はじめに~日本人最後の花嫁
これから、日本人なら誰もが知る女性、鈴木ひみこについて日本語で記す。
彼女の少女時代、十三歳から十八歳の物語を記す。
なお、元の会話の多くは国際共通語でなされているが、この言語は筆者の苦手とするところである。このため、会話の訳出に不自然な点が多々あろうが、どうかご容赦願う。
世紀末の足音が聴こえ始めた、四月の札幌。
教会の茜色の屋根に、雪がハラハラ落ちてきた。
北海道開拓が始まった頃に建立された教会は、三百年近い歴史を誇る。何度か修繕し建て直したが、茜色の屋根は往時のままだ。
三か月前、多くの気象予報会社がこの日の降雪を発表した。一般市民も有識者も「あり得ない」と笑い飛ばす。気象を専門としない科学コメンテーターは、過去の気象データを持ち出し、予報コンピューターの限界をもっともらしくあげつらった。
無理もない。四月の札幌で雪など、この世紀、誰も見たことがないのだから。
道歩く人々は、腕を伸ばして手を空にかざす。儚い氷の結晶が指先で融ける──初めて知る感触。この感触を誰かと共有したくて、脳内チャンネルを開放する者もいる。
見上げれば軽やかな雪の中、高さ五メートルの位置で、直径十センチほどの白い円盤型のカメラが十台ほどひしめき合い、羽をばたつかせフワフワ漂っている。
カメラは、教会の前で待っていた。これから結婚式を挙げる新郎新婦を。
小型カメラが空中でホバリングをしていると、カメラを何十倍にも拡大したようなエアカーが西の空から現れ降下してきた。
新郎新婦の車に違いない。
(うそ! ここに停まるの? 勘弁してよ~)
地上でカメラを操る人々は、空で車に当てられてはたまらないと、焦りつつ慎重に動かした。
途端、白い円盤の群れは四方八方に去り、またホバリングを続ける。まるで、クモの子を散らすよう。
四人乗りのエアカーは、先ほどのカメラたちの待機場所を悠然として占領し、巨大なプロペラを回して空に停止した。この場を支配する王者が君臨する。
空のカメラのレンズは、エアカーの窓越しに、俯き加減の新婦の顔を映し出す。
新婦と呼ぶには幼い姿が、日本語マニア向けチャンネルに配信された。
エアカーの真下では、教会から出てきたスタッフらが、工事用の柵をガシャガシャと並べ、歩道を遮った。
「取材の皆さん、ここから先は入らないでください」
歩道を埋め尽くすカメラマンやレポーターを捌きながらスタッフは
(何でわざわざ、新郎新婦の車、敷地の外で停止するんだ?)
(教会の敷地は広いから、エアカーだって着地できるのに)
(おかげでマスコミ対応の仕事が増えたじゃないか!)
と、彼らだけに開放された脳内チャンネルで慰めあう。
裾の長い小豆色のローブを着たレポーターは両腕を広げ、浮遊するカメラに向かって興奮気味に実況する。
「雪の中、たった今、新郎新婦を乗せた車が到着しました。おお、すごいです!」
確かに中々すごかった。
地上五メートルほどまで降りたエアカーのドアが大きく開く。螺旋階段がシュルシュルとDNAのように伸び、歩道のアスファルトまで降りてきた。
安いエアカーの昇降設備は縄梯子だから、それだけでもこの車は高級仕様だ。
車から現れた新郎新婦を、カメラがアップで捉える。
「新婦、鈴木ひみこさんに間違いありません!」
鈴木ひみこ十八歳。成人を迎えて間もない。
彼女を知らぬ日本国民はいるだろう。が、頻繁に交代する日本国大統領よりは知られている。
日本を中心とした配信視聴者五千万人の目に映るのは、背中まで伸びたまっすぐな黒い髪と細い吊り目。よく見る東アジア人の顔。お世辞なら美人と呼んでもいいが、絶世の美女というわけではない。
注目の少女、鈴木ひみこは、即席螺旋階段を一歩一歩下った。茶色いスーツケースを両手に抱え、おぼつかない足取りでゆっくり進む。新郎は幼い新婦の一段下に立ち、長い腕を彼女の細い腰に伸ばして添える。
「あのケースに入っているのは、花嫁衣裳か、それともハネムーン用の荷物でしょうか?」
レポーターもカメラマンも首をかしげる。花嫁衣裳は事前に式場に送るだろうし、今どきハネムーンにあんな荷物はいらない。
しかし(鈴木ひみこなら、そんなもんだろう)と、カメラマンがレポーターの脳内チャンネルに返信した。
鈴木ひみこなら「そんなもの」なのだ。彼女は普通の日本人ではないから。
工事の柵に囲まれた教会前の歩道に新郎新婦が降り立つと、螺旋階段はシュルシュルとエアカーの中に折りたたまれる。
空のカメラが降下して、地上の二人に蚊柱のごとく群がった。
「ひみこさん! 今のお気持ちを!」
バリケード越しにレポーターが叫ぶが、ひみこは答えない。微笑む余裕すらない。俯いたまま茶色いスーツケースを転がして、教会の敷地に脚を入れた。
彼女が日本国民、そして日本文化フリークの注目を浴びている理由は、顔でも能力でもなかった。
二十二世紀後半。
日本列島には前世紀と同様、一億三千万人が暮らしていたが、日本語を母語として育った人間は、鈴木ひみこと彼女の両親の三人しかいなかった。
鈴木ひみこは、前時代的な意味での「日本人」最後の花嫁だった。
次章から本編に入る。十三歳の鈴木ひみこが、東京で両親と暮らしていたころから物語を始めよう。