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13 ロボット・バトル

 ひみこが東京の家を出て、一夜明けた──。


 いつも通り、朝七時前に目を開けたが、いつもの朝とは違っていた。

 背中が痛くない。寝床、部屋の空気の匂いが違う。かび臭い潰れた布団の上ではなく、洗いたてのシーツが敷かれたふかふかベッド。ペパーミントのすっきりした香りがただよう。

 寒いわけではないが、何かスースーする。左隣に眠る母がいないということもあるが、換気と空調が適切に行われており、真夏なのに暑くない。


 自分はお金持ちの人に連れられて、こんなすごいホテルに来ちゃったんだ。

 ひみこは、いつものくせで、タマに声を掛けようと、猫が住む腕時計を巻いた左腕を動かした時、いつもより腕が軽いこと、そして掌の異物感に気がつく。

 彼女の腕は、空っぽだった。掌にはビニールのような透明の膜が張られていた。


「なにこれ気持ち悪いペラペラ! タマ! どこ行っちゃったの!?」


 慌ててベッドから跳ね起きた。ヘッドボードの棚やナイトテーブルにはない。

 ベッドから降り、あたりを見回した。

 四方は、馴染みのないジャパネスクな風景に取り囲まれていた。


 壁には三方の壁は、富士山に芸者ガールに金閣寺。窓には桜の花びらがヒラヒラ舞い降りる。十三歳の少女の趣味からはかけ離れている。

 何だか気持ち悪くなってきた。


 ふらつく頭を抱えながら、ひみこはタマを探し求める。が、絨毯が敷かれた床に沈み込み、昨晩を振り返った。

 昨日は、バスルームでも外さなかったのだ。ということは、犯人はあいつだ!


 ひみこは自室のドアを勢いよく開け、優雅にコーヒーカップを手にする男に叫んだ。


「あたしのタマをどこに隠したんだ!!」



 アレックスに散々訴え、腕時計は戻ってきた。

 が、通訳機能も停止し、時計のモニターには何も表示されない。


 保護者が職場へ出かけた後、客室係の女が入ってきた。

 薄緑色のゆったりしたワンピースに着替えさせられる。今後は、クローゼットに服や下着をいくつか用意するので自分で着替えること、洗濯物は入り口近くのボックスに入れておけば回収することなど、教えてもらう。


 ひみこは、富士山が描かれた壁や窓を元に戻してほしいと頼んだ。

「お客様の気持ちが一番ですからね」

 壁はもとのシンプルな模様に戻り、窓から札幌の市街地が見渡せるようになった。


 意地で朝食を拒んだひみこだったが、空腹には勝てず、大豆ミートとサラダを食べることにした。

 昨晩の鶏肉と違い、どうにも物足りない気もする。

 客室係は、用がある時はスキンデバイスが張り付けられた左手をかざし「コンシェルジュ」と呼びかければいいことを告げ、洗濯物を回収し部屋を後にした。



 東京の家の何倍もあるスイートルームで、ひみこは今度こそ一人になった。

 少女は、時計の機能も果たせなくなった黒いリストバンドを、左手首に巻いた。

 いつも一緒のタマは、もういない。何度呼びかけても出てこない。


「あいつのせいでタマは死んだ! 絶対許さない!」


 落ち着いたはずの気持ちがぶり返し、ひみこはベッドに臥せって泣き出した。


 すると唐突に、少女の耳に埋め込まれたスピーカーが、日本語で話しかけてきた。


「鈴木ひみこさん、泣かないでください」

 アレックスとは違う、落ち着いた男性の声だ。


「やだ! 誰? な、どこにいるの? キモいよ!」


 ひみこは、あたりをキョロキョロ見回すが、ベッドルームには誰もいない。

 今度は、耳のスピーカーではなくドアの外から「驚かせました。失礼、入ります」と、聞こえてきた。


 ドアがスライドする。そこに異様な姿の男が立っていた。

 ダラっとした薄茶のローブを全身に纏い、フードを被っている。顔は青白く、茶色い目が吊り上がっている。


 ひみこはベッドから跳ね起き、全身をかがめ警戒して、突然現れた男を睨みつけた。


「あんた、魔法使い?」


 タマが勧めるドラマの中には、中世ヨーロッパ風ファンタジーがあった。王女が美形の戦士や魔法使いを引きつれて冒険し恋に落ちるのだ。

 男の服は、魔法使いにそっくりだ。顔つきも中世ヨーロッパ風だが、残念なことに、ひみこの父親よりも年上のようで、恋に落ちようがない。


「魔法使いとは光栄です。しかし、私は魔法を使うことはできません」


 ローブの男はゆっくりと首を傾げ、するするとひみこのいるベッドに近づいた。

 見た目以上にその動きが異様だ。

 全くローブの裾を揺らさず移動してきたのだ。空中浮遊のように。


「鈴木ひみこさん、初めまして。私はフィッシャー・エルンストのアバターです」


 男が右手を差し出した。が、ひみこはその手を払いのける。


「なんでいるの? タマ生き返らせてくれるの?」


「あなたのタマは百年前に作られた古いプログラムです。変化に対応できずスリープモードに入ったと見られます。後ほど、古い機器に対応した充電器をお持ちします」


 ひみこには、ローブの男が何を言っているか、よくわからない。


「じゃあ、タマは生き返る? あんたは誰なの?」


「復活は保証できません。私のオリジナル、フィッシャー・エルンストは、アレックス・ダヤルの秘書です」


 アレックス! その名を聞いてひみこは目を吊り上げる。


「あいつの手先か! やっぱり、あんたがタマを殺したんだ!」


「あなたのタマは貴重な教育材料です。そんな勿体ないことを、我々はいたしません」


 と、男はフードに手を添え、言葉を続けた。


「私は、フィッシャー・エルンストをベースに作られた教育プログラムです。このロボット・パーラに転送され、はじめて稼働します」


「ロボット・パーラ?」


 ひみこの知っているドラマで見たロボットは、もっとメタリックで艶々光っていた。

 この「ロボット」の露出部分である顔と手は、人間と同じ肌の色をしているのに……ひみこは観察し、口の中や鼻の孔、目元といった凹みの影が、本物ではないことに気がついた。

 不自然な動きもロボットなら納得できる。


「私はアレックスの指示通り、これからあなたに国際共通語を教えます」


「うるさいなあ!」


「わかりました。姿を変えましょう」


 見る見るうちに、無機質な中年男性の顔が変形し、巨大な三毛猫の顔に変わった。頭はフードに覆われているが、二つの膨らみが猫の耳を連想させる。

 ローブから伸びている手も、肉球を持つ前足に変わった。


「え? タマが戻ってきた? うそ」


 ひみこは思わず口を覆った。


「私は『タマ』ではありません。ひみこさんが猫に執着されているので、外見を似せました」


 声は先ほどと同じ、落ち着いた男のそれだ。


「タマじゃないなら、タマみたいな顔するな! 出てけ!」


 ひみこは立ち上がり、三毛猫の顔をしたロボットを強くドアに押し付けた。


「ひみこさん暴力はいけません。アレックスは、あなたに必要なのは共通語、と言っています」


「いらない! タマじゃないなら出てけ!」


 ひみこは、猫顔のロボットの腹部分を叩く。ロボットの中身は何も入っていないのかゴム風船のようで、叩いてもグニャグニャするだけで、手応えがない。


「フィッシャー・エルンスト、フィッシャー・エルンスト! 指示願います……了解しました」


 それまで滑らかだった男の声は、突然、機械音に変わった。


「カイジョシマス」


 途端、プシューっとした音とともに巨大猫の身体から空気が抜け、皮膚部分がグニャグニャに崩れ肌色の大きなゴム膜に変わった。魔法使いのローブはトサっと床に崩れ落ちる。

 ロボットの身体を作っていたゴム膜が伸びて、ローブを覆い隠し、両腕で抱えられるほどの、茶色い小型のスーツケースに変形した。


「うそ! 壊れちゃった!?」


「フィッシャー・エルンスト、ログアウト」


 ベッドルームのドアがスライドして自動的に開いた。

 スーツケースの下に接続されたローラーが、回転を始めた。

 フィッシャー・エルンストの一部を宿したロボットは崩れただの四角い箱に収まり、ベッドルームから滑るように出ていった。


 ひみこはその様子を呆然と眺めていたが、やがて腹を抱えて笑い転げる。


「キャハハハハ、アイツ、チョー、ウケルんだけど!」


 親に捨てられ、パートナーだったタマを失った彼女にとって、札幌に移って初めての勝利だった。

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