疎遠になった幼馴染がなぜか雨の日だけ素直になる件
昔から雨の日が嫌いだった。
小さい頃は外で遊べないのが嫌だった。今は外を歩けば靴が濡れてしまうのが何より嫌だ。
それ以外にも傘を差すのが手間に感じたり、元々の癖毛が湿気で更にうねってしまうのもどうにも腹立たしい。
俺があいつと――三栖楓と出会ったのも、梅雨真っただ中のある日の放課後のことだった。
今思えば、楓とあの場所でまた会ったことが、俺が雨への苦手意識を少しだけ捨てることになるきっかけだったのかもしれない。
その日も生憎と午前中から空を鈍色の雲が覆っていた。案の定昼休みには本格的に雨が降り出し、午後の授業は眠気を誘う心地よい雨の音が教室全体を包み込んでいた。
「ナオちゃん、放課後カラオケ行かね?」
ホームルームも終え、自宅への道を急ごうとした時だった。
聞き馴染みの声がふと俺を呼び止めた。
「あのなぁヨシ、いつも言ってるだろ。そのナオちゃんっての止めてくれって」
「いいじゃん、可愛いだろ?」
「こんな奴のどこに可愛げがあるってんだよ」
「……確かに」
俺こと丹沢奈央はよく女の名前に間違えられる。
小学校の時はよく年度初めに担任が困惑していたのを覚えている。クラス名簿の間違いが無いか何度も確認していたのは記憶に新しい。
そのためか高校に入学した今も、こうして友人たちからは名前を弄られる。
親しみを込めて呼んでもらえることは嬉しいが、それでもやっぱり公共の場で呼ばれるのは恥ずかしかった。
「それにいつも言ってるだろ。雨の日はすぐに家に帰りたいんだよ」
「お前のそれ、よくわかんねぇんだよなぁ。別に雨だからって思春期男子の溢れ出るリビドーを抑える理由にはならないだろっ? むしろ雨だからこそこう、滾ってくるものが――」
「お前の場合は天気なんて気にしてねぇだろうが」
俺は知っている。こいつがやたらと女の子に連絡先を聞きまくっていることを。更にはその結果が芳しくないことも。
そしてその負けっぷりに天気が一切関係ないことも俺はよく知っていた。
「ったくつれねぇなぁナオちゃんは」
「また天気のいい日に誘ってくれ」
「あいよ、じゃあな」
「おう、また明日」
昇降口までの足取りは軽く、しかしその先の足取りは重い。
傘立てから通学時に持ってきた傘を抜き取ると、今だバケツをひっくり返したような雨を降らす空を忌々し気に睨み返した。
どうして雨ってのは人様の許可もなく靴の中に侵入してくるんだろうか。
靴下が濡れるという事が人のやる気を全て奪い去っていく現象だという事をお天道様も理解するべきだと思うのだ。
この先のことを考えると気が重い。
しかし帰らないことにはいつまで経っても自宅までは辿り着けない。両方の思いを天秤にかけた結果、俺は帰路への道を歩いていくことにした。
俺の通う藍乃原学園は新設の私立校だ。
ハブ駅から近いことと制服が可愛いことで人気が高い。そのため生徒数も多く、校門の前は帰路へと急ぐ生徒で賑わっていた。
普段は自転車で通っている俺だが、雨の日はどうしてもそうはいかない。それが雨が嫌いな理由の一つでもある。
自宅まで2キロほど。その道のりをずっと地面の水溜まりを避けることに全力を注ぎながら歩いていく。
大通りを逸れて隣接する公園へと足を踏み入れる。舗装された道は凹凸も少ないため靴下にも優しい。
この公園は市民への憩いの場の提供を目的として俺が生まれた頃に作られたらしい。そのためか敷地内も広く休日は大勢の人で賑わっている。背の高い木が並木道を作っていて、一角には芝生に覆われた広場と遊具も存在している。
普段なら自転車で通り抜けるだけのこの道も、雨が降ると事情が少々違ってくる。
平日の夕方。しかも雨の日という事も相まって公園内にはぽつりぽつりとしか人の姿が無い。雨の音と、遠くを車が走り抜ける音だけが公園内を包み込んでいた。
だからこそだろうか。その妙な静寂が視線を偶然そちらの方へと向けさせた。
木々が立ち並ぶ公園の一角にぽつりと一つ、休憩スペースが静かに佇んでいた。
正方形の区画に屋根が一つ。その下にはコの字型にベンチが3つ置かれている。一見何の変哲もないありがちな場所。
しかしその場所が妙に特別に思えたのは、屋根の下で読書に勤しむ女の子の姿が見えたからだった。
これがただの顔見知りだったのならば俺も帰路を優先したかもしれない。雨が嫌いな俺が外で知り合いと話し込む理由もない。ましてや向こうは呑気に雨宿りを満喫している。邪魔をするのも野暮ってもんだ。
だけど俺の足は自然とそちらに引き寄せられる。”初恋”が、そのしなやかな細指で本のページを捲った。
「楓」
彼女のことを呼ぶのはいつ以来だろうか。
忘れもしないその顔は、俺の声に確かに小さく驚きの表情を浮かべた。
「な、ナオちゃん……?」
三栖楓。我が藍乃原学園の2-Cの生徒だ。成績優秀で品行方正。人付き合いは苦手で友達は少ない。悪く言うと根暗だが、よく言うとお淑やかさが服を着て歩いてる。悪友は彼女のことをそう評していた。
しかしその正体は幼稚園の頃からの昔馴染みで小学校、中学校と常に同じ卒業アルバムに映り続けてきた間柄だ。
家も近所で親も仲がいい。こう言うのをきっと幼馴染と言うんだろう。
「こんなところで何してんだ」
「ほ、本を読んでた……」
そう言って照れくさそうに楓は持っている文庫本で顔の半分を覆った。
「見りゃわかるよ」
「ご、ごめん……」
文庫本越しにこちらを覗き込んでくる目は、どこか嬉しそうで、それでいてどこか怯えている様だった。
「こうやって話すの、いつぶりだっけ」
「ちゅ、中3の文化祭以来……」
楓と向かい合うように腰を下ろすと、彼女は手に持った文庫本を鞄へとしまい込んだ。
「高校に入ってからは一回もなかったよな」
「う、うん……なんかごめん」
「なんで謝んだよ」
「な、なんとなく?」
俺達が疎遠になったのはいつからだっただろう。
年齢を重ねるにつれ、いつの間にか互いに言葉を交わさなくなってしまった。
中学に入ってちょっとだけ男女を意識するようになって、俺が一方的に楓を避けるようになってしまった気がする。
それからはもうすっかり赤の他人に近い状態だ。
「高校の入学式で会った時は驚いたぞ」
「あれは私も」
そう言って楓は笑った。少しだけ目元が垂れる笑い方は、昔と何も変わっていなかった。
「俺達、互いにどこの高校に行くのかすら知らなかったんだもんな」
「ほんとだね」
楓の横顔はどこか大切な何かを懐かしむようだった。
その横顔に、なぜか無性に胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚える。
「嬉しかったんだぁ……ナオちゃんが同じ学校だって知ったとき」
「へ……?」
飾りっ気のないその言葉に思わず口から情けない声が漏れる。
それは俺が何よりも思っていたことだったからだ。
「私人見知りだし、お友達出来るか不安だったから……」
「そ、それならもっと声かけてくれればよかったじゃんか」
疎遠になった、と表現したのは何も中学時代だけじゃない。
こうして同じ高校に通うようになってからも、今日まで俺と楓は互いに言葉を交わしたことはなかった。
「俺、勝手に嫌われたんだと思ってた」
「そんなことないよっ」
「でもほら、廊下とかで目が合っても直ぐに逸らされてたし……」
「あっ、あれはその……あの……その……」
みるみる楓の頬が赤く染まりあがる。
「どうしたんだ?」
「な、なんでもないよぉ!」
そう言って頬をぷいと膨らませる楓。その仕草に懐かしさを覚えるとともに、どこか昔に戻れたような気さえしてくる。
「昔はナオちゃんナオちゃんって俺にすぐ構ってきたのにな」
そんな甲斐甲斐しさが可愛くて、あの頃の俺は楓のことが好きだったんだ。
「そんなことあったっけ」
「あったよ。忘れたとは言わせねぇ」
それから俺たちは思い出話に花を咲かせた。修学旅行で京都に行った話とか、文化祭の劇で岩崎が白雪姫役の棚橋さんに本気でキスをしようとした話とか。
とにかく他愛のない話だったような気がする。
楓の携帯が小さくその存在を主張したのは、雨も小降りになり日も随分傾いたころだった。
「ごめんねナオちゃん。私今日夕食の当番なんだ」
「っと、もうそんな時間か」
思えば随分と話し込んだ気がする。
雨の日の放課後だってのに、不思議と俺の気分は晴れ模様だった。
「なぁ楓」
「ん、どうしたの?」
「また学校で話しかけてもいいか?」
今日みたいな会話が出来れば、俺達も昔みたいに戻れるのかもしれない。しかしその問いかけに楓は小さく「駄目だよ」とだけ返した。
「そっか……」
否定はされていないけど肯定もされない。もしかしたら楓にはもう恋人がいて、そいつに気を遣って俺にそう言っているのかもしれない。
そんな考えが脳裏を過り先ほどまで晴れていた気分が再び曇っていく。
「……ナオちゃんが何を考えているのかは分からないけど、また雨が降ったらここに居るよ」
「どういうことだ?」
「雨が降ったらまた来て」
「お、おお……?」
それはつまり雨の日限定で俺達はまた昔みたいに話が出来るという事か?
「それじゃあね、ナオちゃん」
「え、あ、あぁ……また」
「また、雨の日に」
そう言って楓は、一人静かに小雨の降る森林公園の出口へと消えていった。
―――――――
それからというもの、俺達の関係は別に何一つ進展することはなかった。
相変わらず学校に居ても言葉を交わすことはない。
俺は律義に楓の言い付けを守っているし、楓も楓でクラスが違うという事も相まって滅多に俺の前に姿を現すことはない。
あの日の出来事は一体何だったんだろう。
それを確かめる術がやって来たのは、一週間が経ったある日のことだった。
「雨、だね」
「だな」
放課後、傘を片手にその場所に向かうと既に楓はそこにいた。
「久しぶり」
「たかだか一週間だけどな」
「私にとっては4年ぶりだよ」
最初は何を言っているのか分からなかった。だけど楓の表情で俺はすぐにその意味に思い至る。
「……そうだな、確かに久しぶりだ」
こうして待ち合わせをするというのも小学校以来だ。中学の3年間と高校に入ってからの1年を合わせて4年。
その間の長い空白が俺と楓の間には転がっている。
「ちっちゃいころはよくまた明日って約束してたのに」
「スマホもないのによくやったもんだよな」
「多分お互いのことを信頼してたんじゃないかな。子どもってほら、純粋だから」
「まるで俺らが純粋じゃないみたいだ」
「どうだろうね」
そう言って楓は笑った。一週間前に見たせいか懐かしさはなかった。だけど今度はそれとは別の感情が湧いてくる。
学校でもまた昔みたいに笑いあいたい。
他愛ない話をして、一緒に帰ったりして、たまに休日遊んだりして。
「なぁ、どうして学校じゃ話しかけちゃダメなんだ?」
「だ、だって……」
言い澱む楓はこの前みたいにまた顔を伏せてしまう。今日ほど楓の表情を隠してしまう文庫本を恨めしく思った日はないだろう。
「ま、まだ言わないっ!」
もしかしたら楓は昔馴染みのよしみで俺と話してくれているだけじゃないのか、と不安になる。学校じゃ俺みたいな奴とつるんでいるのを見られたくない。
そういうことを思っているんじゃ――
「だ、大丈夫だよっ! な、ナオちゃんにはそんなこと思ってないからっ!」
俺の不安はばっちりと表情で見抜かれてしまっていたらしい。
否定するような言葉をかけてくれるが、だったらどうして学校じゃ話しかけちゃダメなんだろうか。
「い、いつかちゃんと言うからっ!」
だ、そうだ。
今思えば中学の時に俺が彼女を避けなければこんな関係には至っていない。非があるとするならば俺の方だ。だったら楓が本心を打ち明けてくれる日を待つしかないだろう。
「……なんかナオちゃんと話してると疲れる」
「そ、それは悪い」
コロコロと表情を変える楓。学校での雰囲気とは真逆だ。果たして高校の友人が今の彼女を見たらどう思うだろうか。
いや、よそう。なんというか、今の楓を他の誰にもおすそ分けなんてしたくなかった。
「疲れるけど……でも、楽しいよ」
楓の笑顔は紫陽花によく似ていた。
謙虚さの中にそっと華やかさが咲くような、そんな風な笑顔だった。
「――それでヨシの奴クラスの女の子全員に連絡先聞きまくってさ」
「なんというか、行動力凄いね」
「行動力だけだけどな」
そして俺達はまた他愛のない話をした。
「――今読んでる奴ってこの前と一緒?」
「ううん、これは新しい奴。森の洋館に閉じ込められた探偵が殺人事件を解決していくミステリー」
「へぇ、楓、そんなジャンル読むんだ」
「ミステリーに興味持ったのは中学の時からだからね」
「そっか」
幼馴染だから楓のことは詳しいと勝手に思い込んでいた。でもいざこうして話してみると知らないことばかりだ。
「っと、ごめんねナオちゃん。そろそろ私帰らないと」
「お、もうそんな時間か」
「それじゃあまた、雨の日に」
「……おう、雨の日に」
それからというもの、俺と楓は雨の日だけこうして二人きりの秘密の時間を過ごした。
ある時はコンビニの新発売のお菓子を食べたり、ある時はただ本を読んでいる楓の隣で音楽を聴いたり。
二人で何かをしている日もあれば、ただ黙って過ごしているだけの時間もあった。
4年ぶりに過ごす楓との時間は、ただそれだけで幸せな時間だったと思う。
だけどついぞ、楓は学校で互いに口を利かない理由を教えてはくれなかった。
「なぁ、なんで学校でしゃべっちゃダメなんだ?」
「そ、それはまだ秘密だからっ! い、いつかちゃんと言うから……」
そう言ってはぐらかされるばかりである。
ちょっとだけ寂しい思いはあるけれど、それでもこうして二人で過ごせているんだから不満はない。だけどその理由を教えてもらえないことは心の奥にずっと引っ掛かり続けている。
「なぁ、最近三栖さん可愛くなったか?」
彼女の変化にいち早く気づいたのは、俺ではなく悪友のヨシだった。
「三栖さん?」
「おう、2-Cの三栖さん。お前、中学一緒だったよな?」
確かにヨシには俺の出身中学を伝えたことがある。しかしなんでこいつが楓の出身中学を知っているんだ。
「それはほら、俺は情報通だから」
「女の子限定だけどな」
「ちげぇねぇや」
そう言ってヨシは笑っているが、俺の気づいていない楓の変化に友人が気づいていることに心中は穏やかじゃなかった。
そんな話をした日の昼休み、俺はくだんの彼女に偶然廊下で遭遇した。
「か、楓!」
しかし俺に気づいた楓は何かから逃げるようにその場から姿を消す。
何か最近の会話で怒らせるようなことを言っただろうか。それとも本当に実は俺のことが嫌いで、雨の日の会話はただ仕方なく付き合ってくれていただけなんだろうか。
良くない思考がぐるぐると頭の中を巡っていく。
せっかく再び話せるようになったのに。また昔みたいに仲良くしたいだけなのに。
「おりょ、君は……」
そんな時だった。
廊下で一人寂しく立ち尽くす俺に、聞き慣れない声がかけられた。
「ほうほう……ほうほうほう……」
そこに居たのは一人の女の子だった。こちらを舐め回すように見つめながら、彼女はしきりに何かに頷いていた。
「あの、君は?」
「あ、私!? 私は真紀! かえちゃんとは高校からの友達なんだ。それよりも――」
そう言って真紀と名乗った女の子は再び俺をじろじろと観察しだす。
「えっと……いったい何の用で? それよりもかえちゃんってのは――」
「あぁ、君の想像通りの人物だよ。可愛いよねぇかえちゃん」
やっぱり楓の友人か。可愛いのは否定しないが、それよりもいったい俺にどんな用件なんだろうか。
「いやー、君が噂のナオちゃんだったら、気にしなくていいよって伝えようかと思って」
「いったいどこで噂になってるんだ」
「それは言えないお約束だよん」
また言えない奴か。楓といい目の前の真紀といいどうして俺に秘密なんだ。
「困ってるねぇ。言いたいことがあるって顔だねぇ。でも大丈夫だよ」
「な、何が大丈夫なんだよ」
「次の雨の日、もしかしなくても君の疑問が全部解消されるんじゃないかな?」
「雨の日……」
楓の友達、という事は楓はあのことを友人に話すぐらいには気に入ってくれてるんだろうか。
「さて、ここでスマホをひとつまみ」
そう言って真紀は俺へとスマホの画面を押し付けてくる。
「いやぁ青春だね。ってことで心して三日後を待つがいい」
真紀が俺へと突き付けてきたのは直近のこの地域の気象情報だった。
降水確率90パーセント。どうやら三日後に雨が降ることは確実らしい。それで、俺はそこで何を一体待てばいいんだろう。
「いやぁ、青春青春。いいなぁ……」
そう言いながら満足そうに真紀は消えていった。
どうやら結局、雨を待つしかないらしい。
―――――――
お天道様の涙が放課後の街を包んだのは、予報通りそれから三日後のことだった。
「楓」
「ナオちゃん……」
彼女はいつも通り、ベンチで静かに文庫本のページを捲っていた。
「昔から本、好きだったよな」
「それは覚えてるんだね」
ふと、小学校の時に日直で朝早く学校に行った時のことを思い出した。
いつも一緒に通っていた楓に「明日は日直だから一緒に学校に行けない」と告げた日の翌日のことだ。
一番乗りで教室に辿り着いたと思っていた俺の目に飛び込んできたのは、誰も居ない教室で静かに本を読み進める楓の姿だった。
静寂の中ページをめくる彼女の横顔に、幼いながらに恋心を自覚したことをふと今思い出した。
そう言えばあの後「どうして俺より早く居るんだよ」って問いかけに、楓は曖昧に笑って見せたんだっけな。
「ちゃんと覚えてるよ」
「そうなんだ……」
俺の言葉に、楓は妙に嬉しそうだった。
「この前はごめんね、逃げちゃって……」
「あぁ」
楓が言っているのはこの前の昼休みでの出来事だろう。正直かなり傷ついたが、真紀の話を聞くにはどうも裏があるらしい。
「真紀って子に会ったんだけどさ」
彼女は一体俺に何を言いたかったんだろう。そう思い真紀の名前を出すと、突然ぐいと楓の顔が目の前に現れた。
「ままま真紀ちゃんと会ったのっ!?」
「お、落ち着けって」
雨の匂いに混じって、ふわりと女の子特有の甘い匂いが鼻を付いた。
「ま、真紀ちゃんなんて言ってたっ!?」
「いや、なんか気にしなくていいよって。大丈夫だって。何のことかさっぱりだったけど」
「そ、そっか……」
半ば何かをあきらめたような表情で楓が俺から離れていく。若干残念な気がしたけど、これ以上は楓に嫌われかねないので雑念はなんとか追い出すことにした。
「はぁ……そっかー。うん、そうだよね、いつまでも逃げてちゃだめだもん」
ふと、一つ大きくため息を吐いた楓がベンチを立ち上がる。いったいどこに行くのだろうと見守っていると、なぜかそのまま俺の隣にちょこんと腰を下ろした。
「あ、あの……楓さん?」
「はい、楓さんです」
ただ座られただけだと思っていたら、そのまま楓はぐいとその身を寄せてくる。
「ねぇナオちゃん……」
「な、なんだ」
「恥ずかしいから、そのまま聞いてね」
そう言うと楓は俺の横で大きく一つ息を吸った。制服越しの慎ましげなその胸が、呼吸と連動して小さく動く。
「……好きだよ」
心臓が一つ大きく跳ねる音が聞こえた気がした。
「ごめんねこんなこと急に言って。でも、いつかは自分に素直にならなきゃって。ナオちゃんの気持ちは分からないけど……」
楓はずっと勘違いしている。素直にならなきゃいけないのは俺も一緒だったからだ。
こうしてまた会話をするようになってから、更にはそれ以上にずっと昔から。
俺は、三栖楓が好きなんだ。
「ごめんね、ずっと言えなくて。学校で話したくないって言ったのは、私が恥ずかしかったからなんだ。好きな人と話して緊張する私をいろんな人に見られたくない。だからあんなこと言っちゃった」
今日の楓はやたらと素直にその心情を吐露する。
俺が真紀に会ったからか、それとも何か彼女を変えるきっかけがあったのか。
もし楓が俺の知らない何かを乗り越えたのならば、俺もその気持ちに答えなきゃならない。
「俺も、ずっと好きだったんだ」
俺は一体今どんな表情をしているんだろう。
もしかしたら隣でリンゴみたいになっている楓以上に、俺の顔は紅く染まっているかもしれない。
「ホント……?」
「本当だよ。小学校の時からずっと。だから、また話せて嬉しかった」
これは俺の本音だ。
あれだけ嫌いだった雨の日が、いつの間にか待ち遠しくなっていった。
ボツボツと耳障りだった地面を穿つ音が、いつの間にか二人の間に流れるBGMになった。
俺の世界が変わったのは間違いなく楓とまたこうして話が出来たからだ。
「もっと早く素直になればよかったね」
安心半分、後悔半分。そんな気持ちを含んだ楓の言葉はやたらと印象的だった。その通りだ。俺ももっと早く自分の気持ちに素直になればよかったんだ。
「私たち、ずっと似た者同士だったんだね」
「本当にそうだな」
ふと、肩越しに仄かな香りと柔らかな暖かさが寄り添ってくる。
「か、楓……?」
「今だけは、私素直だから」
二人寄り添って眺める雨は、そのレンズを通して随分と世界を綺麗に映した。
天から降り注ぐ一つ一つがなぜか特別に思えてしまう。誰かを愛おしく思うようになると、まるで世界まで愛せてしまうような気さえしてくる。
「学校じゃまだ恥ずかしくて素直になれないかもしれないけど、ここでならちゃんと言うからね」
そう言うと楓は俺の手のひらにぎゅっと自らの手を重ねてきた。それに応じるように俺もその手を握り返す。
絡まっていく指先は、4年間の空白を取り戻すかのようにその隙間を埋め合わせていく。
「い、いつかはちゃんと皆の前でもナオちゃんのこと呼べるようになるから!」
「そ、そうか……ゆっくりでいいからな」
「だから――」
不意に視界が真っ暗になると、柔らかな感触が俺の唇を奪っていった。
慌てて視線を動かすと、そこにはしてやったり顔の楓がいた。
「――今ここでだけは素直にならせてね」
疎遠になった幼馴染は、雨の日だけはやたらと素直になるらしい。
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