッシングを優雅に拭ってから、ひみこに向き直った。
「君のためなんだ。いいね? フィッシャー・アバターのロボットを叩いてはいけない。なぜだかわかるか?」
「わかんねーけど、あいつ、弱すぎ。あたしがちょっと叩いたぐらいでやられるって、ポンコツ過ぎ」
「……君がわからないのも無理はないか」
アレックスは立ち上がり、クローゼットの扉を開けた。
そこに、ひみこが撃退したロボット──ローラーを着けた茶色い小さなスーツケースが収まっている。
男がじっと見つめ何か呟くと、ケースはスーッと動き出した。
「あ、壊れてなかったんだ」
ひみこは、撃退したロボットが故障していなかったことに、ホッとする。
「ラニカ・ダヤルの息子である僕が、ロボットをそのままにしておくと思うか?」
ケースのふたがパカっと開く。中に大きな白い布が収められていた。硬質に見えたケースはぐにゃりと融け、ゴム膜に変形する。みるみるうちにゴム膜は周囲の空気を吸い込み、垂直に立ち上がった。
あわせて白い布もくっつくように立ち上がる。濁ったクリーム色のゴムが色づき始め、たちまち白いローブを着た男が現れた。
その顔は、ひみこが撃退したフィッシャーのアバターと同じだ。
ひみこは、人型のロボットが誕生する様を見て、息をのむ。
アレックスがまた何か囁くと、フードをまとったロボットの顔の形と色が変わり、ボディが少し縮まる。
今度は小柄な少女が現れた。
「ちょ、ちょっとやだ。気持ち悪いよ!」
ロボットの顔も大きさも、鈴木ひみこと一緒だった。
「少しはわかったかい? 母、ラニカ・ダヤルの発明品、ロボット・パーラだ」
「わかったよ。誰にでもなれるロボットで、使わないときは、しまえるんだね」
「君はなかなか理解力がある。ロボットのボディを空気や水といった、どこでも手に入る材料で満たすんだ。これでロボットの普遍性と携帯性が飛躍的に向上した。今のバージョンは僅か五キログラム。君みたいな子供だって運べる」
アレックスは、偉大なる母の偉大なる発明について、滔々と語った。
「プログラムを転送すれば、どんな人格にもなれる。君を教えた先生は、僕の秘書、フィッシャー・エルンストの人格をベースに、君の家にあった教育プログラムがソースにしたデータを組み合わせた。だから彼は日本語を話せる……ラニカの手にかかれば、望むべき人間をいくらでも作れるよ」
この男のせいで、ずっと一緒だったタマが消えた。
金持ちなのに食事がまずい。
頼んでないのに、「共通語」を勉強しろ、と押し付ける。
「君は、ロボットを攻撃して得意になっているが、勘違いをしている。アバターはオリジナル・エルンストの指示で退避した。君の怒りを静めるためだ。ロボットは自身の判断で退避することもある。ラニカが、ロボットと人間の双方を守るために作ったシステムなんだ」
何度「ラニカ」の名前を聞かされた? ひみこの苛立ちは頂点に達した。
「うるさい! わけわかんない、このマザコン野郎!」
アレックスの母は、すごい人だった。それに比べて……
ひみこは、自分のどうしようもない無能な母を思い出す──
『母ちゃん、起きてよ~。ご飯作ってよ~』
毎朝、左隣に眠る母を揺すって起こした。
『イケメンに壁ドンとか顎クイされたかった~、あたし可哀相すぎない?』
母は、父親の目の前で、娘に同意を求めた──
愚かな母を思い出すのに夢中で、ひみこは気がつかなかった。
目の前の男の顔が、青黒く変色したことを。
「ひみこ、君が可哀想だったから知らせたくなかったが、君を預かった時、僕は、君のお父さん、お母さんと話したんだよ」
大男のいつになく静かな声が、ひみこの頭上から聞こえる。
「な、なんで! それ先に言えよ!」
会いたくない両親だったが、ひみこは反射的にアレックスのガウンに掴みかかった。
男は冷静に少女の手を振り払い、モニターを指さす。
そこに両親が現れた。
ひみこは、モニターに駆け寄り座り込んだ。
「父ちゃん、母ちゃん、生きてたんだあ!!」
歓喜の涙がひみこの眼にキラッと輝く。
しかし、両親の言葉は、彼女が期待していたものとは違っていた。
父は訴える。
『いいや! だめだ! あいつには会わん!』
母親も重ねる。
『あたしらは、もう子供なんか育てたくない。ダヤルさん、あんたに任せるよ!』
『ああ、今度会うなら、あいつが嫁に行く時だ』
『そうだね。結婚でもしてくれれば会ってやってもいいよ』
そこで映像は途切れた。
食い入るようにモニターを見つめる少女から、やがて乾いた笑い声が漏れる。
「はは、あはははあ、はははあ」
笑い声にはやがて涙が混じる。
「いらねーよ! あんな奴ら! 別に、あたし全然、へーき! 嫁に行く? ぜーったいに結婚なんてするもんか!」
静かにアレックスは、床に座り込む十三歳の少女をを見下ろす。
「ひみこ。気の毒に。あれが君の両親だ。自分の子供を愛するという、人としての当たり前の感情すら欠如しているんだよ」
赤の他人に指摘されるまでもなく、わかっていた。
「君もこのままでは、彼らと同じになる」
静かな男の声が日本語に変換され、耳のスピーカーから流れる。
十三歳の少女は笑うことも泣くこともやめた。
ゆっくり頭を上げ、遥か彼方で自分を見下ろす、小麦色の肌の男を見つめた。
「父と母は生きてるんですね」
彼女は、自分が知る限りの「正しい日本語」でアレックスに質問した。
「生きているよ。聞いたよね? 彼らは君に会いたくないそうだ」
ひみこは、のそのそと立ち上がる。
「タマをどうして消したんですか?」
「意図的に消したわけではないよ。東京から離れたら機能しなくなったんだ。そう、アーンから預かってきた。古い機器に対応した充電ケーブルだ。サーバーのボックスに接続するといい」
アレックスは、ガウンのポケットから一メートルほどのコードを取り出し、ひみこに手渡した。
か細い少女は、男の青い瞳をじっと覗き込む。
「あたしは、あいつらが私を捨てたこと、後悔させたい。どうすればいい?」
立ち上がった少女の頬を、アレックスは人差し指でそっとなぜる。
「オーケー、いい顔だ。まず、ロボットを叩くのは止めよう」
最後の日本語族の少女は、力強く頷いた。
ロボットはスーツケースに戻った。
これで、鈴木ひみことアレックス・ダヤルの出会いの章を終える。
次章から、鈴木ひみこの闘いの始まりについて語る。




