表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/92

はじめに~日本人最後の花嫁


 これから、日本人なら誰もが知る女性、鈴木ひみこについて日本語で記す。

 彼女の少女時代、十三歳から十八歳の物語を記す。

 なお、元の会話の多くは国際共通語でなされているが、この言語は筆者の苦手とするところである。このため、会話の訳出に不自然な点が多々あろうが、どうかご容赦願う。

 世紀末の足音が聴こえ始めた、四月の札幌。

 教会の(あかね)色の屋根に、雪がハラハラ落ちてきた。

 北海道開拓が始まった頃に建立された教会は、三百年近い歴史を誇る。何度か修繕し建て直したが、茜色の屋根は往時のままだ。


 三か月前、多くの気象予報会社がこの日の降雪(こうせつ)を発表した。一般市民も有識者も「あり得ない」と笑い飛ばす。気象を専門としない科学コメンテーターは、過去の気象データを持ち出し、予報コンピューターの限界をもっともらしくあげつらった。

 無理もない。四月の札幌で雪など、この世紀、誰も見たことがないのだから。


 道歩く人々は、腕を伸ばして手を空にかざす。(はかな)い氷の結晶が指先で融ける──初めて知る感触。この感触を誰かと共有したくて、脳内チャンネルを開放する者もいる。

 見上げれば軽やかな雪の中、高さ五メートルの位置で、直径十センチほどの白い円盤型のカメラが十台ほどひしめき合い、羽をばたつかせフワフワ漂っている。

 カメラは、教会の前で待っていた。これから結婚式を挙げる新郎新婦を。


 小型カメラが空中でホバリングをしていると、カメラを何十倍にも拡大したようなエアカーが西の空から現れ降下してきた。

 新郎新婦の車に違いない。


(うそ! ここに停まるの? 勘弁してよ~)

 地上でカメラを操る人々は、空で車に当てられてはたまらないと、焦りつつ慎重に動かした。

 途端、白い円盤の群れは四方八方に去り、またホバリングを続ける。まるで、クモの子を散らすよう。

 四人乗りのエアカーは、先ほどのカメラたちの待機場所を悠然として占領し、巨大なプロペラを回して空に停止した。この場を支配する王者が君臨する。

 空のカメラのレンズは、エアカーの窓越しに、俯き加減の新婦の顔を映し出す。

 新婦と呼ぶには幼い姿が、日本語マニア向けチャンネルに配信された。


 エアカーの真下では、教会から出てきたスタッフらが、工事用の柵をガシャガシャと並べ、歩道を遮った。

「取材の皆さん、ここから先は入らないでください」

 歩道を埋め尽くすカメラマンやレポーターを(さば)きながらスタッフは

(何でわざわざ、新郎新婦の車、敷地の外で停止するんだ?)

(教会の敷地は広いから、エアカーだって着地できるのに)

(おかげでマスコミ対応の仕事が増えたじゃないか!)

と、彼らだけに開放された脳内チャンネルで慰めあう。


 裾の長い小豆(あずき)色のローブを着たレポーターは両腕を広げ、浮遊するカメラに向かって興奮気味に実況する。

「雪の中、たった今、新郎新婦を乗せた車が到着しました。おお、すごいです!」


 確かに中々すごかった。

 地上五メートルほどまで降りたエアカーのドアが大きく開く。螺旋(らせん)階段がシュルシュルとDNAのように伸び、歩道のアスファルトまで降りてきた。

 安いエアカーの昇降設備は縄梯子(なわばしご)だから、それだけでもこの車は高級仕様だ。


 車から現れた新郎新婦を、カメラがアップで捉える。

「新婦、鈴木ひみこさんに間違いありません!」

 鈴木ひみこ十八歳。成人を迎えて間もない。

 彼女を知らぬ日本国民はいるだろう。が、頻繁(ひんぱん)に交代する日本国大統領よりは知られている。

 日本を中心とした配信視聴者五千万人の目に映るのは、背中まで伸びたまっすぐな黒い髪と細い吊り目。よく見る東アジア人の顔。お世辞なら美人と呼んでもいいが、絶世の美女というわけではない。


 注目の少女、鈴木ひみこは、即席螺旋階段を一歩一歩下った。茶色いスーツケースを両手に抱え、おぼつかない足取りでゆっくり進む。新郎は幼い新婦の一段下に立ち、長い腕を彼女の細い腰に伸ばして添える。


「あのケースに入っているのは、花嫁衣裳か、それともハネムーン用の荷物でしょうか?」

 レポーターもカメラマンも首をかしげる。花嫁衣裳は事前に式場に送るだろうし、今どきハネムーンにあんな荷物はいらない。

 しかし(鈴木ひみこなら、そんなもんだろう)と、カメラマンがレポーターの脳内チャンネルに返信した。

 鈴木ひみこなら「そんなもの」なのだ。彼女は普通の日本人ではないから。


 工事の柵に囲まれた教会前の歩道に新郎新婦が降り立つと、螺旋階段はシュルシュルとエアカーの中に折りたたまれる。

 空のカメラが降下して、地上の二人に蚊柱のごとく群がった。

「ひみこさん! 今のお気持ちを!」

 バリケード越しにレポーターが叫ぶが、ひみこは答えない。微笑む余裕すらない。俯いたまま茶色いスーツケースを転がして、教会の敷地に脚を入れた。


 彼女が日本国民、そして日本文化フリークの注目を浴びている理由は、顔でも能力でもなかった。

 二十二世紀後半。

 日本列島には前世紀と同様、一億三千万人が暮らしていたが、日本語を母語として育った人間は、鈴木ひみこと彼女の両親の三人しかいなかった。


 鈴木ひみこは、前時代的な意味での「日本人」最後の花嫁だった。

次章から本編に入る。十三歳の鈴木ひみこが、東京で両親と暮らしていたころから物語を始めよう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] エッセイ読んだので1話読んでみました。 散会は変な気がする。散開? モーゼの十戒よろしくってのも変な気がする。映画『十戒』のモーセの海を割るシーンのようにって意味かな? >新郎に背中を支…
2024/02/01 22:55 ガンダーラ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ