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あいのうた ――再び始めたその先に――  作者: 烏川 ハル


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10/11

第9話 アメリカにて・その5 ――緊張する時しない時(前編)――

   

 ソロに決まったので、全体の練習でも『愛の歌』17曲目に差し掛かった時には、約2分くらい僕が一人で歌うことになる。

 合唱を始めたばかりの頃の「一人では歌えないから、みんなと一緒に歌う」から見たら、信じられないような話だ。

 とはいえ、既に人前で一人で歌うことには慣れていた。かつてセミプロの合唱団で、毎年冬のオーディションを受けていたからだ。あれは公開オーディションであり、アマチュア枠も含めた全団員の前で歌うどころか、外部からも希望者が聴きに来る形式だった。

 一応は内輪の行事であり、わざわざ来る余所者は少ないが、セミプロの合唱団なので熱心なファンもいる。団員たちにサインをせがむファンにも一度遭遇したほどだ。もちろん僕たちはプロの音楽家ではなく、サインと言われても困惑するだけだったが、とりあえず普通に漢字で名前だけ記したのを覚えている。


 少し話が逸れてしまったが、このように、僕にとって人前で一人で歌うことは何でもないはずだった。

 ところが、アメリカの市民合唱団にて。

 全体の練習時間の中でソロを歌う度に、妙に緊張してしまう。


 一種の自意識過剰だろうか。

 同じ合唱団員の前で歌うということは、自分と同じ立場の者たちの前で歌うということ。このソロを歌っていたかもしれない人たちの前で歌うということだ。

 勝手に彼らをライバルのように感じていたらしい。ライバルの前で少しでも下手な演奏を示したら「あれくらいなら俺の方がソロに相応しかった」と思われるのではないか、と考えてしまうのだった。


 これは、日本にいた頃のセミプロの合唱団のオーディションでは起こり得ない状況だ。

 オーディションでは受験者は皆ライバルだが、その全員が一人で歌うのだ。オーディションを受ける以上は当然であり、そこに「本当に自分がこの場に立っていいのか、この場で歌っていいのか」という緊張は全く発生しなかった。

 だからソロを歌うと決まったために味わう緊張感は、ある意味、初めての感覚だった。新たな感情を楽しみつつ「練習でこれならば本番はどうなってしまうのだろう」という心配もあったのだが……。

   

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